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フィールド日記

2011.05.11

『兄のトランク』とアカメガシワ

平成23年5月11日 水曜日

昨日の中学校朝礼で山本校長先生が、宮沢賢治の弟、宮沢清六さんのお宅を訪問した時の思い出話をなさり、
宮沢清六さんの『兄のトランク』(ちくま文 庫)という本を紹介してくださいました。お話をうかがって
『兄のトランク』を懐かしく思い出し、昨晩久しぶりに読み返して、次のような一節に出会いまし た。

賢治の生まれた明治二十九年という年は、東北地方に種々の天災の多い年であった。(中略)この年の六月十五日には、三陸海岸に大津波が襲来し、最高 二十四メートルの高波が海岸の家屋を破壊し、二万一千人の死傷者を出した。その上、七月と九月には大風雨が続き、北上川が五メートルも増水、家屋、田畑の 損害も甚大であった。
そして夏になっても寒冷の日が続き、稲は稔らず赤痢や伝染病が流行した。
賢治が日清戦争の直後に、この周期的に天災の訪れる三陸海岸に近い寒冷な土地に生まれたことと、
彼が他人の災厄や不幸を常に自分自身のものと感じないでいられなかった善意に満ちた性格の持ち主であった
こととは、実に彼の生涯と作品とを決定する宿命であった。

宮沢賢治が2011年を生きていたら、今回の震災に何を思い、どう行動しただろうかと考えずにはいられません。


不二聖心の校舎の裏道では、アカメガシワの葉が成長を続け、名前の由来となった赤い色も徐々に目立た
なくなってきました。蜜腺が育って甘い蜜を出すように なり、たくさんのアリが集まってきています。
アカメガシワは災害や開発などで緑が失われた地にいち早く芽生え、森林の傷跡をふさぐと言われています。
津波で緑が失われた地でもあちらこちらでアカメガシワが芽生え、たくましく葉を茂らせていくことでしょう。