フィールド日記
2013.02.13
白い綿毛のコウヤボウキとピンクの綿毛のコウヤボウキ
2013.02.13 Wednesday
2月12日のクローズアップ現代で、智弁和歌山の高嶋仁野球部監督が指導者としての精神的修養のために約20キロの高野山町石道を歩いているという事実を報じていました。
不二聖心の中にも心を整えるのにふさわしい道はたくさんありますが、とりわけ第2牧草地から東名カントリーへと続く林道(生徒は5月のオリエンテーリングの時にこの道を歩きます。)は心が落ち着く道です。この道は、日本各地で絶滅危惧種に指定されている希少種の宝庫でもありますが、今の時期は高野山に関わりのあるコウヤボウキ(高野箒)が種子をつけている姿を見ることができます。(コウヤボウキは宮城県で絶滅危惧Ⅰ類、群馬県で準絶滅危惧種に指定されています。)コウヤボウキは、通常は白い綿毛の種子をつけますが、今年はピンクの綿毛の種子をつけている木が2本だけ確認されました。とりわけ希少なコウヤボウキかもしれません。
関連するホームページ
http://www.wakayama-kanko.or.jp/kataribe/01/about_index.html
今日のことば
目が弱くなりました。よくは見えないのですよ。でも、それはいつも朝もやのときと夕暮れのとき、いちばん物静かな詩の雰囲気が漂うということなのです。私は今、なんと幸せなのでしょう。いつも薄明のなかにいて、いらないものが詩のたたずまいを妨げるということと戦う必要がなくて、もう動けなくなったので散歩にも行けないけれど、いつも詩の風景のなかにいます。思い出の風景もオーリヴァの顔も、目がはっきりと見えていたときでさえ、こういう神の吹き下ろしてくださる靄や霧のなかにありました。友信さん、健やかなあなたももう七十ですから、こういうふうにならないとも限りません。でも人間の運命にはいつもゴッテスドゥフト(神の香気)が漂うのを忘れないようになさいね。
ヴァレスカ・クリューガー・フォン・レンスキー
2013.02.12
雑木林で見つけたウスタビガの繭 牧草地のタネツケバナ
2013.02.12 Tuesday
第2牧草地の上の雑木林でウスタビガの繭を見つけました。先日は第1牧草地の横の道で見つけたウスタビガの繭を「不二聖心のフィールド日記」で紹介しました。不二聖心では、かなり広範囲でウスタビガが生息していることがわかります。
関連する「不二聖心のフィールド日記」
フィールド日記 2012.11.29 ウスタビガの交尾 森の中の鳥の声
第2牧草地の入り口のところには、タネツケバナが咲いています。アブラナ科の植物によく見られる細い棒状の実が写真でもはっきり確認できます。早春の野を彩る小さな命の姿です。
今日のことば
信仰とは己の神に耐えることだと思うほど、神の恵みが見えにくいときがあります。皮をむかないことには実の食べられないのが果物の常ですが、恵みもときに固い皮の下に潜んでいて、わかりにくいこともあります。すでに存在する恵みを辛抱の末に発見することが信仰の道だとも言えます。人生はそれゆえ自分に与えられた恵みを発見する旅なのです。
今道友信
2013.02.11
シダらしくないシダ トウゲシバ
2013.02.11 Monday
林道の脇にかたまって生えているトウゲシバをよく見かけますが、一か所だけ今の時期に胞子をつけているトウゲシバの生えている場所を見つけました。黄色い胞子のうを見ると、杉の稚樹のようにも見えるトウゲシバがまぎれなくシダ植物であるということがよくわかります。手で触れると黄色い胞子の粉があたり一面に飛び散りました。トウゲシバは鹿児島県で準絶滅危惧種に指定されています。またフペルジンAを含むために医科学の分野でも注目されている植物で、トウゲシバの成分を含むサプリメントは、学習能力や記憶力の向上に効果があるという説もあるようです。
参考ホームページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%B3A
今日のことば
君の一日の中の一時間を、君の魂の最も純粋な声のためにささげる習慣をつけたまえ。その習慣のためには、新聞雑誌や宣伝文ではない、古今東西の永遠の書物や、また最良の音楽がたしかに助力を与えてくれる。それらの書物、それらの音楽に、君自身の魂の立場から触れたまえ。
片山敏彦
2013.02.10
春の訪れ オオイヌノフグリが咲きました
2013.02.10 Sunday
今日は久しぶりに第2牧草地を歩いてみました。牧草地を覆っていた外来種のメリケンカルカヤは不二農園の方々によって見事に刈り取られていました。
牧草地の脇の道ではオオイヌノフグリを見つけ、春の訪れを実感しました。稲垣栄洋さんの『身近な雑草のゆかいな生き方』という本にはオオイヌノフグリの学名ついての興味深い文章が載っています。その一部を引用します。
オオイヌノフグリの学名は「ベロニカ」という。重い十字架を背負って刑場に向かうキリストの顔の汗を拭いてあげた女性のハンカチに、キリストの顔を浮かび上がるという奇跡が起きた。この女性の名がベロニカである。オオイヌノフグリの美しい花をよく見ると、キリストらしい人の顔が浮かび上がっている。これがベロニカと呼ばれるゆえんである。なんと高貴な名なのだろう。
花に浮かび上がったこのキリストの顔は、実はハチやアブを呼び寄せるための模様である。四枚の花びらには中央へ向かって蜜のありかを示すガイドラインが引かれている。まさに迷えるハチたちを導いているのである。
今日のことば
恐れなければ、人生はすばらしいものだ。人生に必要なもの。それは、勇気と想像力、そして少しばかりのお金である。
チャーリー・チャップリン
Yes, life is wonderful, if you’re not afraid of it. All it needs is courage, imagination, and a little dough.
