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フィールド日記

2013.12.02

ニホンザル  今朝の富士山

坂道の途中でまたサルに出くわしました。


聖心橋の金網の外側をサルは悠々と歩いていきます。東名高速を走っている車に乗る人たちはこんな近くにサルがいるとは夢にも思わないことでしょう。

富士山も実にきれいでした。雪が降ってからますます宝永火口がくっくり見えるようになりました。宝永の大噴火が私たちに伝えるメッセージを時折、思い起こしたいものです。


 今日のことば

 平成二十四年八月十七日の岳麓新聞に「御殿場市 富士山文化遺産向け パンフなどを制作」という記事が載りました。続く十八日には「富士山の生物特別展を開催 裾野市」という記事が載り、そこには「富士山世界文化遺産登録に向けた動きが加速する中で、市民に富士山や山麓に広がる自然への理解を深めてもらうことが狙い。」とありました。これらの記事を読むと世界遺産の登録に向けて機運が高まりつつあることを感じます。このような流れの中にあって、みくりやに住む皆さんにぜひ思い出してほしい本があります。それは新田次郎の『怒る富士』です。文春文庫の裏表紙には、この作品のあらすじが次のように書かれています。「富士山噴火によって被害を受けた農民を救うべく奮闘する関東郡代伊奈忠順。だが幕府内の政争の前に、彼の努力もむなしく、農民達は次々に飢えていく。ついに忠順は決心する。たとえこの身がどうなろうと幕府米五千俵を秘かに農民に与えようと。」ここにあるように、物語の主人公は伊奈忠順で、その無私の精神は読む者に魂を揺さぶる感動を与えます。しかし、この物語の主人公は一人ではありません。この本は、宝永の大噴火が駿東郡五十九カ村の民にどれだけの言語に絶する苦難を与えたかを生々しく教えてくれます。その苦難と闘った駿東郡五十九カ村の民こそがこの物語のもう一方の主人公です。
 被災して以来、被災地から幕府へと毎年出されていた救済の嘆願文書が正徳三年から五年までの三年間、皆無となります。これは大きな歴史の謎です。その理由についての新田次郎の推論をぜひ本書を読んで確かめてください。三百年の昔の、みくりやの民に対する尊崇の念が湧きあがらずにはいられないと思います。
 富士山の世界遺産としての価値を論ずる視点はさまざまですが、そこに「人間の限界を超えた苦難を乗り越えた人々の歴史に深く関わる山」という視点を含めることを忘れてはならないと強く思います。    蒔苗博道