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フィールド日記

2013.02.03

ついにタゴガエルが鳴きました

  2013.02.03  Sunday 

 不二聖心には、「幻のカエル」と呼ばれるタゴガエルが生息しています。タゴガエルは、岩穴の中で生活し真冬に産卵するという珍しいカエルの生態です。(写真はタゴガエルの生息場所を移したものです。この崖の中から声が聞こえてきます。)真冬に一度冬眠から目覚め、交尾・産卵をして再び眠りにつくと言われます。2月に入ってから、交尾期に聞かれる鳴き声がしていないか、観察してきましたが、ついに今日、鳴き声を録音することができました。富士山麓全体でもタゴガエルの生息場所はほとんど残っていないと言われます。貴重な鳴き声をどうぞお聞きください。

 

 

 今日のことば

 昨日の新聞から266 平成24年5月28日(月)

 『幻のカエル ―― がけに卵をうむタゴガエル ――』
(大木淳一 新日本出版社)を読む
―― 幻のカエルを不二聖心で発見 ――

 数年前の二月の寒い日のことでした。不二聖心の裏道を歩いていて「グワッ、グワッ」という不思議な声を耳にしました。声の出所を探ってみると、裏道の壁面にできた岩穴にたどりつきました。その穴の奥から「グワッ、グワッ」という声が、少しずつ間を置きながら聞こえてきていたのです。
おそらくカエルの声ではないかと思って調べてみたら、アカガエル科のタゴガエルという種類のカエルが岩穴の奥で生活していることがわかりました。それからこのカエルについての興味が高まり、いろいろな文献を読みましたが、その中で最も興味深かったのは『幻のカエル ――がけに卵をうむタゴガエルーー』という絵本でした。作者は大木淳一さん。大木さんは千葉県立中央博物館の学芸員で専門は地質学です。地質学とタゴガエルは一見、結びつかないように思うかもしれませんが、実は地質学者としての知識がタゴガエルを研究する上で非常に役に立ったのです。タゴガエルは特殊な環境にしか生息できないカエルで、その環境には地層の成り立ちが深く関わっているからです。
生息環境と聞こえてくる声から、岩穴の奥にいるのはタゴガエルに間違いないと思っていましたが、できれば声だけではなく実際の姿を見てみたいとずっと思い続けてきました。
今年の春は慶応義塾大学のカエルの専門家の先生にも、不二聖心の岩穴の画像を見ていただき、いかにもタゴガエルがいそうな場所だというお答えをいただきました。先生からのアドバイスを参考にインターネットでタゴガエルの鳴き声を再度確認し、穴からの声と全く同じであることも確かめました。こうして岩穴の奥には間違いなくタゴガエルがいると確信するに至ったのです。
しかし、それでも一度実物を見てみたいという思いはなかなか捨てきれませんでした。穴の中に頭を突っ込んで必死に穴の奥をペンライトで照らしたりもしてみましたが、タゴガエルの姿は見ることができませんでした。
そんなある日のことです。岩穴の様子を見ようとすると、穴の手前に何か光るものを見つけました。よく見ると卵塊です。それはどう見てもカエルの卵塊でした。
日本でよく見られるアカガエル科のカエルは3種います。3種は非常によく似ていて見分けるのは容易ではないのですが、卵には大きな違いがあります。穴の前に落ちていた卵は間違いなくタゴガエルの卵でした。
ここで一つ疑問が生じます。タゴガエルは岩穴の中に卵をうむカエルなのに、なぜ岩の外に卵が落ちていたのかということです。 
一つだけ考えられる理由がありました。
この発見をする数日前、静岡県東部は大雨に見舞われました。その時には、タゴカエルの住処を含む地層にも大量の雨水が流れ込んだと想像できます。その雨水がタゴガエルの卵を岩穴の中から外へと押し流した可能性が考えられるのです。
流れ出した卵をいくつか自宅に持ち帰り、飼育を試みましたが成功しませんでした。もしすべての卵が押し流されたとしたら、今年は新しい世代が誕生しないということになってしまいます。穴の中にまだ卵が残っていれば、世代がつながることになります。それを確かめる方法が一つだけありました。タゴガエルは子ガエルになったら一度、岩の外に出てくる習性があるのです。運がよければ子ガエルの発見によって世代が途切れなかったことを確認できるかもしれないのです。
5月16日の朝のことでした。
岩穴の周辺を確認していると、イワボタンの葉の上に何やら茶色いものが乗っています。それは体長わずか七ミリの子ガエルでした。ついにタゴガエルの姿を確認できたのです。一匹見つかると次から次にカエルを発見することができ、最終的には10匹近くのカエルを確認することができました。(5月16日の「不二聖心のフィールド日記」参照)
タゴガエルは特殊な環境にしかすめないカエルです。具体的には上下二つの地層の重なりが必要です。しかも上は水を通す地層、下は水を通さない地層でなくてはなりません。そして間に空間が必要です。上の層からしみ出した水が下の層の上にたまり、そこが水たまりになります。その水たまりがタゴガエルの生息場所となるのです。
この地層の成り立ちには富士山の火山活動が影響しています。富士山の噴火によって積み重ねられた火山灰が不二聖心の地層の中には確実に含まれています。不二聖心という「富士」の名をいただく学校にとって、富士山の火山活動に密接に関わる生き物は、特別な意味を持つ生き物だと言えるでしょう。
タゴガエルの観察会を開きたいと願っていましたが、いつのまにかカエルは姿を消してしまいました。穴の中に戻っていったのか、それとも別の場所に移動したのか、あるいは天敵に襲われたのか、それはわかりません。カエルの実物をお見せすることは難しくなりましたが、『幻のカエル ―― がけに卵をうむタゴガエル ―― 』を読めば、タゴガエルをたっぷり楽しむことができます。
最後に『幻のカエル ――がけに卵をうむタゴガエルーー』のあとがきを引用しておきましょう。

