シスター・先生から(宗教朝礼)

2024.01.31

2024年1月31日放送の宗教朝礼から

  おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

 私はこの冬休みにマルタ共和国に4泊6日の旅行に行きました。マルタは地中海に浮かぶ島で、シチリア島と北アフリカ沿岸の間に位置する、東京23区ほどの面積の国です。ローマ人、ムーア人、マルタ騎士団、フランス人、イギリス人により支配されてきた歴史を持ち、それらの史跡が残っていることで有名で、たくさんの要塞、巨石神殿群が存在します。また、マルタは人口の90%以上がカトリックを信仰しているキリスト教国で、教会が360ほどあります。私が訪問したときは、まだ降誕節の最中でしたので、町の様々なところにクリスマスの装飾やマリア様のご像を見ることが出来、教会も多くあり、私にとってはまさに巡礼の旅でした。
 実は、このマルタ共和国(マルタ島)は、聖書にも登場する場所です。皆さんは新約聖書にある「使徒言行録」という箇所を読んだことがありますか?マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書の後にある個所で、イエス様のご復活後に、12使徒の一人であるペトロや、復活後イエス様に出会い弟子となったパウロの宣教活動を中心に書かれたキリスト教初期の様子が書かれている個所です。
「使徒言行録」は私の好きな聖書の個所の一つです。イエス様、神様がいつも私達と一緒にいて下さることは信者の私にとっては確固たる信念です。しかし、ご復活後、イエス様は目に見える人間の形では一緒にいらっしゃいません。そんな中で、キリスト教の初期の弟子たちがどのようにして信仰を育て、宣教を行ったのか、その様子が描かれているのが使徒言行録です。言い換えると、使徒言行録が現代に生きる私達に、キリスト教信者として生きること、そして私たちの生活の中でどのように神様が働かれるのか、そんな様子を伝えてくれる箇所です。今日は使徒言行録の中でマルタ島が出てくる場面の前後の箇所を皆さんと分かち合いたいと思います。
 使徒言行録27章39節~44節を読みます。この場面は、パウロがローマに向かって船出する中、嵐に出会い、何日も漂流し、食べ物も底をつき始め、船を軽くするために必要のないものを捨て、船に乗っている人々の不満も高まっている。そんな状況を思い浮かべながら聞いてください。
 朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。 そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。 ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。 兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、 百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、 残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。(使徒言行録 27章39~44節)
 さて、皆さんはこの箇所を聞いて「何が特別なのだろう。」と不思議に思った方も多いと思います。でも、私にとってはこの箇所は特別な聖書の個所の一つで、時々読み返す箇所です。もう15年以上前の話になりますが、私のクリスチャンの友人の一人、私の母親ほどの年齢の方になりますが、その方から教えていただいた聖書の個所です。その方は今、皆さんに紹介した聖書の個所を使って次のように私におっしゃいました。「神様は時として不思議な奇跡と呼ばれることを行うけれど、多くの場合において、神様は私たちの周りにあるものを上手に使って働かれるのよ。泳ぐ能力のある人は泳ぎ、それが出来ない人はその辺に浮いている船の木の端切れをもって、助け合いながら島まで何とかたどりつくことが出来たでしょう?困ったときには『さあ、神様、あなたのお手並みを拝見させていただきます。』くらいの気持ちでいなさい。」と言われました。
私はまだここまで大きな心を持ってどっしりと困難に立ち向かうことは出来ませんが、でも何か問題が起こったときには、「神様がいらっしゃるから大丈夫。きっと、何か方法があるはず。」と自分に言い聞かせ、自分自身を落ち着かせています。そして神様は必要なものと、助けてくれる人を送ってくださいます。
 先程紹介した使徒言行録の続きである28章には、パウロがマルタ島に上陸してからの奇蹟、特に、マルタ島には毒蛇がいないと言われる説の一つのゆえんとなった奇蹟などが書かれています。また、お互いに助け合い、客人をもてなすホスピタリティの精神なども書かれており、物語として読むだけでも面白い箇所です。
聖書は世界一のベストセラーと呼ばれます。聖書をただの物語や教えの書物として読むだけでなく、祈りの心で読んだとき、皆さんの心に何らかのメッセージが与えられるかもしれません。また、同じ個所を読んでも、その日によって気になる聖書のみことばも変わってきます。そして、ある時ふと聖書のみことばが心に浮かんでくるときもあります。ぜひ、ゆっくりと神様のみことばを味わっていただきたいと思います。
 これで宗教朝礼を終わります。
M.M.(ミッションコーディネーター)