シスター・先生から(宗教朝礼)
2025.09.17
2025年9月17日放送の宗教朝礼から
私たちは今、二つの特別な時を過ごしています。一つは今年が聖年※1というカトリックの特別な年であること。もう一つはこの9月から翌月の10月4日まで「すべてのいのちを守る月間」※2、また「被造物の季節」とも呼ばれる、神様からつくられた生き物や環境のことをより意識して過ごそうという期間であることです。
今回の聖年には「希望の巡礼者」というテーマがあります。みなさんがみこころの祝日のミサのときに歌った曲、つまり今流れている聖歌はこの「希望の巡礼者」をテーマにした曲です。旅に出ることは日常から離れることによって新鮮なまなざしで自分を見直し、人生の意味を探し求めることができます。そしてテーマのキーワードである「希望」。戦争や難民問題、また気候変動などの環境的な課題も多く「希望」を持ちにくくなっている今の時代に、私たちは希望を持つことができているでしょうか。「誰かが何かしてくれる」「自分だけでもこうなりたい」というような自己中心的で楽観的な願望ではなく、他者との関係性の中で育まれ、そこにいのちの種があると信じることができるときに希望をもつことを神様は望まれていると言われています。辛いときでもみんなで苦労して、知恵を出し合い、協力し合っていることの中に意味を見いだせるとき、希望がそこにあるのではないかと思います。夏休みに先生たちと聖心の学校の建学の精神と今後私たちがどのように生きていくべきかを考える研修がありました。グループディスカッションもあり、私のグループは「寛容と喜びに生きる人であること」がテーマでした。そこには、物惜しみしない心や感謝を大切にする姿勢、静寂や沈黙を大切にすることで周囲の人々に喜びを与える活力を養うことがポイントになっていました。私は生徒のみなさんに日々希望を感じています。 一瞬一瞬で消えてしまう喜びではなく、勉強や行事など、簡単には進まない物事を協力し合ったり、意見を出し合ったりして乗り越えようとするとき、あるいは誰かのために時間をかけて労力を使うとき、そうした活動の経験から身につく力が将来にわたって深い喜びに変わるだろうという期待から希望を感じていることを先生方に分かち合いました。中高の学校生活のすべての時間において順風満帆の人はおそらくいないでしょう。誰しもが悩みの中で過ごす時期を持ったり、大なり小なり失敗を経験したりします。しかし、それらの経験の中でしっかり自分の苦悩に向き合った生徒が、卒業後への夢に前進していく力を得ていったことを多く見ています。そこにこそ、私は希望があると実感しています。
また聖年のもう一つの側面として負債・負い目をなくすというものがあります。この「負い目」は主の祈りの中に「私たちの罪をおゆるしください」と神様に願う「罪」と同じです。自分自身の過ちにしっかり向き合い神様に赦しを願う意味もあれば、イエス様の時代、貧しい生活をしていた人たちが経済的な負い目、例えば小作人として働いている人たちが地主や金貸しから借金をしていた「負債」も含まれます。そして主の祈りで「私たちも人をゆるします。」と唱えるように、相手と和解する、貧しい人の借りをなしにする、それは戦争をなくして平和を実現すること、貧しい国の負債を帳消しにすることも意味しています。
2000年の聖年のときに、あるシスターから聖年には先進国の政治リーダーに向かって教皇様が貧困国の債務の免除をするよう発せられるということをうかがいました。契約の上で成り立っている貸し借りを国家間など大規模なレベルで帳消しするということが本当にできるのかと信じられない思いでした。ところが当時の教皇ヨハネ・パウロ2世の債務軽減の呼びかけによって、2000年から15年間かけて約18兆円(約1300億ドル)が帳消しになったと報道されています。※3 経済的負担から立ち直れない途上国の状況に国家や企業のリーダーが向き合い、その良心と努力によってできたことだと思います。
今回の聖年が始まる際、まだ地上を生きていらした教皇フランシスコも富裕国に向けて返済が不可能な国の債務を免除する決断をするようメッセージを発しました。加えて、”ecological debt”、つまり「環境的な債務」、それの帳消しについても触れていました。環境問題において困っている途上国の人たちの貧困をなくそうというものです。ecological debtについて教皇フランシスコは『ラウダート・シ』という2015年に出された回勅とよばれる本にもすでに書いておられました。※4 私は以前にもお話ししましたが、水俣病に関する映画を見てから、自分が理科・化学を教える教師として、環境的な債務に関わる物質について生徒とともに考えるようになりました。生活に必要な製品の原料となる物質を、主に途上国にある原産地から富裕国に有利なシステムで搾取され、途上国の土壌が汚されたり、またそこで働く人々、特に子どもたちや女性の労働に過酷な負荷が与えられたりすることも多いことを生徒たちと学んできました。今年の夏もリチウムについて調べた生徒がいました。温暖化ガスを減らすためにリチウムイオンを使った電池を使おうとする動きもありますが、リチウムを南米の産地から採取することによってその周辺の水量不足や生態系が著しく崩れてしまう事実もあります。その地域で畜産業や農業などを営んでいる人たちはリチウムイオン電池で炭酸ガスを減らせていると思って生活をしている人たちのことをどう思っているのか想像してみてください。 環境保護のために何かよいことをしたと思っても、別のところに歪みが生じることも多く、非常に難しい問題です。『ラウダート・シ』でフランシスコ教皇は「『とくに、貧しい人、弱い人、傷つきやすい人の必要』にもっと関心を払うべきです。わたしたちは一つの家族であるという自覚を深める必要があります。」※5と書いています。恵みの年であるこの聖年に、そして被造物の季節、神様がつくられたもののために特に意識して愛を持って過ごすこの時期に、貧しい人、弱い人、傷つきやすい人の必要のために複雑な課題についても向き合うことが大切ではないかと思っています。不二聖心で学ぶことの根本がそこにあり、不二聖心を卒業していく生徒たちが何らかの形でその解決に貢献することができるという大きな「希望」を私は持っています。
では最後に、「すべてのいのちを守るためのキリスト者の祈り」※6というお祈りを唱えますので心をあわせてきいてください。
宇宙万物の造り主である神よ、
あなたはお造りになったすべてのものを ご自分の優しさで包んでくださいます。
わたしたちが傷つけてしまった地球と、この世界で見捨てられ、
忘れ去られた人々の叫びに気づくことができるよう、一人ひとりの心を照らしてください。
忘れ去られた人々の叫びに気づくことができるよう、一人ひとりの心を照らしてください。
無関心を遠ざけ、貧しい人や弱い人を支え、ともに暮らす家である地球を大切にできるよう、
わたしたちの役割を示してください。
わたしたちの役割を示してください。
すべてのいのちを守るため、よりよい未来をひらくために、
聖霊の力と光でわたしたちをとらえ、あなたの愛の道具として遣わしてください。
すべての被造物とともにあなたを賛美することができますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
これで宗教朝礼を終わります。
K.S.(宗教科・理科)