 これってカエルの本? ちょっと地味だなと思われた方がいるかもしれません。
でも、生き物って、大地を形作る地質の影響を受けているんだなーと感じた場面をつづっていったらこの本ができ上がったのです。
タゴガエルというあまり知られていないカエルに注目したことで、地質学しか知らなかった時に歩いた山でも、今では自然の見方がガラッと変わってしまいました。
これも博物館に学芸員として勤めて専門分野を気にしないでフィールドを歩き、生き物たちと触れ合いながら自然の仕組みを調べてきた結果だと思います。
過去に何が起きていたのか、今何が起きているのかを、貴重な資料だけでなく身のまわりの何気ない情報(資料)も蓄積し、後の世代の人たちへ伝えること、それが博物館の使命だと思います。これからもいろいろな形でみなさんに自然の仕組みを紹介していきます。
何が人生の転機となるか分かりません。博物館へ出かけて展示を見るも良し、観察会へ参加して自然と触れてみてはいかがでしょうか? きっと素敵な出会いがありますよ。

2013.02.02

『大草原の小さな家』の作者は本当にポポーを見たのか



2013.02.02 Saturday

今日の「天声人語」は、「寒のゆるみ」という言葉で始まっていましたが、その言葉がふさわしい暖かい一日となりました。静岡市では21.7度の最高気温を記録し、全国的にも3月中旬から5月上旬の気候であったということです。この暖かさのためか、イスノフシアブラムシから寄生蜂のツヤコバチが2匹羽化しました。ここのところ続けて羽化が確認されており、ツヤコバチがイスノフシアブラムシの体を越冬場所として利用している可能性が高まってきました。寄主特異性についての研究が進めば、アブラムシの生物農薬としての利用も可能になるかもしれません。
さて、1月28日の「不二聖心のフィールド日記」で、不二聖心のお茶畑の生えているポポー(写真参照。2011年10月に撮影したものです。)がローラ・インガルス・ワイルダーの『わが家への道』に登場することに驚いたと書きました。「小さな木になった見るからに甘く熟れた、わたしの知らない果物など、とにかく、野生の果物が、たわわに実っているのだ。」という一節に「野生の柿とポポー(北米温帯地方産の果樹)」という注がついていたのです。ここで疑問に思うことは、なぜ「わたしの知らない果物」とだけしか書かれていないのに、「野生の柿とポポー」と限定できるのかということでした。その疑問を解消するためには、原文にあたるしかないと思っていしまたが、今日、その原文を確認することができました。原文は次のようになっていました。

 luscious-looking fruits ripening in little trees that I don’t know※ , a lavishness of fruit growing wild.
※ These were wild persimmons and pawpaws.