2013.02.09
ウメノキゴケと中国の大気汚染
2013.02.09 Saturday
本館前の築山の紅梅はしばらく前から花を咲かせていますが、白梅はまだ蕾です。同じ梅でも種類によって開花時期が大きく異なることがわかります。
不二聖心の梅の木には地衣類のウメノキゴケがたくさん付いています。空気が汚れてくるとこのウメノキゴケは姿を消すと言われます。つまりウメノキゴケは環境調査の一つの指標となるということです。中国の大気汚染の影響が懸念される今、周辺のウメノキゴケの状況を調査しておいて、その後の変化を見守ることも重要な意味を持つように思います。
参考ホームページ
ウメノキゴケを用いた環境調査について
http://www.asahi-net.or.jp/~ep3n-kizm/asobo/umenoki.htm
今日のことば
時実利彦先生がおっしゃっていたことを思い出します。子どもに「考えさせる」ということをした人がいちばん教師としてすぐれている、……できるようになったか、ならないか、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実、「考えなさい」と言った人ではなくて、考えるということを本気でさせた人が、いちばん偉いとおっしゃったのです。それだけのために教師はあるぞと、先生はおっしゃったのです。
大村はま
2013.02.08
クヌギエダヒメコブフシ
2013.02.08 Friday
不二聖心で初めて、クヌギエダヒメコブフシという虫えい(虫こぶ)が確認されました。『日本原色虫えい図鑑』では、クヌギエダヒメコブフシが次のように説明されています。
直径2~数mmの半球形あるいは不整球形の膨らみがクヌギの小枝に連なって形成される虫えいで、表面は平滑、淡緑~緑褐色。ときには葉柄や中肋に形成されることもある。連なった虫えいには多くの幼虫室があるが、1個の幼虫室には1匹の幼虫が入っている。この虫えいからはタマバエの他にタマバチや甲虫類の幼虫が得られることもあり、複雑な複合体が構成されている。少なくともタマバエが虫えい形成者であることは確実であるが、タマバチなどとともに複合虫えいを形成している可能性もある。
虫えい(虫こぶ)は、互いにつながりあう自然界の象徴のような存在だと常々思っていますが、クヌギエダヒメコブフシは、とりわけ複雑なつながりを作り出しているようです。
今日のことば
昨日の新聞から72 平成18年6月26日(月)
『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社編)を読む
―― 少年院から届いた詩集 ――
6月15日の朝日新聞の「折々のうた」に次のような歌と大岡信の文章が載りました。
この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し
島秋人(しまあきと)
『遺愛集』(昭四二)所収。昭和四十二年(一九六七)年十一月二日、小菅刑務所で死刑を執行された死刑囚。警察官だった父が敗戦で失職し、自らも中学を出て非行少年となった。新潟県の農家に深夜忍びこみ、主人に重症を負わせ、その妻を絞殺、金品を奪って逃走するがまもなく逮捕された。獄中で短歌を独習し、毎日新聞の歌壇欄に投稿、選者窪田空穂を師父と仰ぐ。多くの愛読者があった。右は刑死前夜の作。三十三歳。
この「折々の歌」を読んで、久しぶりに島秋人のことを思い出しました。『遺愛集』は大学時代の僕の愛読書であり、刑務所での日常を愛おしむ歌を繰り返し読んだことを覚えています。新聞に載った歌には、処刑というかたちで人生の最期を迎える直前の心境が「この澄めるこころ」と表現されていますが、島秋人が落ち着いた静かな心で死を迎えたことは、処刑当日書かれた手紙からもうかがい知ることができます。短歌と出合うきっかけをつくってくれた吉田絢子さんに宛てた手紙を引用してみましょう。
奥様
とうとうお別れです。思い残すことは歌集出版が死後になることですね。被害者の鈴木様へのお詫び状を同封しますので、おとどけくださいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守ってくださいね。父たちもかわいそうな被害者なのです。
短歌を作ってよかったと思って感謝しています。僕のことは刑に服してつぐないする以外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。
島秋人の歌と手紙を久しぶりに読んで、僕は次の言葉を思い出しました。刑務所で五十年にわたって作歌の指導をしてきた扇畑忠雄の言葉です。
