校長室から

2014年12月

2014.12.31

感謝をこめて

年末、聖心会の本部がある東京の修道院に滞在しました。ここでは、日本に7校ある聖心の学校のために、日々、祈りが捧げられています。7日間の間に、7校の名前が順番に聖堂のボードに掲げられ、その日は特にその学校に重点をおいて祈ります。

2014.12.24

修道院 クリスマス前晩の祈り

クリスマスおめでとうございます。

12月23日の夜、修道院でヴェイエ(“Veillée”フランス語で「前日」の意)の祈りが行われました。今年は、「世界の平和」「不二聖心で学ぶ生徒たち」「不二聖心で働く教職員」「聖心黙想の家を訪れる方々」「病者」「高齢者」のために特に祈りました。

   

                 光が輝くとは
絶望の夜がないということではない。
それは、夜が照らされ、
それが超えられるということ。
(ハインリッヒ・フリース)

生徒の皆さん、あなた方は、いつもシスターや先生方に「祈られている存在」であるということを忘れないでください。冬休み前の集会でお話したように、自分の心に上った星の導きに従って歩んでいきましょう。

クリスマスの喜びが、これを読んでくださっている全ての皆様の上に豊かにありますように。

2014.12.24

クリスマス・キャロル パンフレットより

 主のご降誕おめでとうございます。不二農園が誕生して100年目の今年、私たちはこのキャンパスで100回目のクリスマスを迎えました。
1914年のクリスマスは、園創設者である岩下家の聖堂で祝われたことでしょう。この聖堂は、東名高速道路を作るためにお譲りした土地の一部にありました。外観や内部の様子は、アーカイブ・ウィングの写真やパーラーの暖炉の上の油絵にみることができます。小さいながらステンドグラスが美しい聖堂だったそうです。
学院の澄んだ冬空に瞬く星々には今も見とれてしまいますが、人工的な光がなかった当時は、まさに降るような星空であったことでしょう。馬場もありましたので、「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカ2章7節)という聖書を身近に感じつつ、初めての聖夜を祝ったのではないでしょうか。
不二農園の存在、そして岩下清周、壮一、亀代子の生涯は、かかわった人々に希望と喜びを与えました。その温情の精神は、”Delight”をテーマに掲げる生徒たちに受け継がれています。世界の現状に目を向け、自分たちにできることを探しながら、プラクティス、クリスマス奉仕、クリスマス・キャロルとチャリティ・バザーの準備に取り組んできた生徒たちの思いを汲み取っていただけたら幸いです。ご一緒に平和への思いを新たにしながら、喜びをもって100回目のクリスマスをお祝いしたいと願っております。

2014.12.02

中高別朝礼の話(2014年12月1日、2日)

 今、世界中の聖心の生徒達は、ケニアに聖心の小学校を作るプロジェクトに取り組んでいます。これは、ケニアの聖心からの呼びかけに応えたもので、“レンガ1個につき1ドル”という目安で募金活動が行われることになりました。

 長年、ケニアとウガンダの学校で働いたシスター寺田和子が学院で教えていることもあり、不二聖心の生徒たちにとって、ケニアはアフリカ諸国の中でも親しみのある国の一つです。学院内には、水道が完備されていない状況の中で子供達が水汲みの仕事をしている姿や、「JAMBO」という挨拶の言葉が書かれた絵等が飾られています。

 温情の会委員会(奉仕活動委員会)がケニアから届いた英語の手紙を読み、皆に趣旨を伝えるため、全校朝礼でパワーポイントを使ったプレゼンテーションを行い、募金活動をスタートさせました。生徒達は自分のお小遣いからお金を入れています。「何かを我慢して・・・」というよりも、「みんなですばらしいことに参加している!」という喜びが感じられるのが嬉しいことです。

 10代の子供達が学校を立てるプロジェクトに参与する――、あり得ないようなことですが、世界に広がる聖心ネットワークの中では珍しいことではありません。これまでにも、チリ、台湾等、多くの学校が、このような形で創立されてきました。

 日本の聖心も、他の国々からの祈りと大きなサポートによって1908年に創立されました。何より貴重なのは、多くのシスター方が、日本での教育のために、海を渡って来てくださったことです。その方々の多くは、生涯、祖国には帰りませんでした。このような尊い献身によって、不二聖心も今日の土台を作って頂きました。

 生徒達は、この機会を通して、世界の現実について考え、世界中の聖心の仲間と連帯しながら一つのことを作り上げていくという貴重な経験をしています。日頃のお金の使い方を振り返ることにもつながるでしょう。額の多少というようりは、真心のこもった献金をしてくれるよう願っています。