校長室から

2013年11月

2013.11.29

若さを価値あるものに(2013年11月29日)

 2013年3月19日、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が第266代教皇に選出されました。就任にあたり新教皇が選ばれた「フランシスコ」という名は、中世において教会改革に大きな役割を果たしたアシジの聖フランシスコにちなむもので、新教皇の素朴な人柄、貧しい人々との近さ、質素さ、謙虚さを感じさせます。そしてフランシスコ教皇が世界に向けて発するメッセージは、就任以来、霊的な深さと教会刷新に対する献身によって多くの共感を呼んでいます


2013年7月27日に行われたWYD(ワールド・ユース デー)リオデジャネイロ大会「夕の祈り」の講話の中で、教皇様は世界中から集まった350万人の若者に向けて次のように語られました。

 若い心は、よりよい世界を築くことを望みます。(中略)どうか変化の主役となることを他の人に任せないでください。皆さんこそが未来を手にしています。皆さんを通して世界に未来が到来するのです。どうかこの変化の主役となってください。無関心を克服し、世界のさまざまな地域に生じている社会と政治の不安に対してキリスト教的な答えを示してください。世界の建設者となってください。世界をよりよいものとするために働いてください。イエスは傍観者とならずに、自ら積極的にかかわりました。人生の傍観者とならずに、イエスと同じように積極的にかかわってください。
(カトリック中央協議会HPより)

 続く講話の中で、よりよい世界を築くことは「自分から始まる」こと、ゆえに一人ひとりが心を開き「神様に聴く」ことの大切さを強調していらっしゃいます。

 本年度も、学院で学ぶ全ての生徒たちが奉仕活動や体験学習に取り組みました。自分の殻から抜け出し、異なる文化や環境の中で生きる人々と出会い、心と頭と体を使ってかかわる体験の蓄積が、未来の担い手たちを、「人生の傍観者」ではなく「変化の主役」に、そして「世界の一員としての連帯感と使命感をもって、よりよい社会を築くことに貢献する賢明な女性」(教育理念より)へと育てていくことを願ってやみません。


(2013年度 「奉仕活動・海外体験学習」冊子巻頭言より)

2013.11.23

2013年11月23日

 修道院へ帰る道すがら見上げた夜空、満天の星です。塔の先端の十字架を囲む光を見ているうちに、秋のつどいの後、本館前で寄宿生を待っていらした保護者の方々との会話を思い出しました。友人との別れを惜しんでいるのでしょうか、なかなか現れない子供たちを待つには少し暗すぎるような気がして、「もう少し街灯が必要ですね」と申し上げたところ、にっこりと微笑まれ「これでかまいません」とおっしゃいました。そして、意外そうな顔をしたであろう私に、「星が綺麗に見えますから」と言われました。見上げると、大粒の星々が目に飛び込んできました。街灯については様々なお考えもあるでしょうが、このような詩的で落ち着いた心で待たれている子供たちは、とても幸せだと思いました。

アドベント(待降節)も近づき、学院にはクリスマス・キャロルの歌声が響いています。クラス毎に決めたプラクティスはクリスマスを待つ心を整え、チャリティセールの準備は子供たちの目を社会の現実に深く開かせていきます。こうして、今年も生徒たちは「本当のクリスマス」を体験していくことでしょう。暗闇の中でこそ、星は輝く――、キリストの誕生を告げる星に導かれて歩み続けた東方の博士たちのように、不二聖心で学ぶ生徒たちが、いついかなる時も愛と真理の光に導かれて歩み続けるよう願います。

不二聖心の澄んだ空気の中で瞬く星々が、今宵も寄宿舎で過ごす生徒たちを黙って見守っています。同じ星の光が、ご家族と共に過ごす通学生を見つめています。

2013.11.15

2013年11月15日

 秋のつどいが近づいて忙しそうにしている生徒たちに対して、卒業生の先生が、全校朝礼でこんなお話をされました。

私たちが不二聖心で学んでいた時、よく言われたことの一つは、『同時に2つ、3つのことをこなせるようでありなさい。ただし、バタバタせずに、エレガントにこなせるようでありなさい。』

 この助言の影響もあったのでしょうか、生徒たちの代表が集まる委員会で、今月の生活目標が「美・Elegant」と決められました。”Be Elegant” が新しい形で表現した発想がとても面白いと思いました。

 不二聖心女子学院の生活では、授業や試験、豊かな行事やアクティビティが多彩に織りなされていきます。上級生から伝えられる「マナーブック」の伝統も息づいています。そのような日々の中で培われる力を生徒たちが本当に実感するのは、物事が自分に都合よく起こるとは限らない社会に出た時かもしません。

”Elegant”ということばは、「他の人が敬意を払わずにはいられないような様」を表すと聞いたことがあります。生徒たちの内面性の豊かさが自然と顕れるのにはっとさせられ、思わず敬意を払いたくなる、そんな瞬間に今日も出会いました。

2013.11.07

2013年11月7日

 アメリカの絵本作家バーバラ・クーニーの「ルピナスさん」(掛川恭子訳 1987年ほるぷ出版)という本をご存知でしょうか?


「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたいのだよ」

 少女時代、祖父にこのように言われた主人公は、なにをすればいいのかわからないながらも、それを祖父に約束します。答えが見つからないまま年老いた主人公は、ある冬、背中の痛みを感じて床にふせる中、村中に大好きなルピナスの種を蒔くことを思いつきます。村の人々は初め彼女の行為を全く理解しませんでしたが、彼女は夢中で種を蒔き続けていきます。不思議なことに、その働きの中で背中の痛みも消えていきます。そして、次の年の春、村中が青や紫、ピンクのルピナスでうつくしくうめつくされるのです。ようやく祖父との約束を果たした彼女は、今度はこどもたちに、おじいさんと同じ言葉を伝えていく、というお話です。

 週末、出張先で以前読んでこの本に偶然出会い、今週、職員室の窓の下に出現した花壇を思い出しました。よく見ると花壇の端は古くから半円形に置かれていたらしい石で囲まれています。実はこれは、第5代校長のシスター木村が大事に作っていらした花壇なのだそうです。それを思い出した修道院の一人のシスターが、土に埋もれていた石をきれいにし、秋のつどいの準備で忙しい生徒や先生方が少しでもほっとするようにと、黙ってビオラの花を植え、花壇を再生してくださったのです。もちろん秋のつどいでいらっしゃる皆様のことも考え、11月3日に間に合わせてくださいました。

 不二聖心の生徒たちもまた、「世の中を、もっとうつくしいものにするために、なにかしなくては」という思いを大切に育てています。

(大阪にて)