「わたしは年齢こそ上だが、人生では彼らがベテランです。悪いことをし、苦しんでいるのだから。石ころを蹴飛ばし、花を千切って歩いていた人が、歌を通じて見るものが新鮮に感じられるようになれば、すばらしいことですね」
実は、偶然にも、この一週間の間にもう一度、この言葉を思い出すことになりました。それは『雨のふる日はやさしくなれる』という詩集と出合ったことがきっかけでした。『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリー)がどのような本かを伝えるために、嶋谷宗泰さんの「発刊にあたって」の文章を引用してみます。
少年の詩は、心の底の感動を素直にうたい上げるものです。日々の生活の中で、いろいろな思いが心につまって、豊かな感動となり、それがあふれて、濃縮された言葉で表現されたものが少年の詩だと思います。
少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。
八街(やちまた)少年院に来た少年たちはそれぞれ相当に非行の進んだ少年たちです。入院する前は人を傷つけ、自分をも傷つけ、人間であることを自ら拒絶したようなすさんだ心情に身をおいた少年たちです。人間らしい豊かな感受性や知性を堅い殻の中に閉じ込めて、全て無気力に、あるいは野獣のように荒れてきままな生活を送ってきた少年たちです。その少年たちに詩を書かせたいと思いました。一見それはたいへん不釣り合いなのですけれど、不釣り合いだからこそ、やる価値があると考えたのです。
しかし、ここで目指したものは、文学や芸術としての詩ではありません。生活の中の喜びや悲しみを素直に感じ取って、それを簡潔に表現することで、一生懸命生きてゆくことの尊さや、苦労しながら成長することの楽しさを少年自らが認識してゆく方法として詩を指導したいと思ったのです。つまり、芸術として詩を作らせるのではなく、教育として、心を育てる手段として、生活詩を書かせようと考えたのです。勿論、結果として、少しでも芸術の香りのする作品ができるに越したことはありません。しかし、芸術的な価値がなくとも、少年が真剣に考え、感じ取り、その感動を表現することができることをこそ、大切にしたいと思いました。たとえ表現が優れていても、その言葉に真の生活実感がこもっておらず、いわば口先だけで書いたのでは、詩は教育としての力を持ち得ません。表現が稚拙であっても、感動する心をこそ、大切にしてゆきたいと思いました。
詩の指導を開始してほぼ二年がたちました。月に1回程度、全員を集めて、少年たちの作った詩をプリントして配り、それを大きな声で朗読しました。その詩の良いところを話しました。そして、詩は心の感動を表現するものだから、感動を表現できる豊かな心がなければならないということを、だから、詩を作るということは、心を耕して心を豊かにすることなのだということを繰り返し話しました。表現の上手、下手はあまり問題にしませんでした。表現の指導よりも、心の持ちよう、ものの見方や感じ方を指導しました。
嶋谷宗泰さんは、「少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。」と書いていますが、少年たちの詩を読むと、嶋谷さんの思いが見事に実現していることがよくわかります。少年の詩をいくつか紹介してみましょう。
なりたい 和規(幼い頃から父母の葛藤の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えた。)
心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい。
うそ 昌士(父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けた。)
今日 詩の話があった
僕の名が二つもあった
素直に嬉しかった
寮にもどると
うそが うまいなあ
と みんなに言われた
悲しかった
僕の生活がみんなに
そう言わせているのかな
人の祈り 兵吾
人は誰でも祈る
自分の都合に合わせて祈り
それが叶うと喜び 叶わぬと怒り
それでも人は祈り続けて
人など勝手なものだ
無論 私も自分のためにしか祈ったことがない
しかし
人は
自分以外の人のために 祈ることもあるという……
いつか
私も人のために祈ることができるだろうか
本当に人のために祈ることがあるだろうか
ごめんなさいが言えなくて 吉之
ごめんなさい
その一言が言えなくて
多くの人を不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
自分をこんなに不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
後悔だけが残った
ごめんなさい
心からこの一言が言えていたら
俺は今ごろ何をしていただろう
嶋谷さんは「思えば彼らは、これまでに、幾度も挫折し、深い悲しみと苦しみを重ね、悩み、若くして大いに苦労を重ねて生きてきたわけで、いわば大変な苦労人です。彼らの詩には、彼らでなければ書けない、若い苦労人の優しさがあるように思われます。」と書いています。
本当に苦しんだことがある人だけが持ち得る優しさがある。そのことを、島秋人も扇畑忠雄も嶋谷宗泰も、そして少年たちも教えてくれているように思います。
2013.02.07
校舎の裏で5年連続ツチグリの発生を確認
2013.02.07 Thursday
平成21年の春から4年続けて校舎の裏でツチグリ(Astraeus hygrometrics)の発生を確認してきました。5年目の今年はどうかと楽しみにしていましたが、今日、5つのツチグリの発生を確認することができました。学名のAstraeus hygrometricsは「星形の湿度計」という意味です。外皮が裂けて開いた状態がまさに星形をしているのが、写真からもわかります。NHKの関連のホームページでは、ツチグリが開いていく時の素晴らしい映像が公開されています。
http://www.nhk.or.jp/rika/micro/?das_id=D0005100146_00000
今日のことば
植物が地上にあらわれたのは四億五千年前。それからの長い年月、植物にとって平穏無事な毎日ばかりではなかった。地球の歴史のなかで、植物は気候の変動を乗り越え、あらゆる環境に適応していった。あるときは病原菌にむしばまれ、あるときは迫り来る動物や昆虫から身を守らねばならないこともあっただろう。また、あるときには生活空間や光を奪い合って、ほかの植物と激しい生存競争を繰り返すこともあったにちがいない。そして、あるものは、昆虫に花粉を運ばせるために花を発達させ、あるものは鳥に種子を運ばせるために果実を発達させた。
こうして生き残りをかけて、壮絶ななかにも華麗なる進化を遂げた植物たちは、さまざまな特性を身につけたのである。そして、人間はそれを利用して文化を創造し、豊かな暮らしを築き上げた。何気ない日々の暮らしのなかで活躍する植物も、そのルーツをひもとけば、人間と植物それぞれの思惑が交錯したドラマが存在するのである。
稲垣栄洋
2013.02.06
東北大学で温暖化指標生物と見なされたヤツデ
2013.02.06 Wednesday
東北大学の広報誌『まなびの杜』に東北大学名誉教授の鈴木三男先生が、興味深いことをお書きになっていました。仙台で見られるヤツデは、かつては冬の寒さで枯れていたのに最近は越冬できるようになったというのです。地球温暖化の影響であろうということでした。不二聖心では築山のヤツデが白い実をつけています。これからは不二聖心でヤツデを見るときにも温暖化指標の植物という視点を持って見ていきたいと思いました。
今日のことば
ほんとうに、世のなかが機械化し、便利になればなるほど人間は、なでさするようにして物をだいじにし、具体的な物から影響を受け、物から学ばなくてはならないのである。物が自分を育ててくれることを考え、物をだいじにしていかなければならないのだ。そういうことをしないと、みんなふわふわしてしまい、自分や自分の考えのない、機械の部品のような人間になってしまうのだ。
斎藤喜博
2013.02.05
シダからタマアジサイに寄主転換するコモチシダコブアブラムシ
2013.02.05 Tuesday
2月3日にヤマイタチシダの葉裏から採集したアブラムシがコモチシダコブアブラムシであることがわかりました。このアブラムシはシダからタマアジサイへと寄主転換します。なぜシダの次がタマアジサイなのか。自然界の不思議は尽きません。
今日のことば
自我を抑えて無差別智を働かせている時には真我があらわれる。私についていえば、数学の研究に没頭している時は、私は生きものは決して殺さないし、若草の芽もみな避けて踏まない。だから真我の内容は慈悲心であることがわかる。私はこれを数学の研究によって体得したのだが、真、善、美、どの道を進んでもみな同じだと思う。
岡潔
2013.02.04
図書館の花壇の紅梅
2013.02.04 Monday
図書館の前の花壇の紅梅がしばらく前から咲き始めています。梅の品種は無数にありますが、これは緋梅系と呼ばれる種類で枝の髄まで紅いと聞いたことがあります。紅梅の紅色は木全体で生み出している色なのかもしれません。
今日のことば
さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥(くら)き遊星に人と生れて
山中智恵子