 注は翻訳時につけられたものではなく、原書にもついていたのです。ポポーは北アメリカの植物相を考える上で大切な植物でもありますので、もう少し調べを進めてみたいと思います。

 


今日のことば

「小さな家シリーズ」は、家族の物語であり、したがって主人公はローラだけではない。とうさん、かあさん、メアリ、キャリー、グレイス、そして、アルマンゾ、ローズ、それぞれが実際に生きていた人たちであり、だれ一人として欠けてはならないほど個性的なキャラクターである。ローラは自分の家族を自慢の財産だと誇りにし、家族との思い出を「消えてしまうのはもったいないほどすばらしい」と思って、この物語を書いた。開拓時代の歴史は決して楽ではなかったはずだが、ローラの筆にかかると、冬の吹雪も、こわい狼のほえ声も、じめじめした土の家も、すべてが冒険の対象になる。ローラは生きることを楽しむ達人であり、それは終生変わらなかった。
「『大草原の小さな家』の世界について」(谷口由美子)より

2013.02.01

すすき野原の乾し草  フィトンチットの効用

  2013.02.01 Friday

 不二聖心で以前、理科を教えてくださっていた保坂貞治先生が、岳麓新聞に「緑の地球環境3 日常生活の中でのフィトンチットの効用」というタイトルの文章をお書きになりました。たいへん興味深い内容でしたので、一部を引用してみたいと思います。

野菜が淡白な味で癖がなくて食べやすいのは長い間の品種改良のたまものです。その結果、野菜は食べやすくおいしくなりましたが、私たちが畑から採集して持ち帰り、食べ残したり忘れて放置すると数日で痛み、やがて腐ってしまうのです。山野草には、本来生長の過程で出合う様々な細菌や微生物などから身を守る自己防衛物質のフィトンチットがあります。この成分は野菜の持つエゴミや辛み、あく、香りの成分です。この成分は食べにくいが何かしら薬効があり、健康に良い効果があります。山野草は採集したり、刈り取ってそのまま放置しても、この成分のお陰で腐らず水分を失うが、乾燥して干からびることを経験的にご存じだと思います。土手の草を刈ってそのままにして置くと、乾草になるのはそのためなのです。

 不二聖心でもすすき野原の縁に刈り取られた草が積まれていて、いつのまにか乾し草になっていました。この姿こそが野の草であることの証だったのです。

                               今日のことば

                      欲無ければ一切足り、求むるあれば万事窮す。

    
                                                                                                                   良寛

2013.01.31

有明の月  炭焼きの歴史とクヌギとクヌギエダイガタマフシ

  2013.01.31 Thursday

 午前7時30分頃のすすき野原の写真です。中心に有明の月が見えます。今日は陰暦では12月20日です。国語の授業では「陰暦の16日以降に夜があけても空に残っている月」が「有明の月」だと教えます。

 不二聖心のお茶は、かつては敷地内のお茶工場で作られていて、製造する時の燃料として炭を使っていた時代がありました。炭焼きも敷地内で行われていたのです。不二聖心にクヌギの木が多いのは、炭焼きの材料としてクヌギが使われていたことと関係しています。クヌギに集まる生物の種類は無数といってよく、クヌギの多さが不二聖心の生物多様性を高めてきたと言えるでしょう。下の写真の虫こぶはクヌギエダイガフシで形成者はクヌギエダイガタマバチで、クヌギにつく代表的な虫こぶです。その下の写真のハチはクヌギエダイガタマバチの寄生蜂です。寄生によって生物多様性はさらに高まり、生態系は安定性を増していきます。

 


 

 

今日のことば

       半世紀前に(戦争で)殺され ものいわない白骨となった
       数えきれないほどの 人々のなかから
       せめて
       一人の少女の
       一人の少年の
       面影を
       そっと胸のなかにしまいましょう。

「1995・千鳥ヶ淵で」(石川逸子)より  

2013.01.30

ラッパズイセンが咲きました

 

 2013.01.30 Wednesday

 グラウンドの横の道にラッパズイセンが咲きました。通常は3月に開花するとされるラッパズイセンですが、早いものは今の時期から目にすることができます。明治時代に日本に渡来して以来、早春の花として親しまれてきました。英名はDaffodilでワーズワースの詩でもよく知られています。不二聖心の中学3年生は、ワーズワースがラッパズイセンを歌った詩を全員暗唱することができます。

 

今日のことば 

私たちが生きてゆくということは、誰かを犠牲にして自分自身が生きのびるのかという、終わりない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。近代社会の中では見えにくいその約束を、最もストレート受けとめなければならないのが狩猟民である。約束とは、言いかえれば血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえてもよい。そして、その悲しみの中から生まれたものが古代からの神話なのだろう。

星野道夫  

2013.01.29

朝のすすき野原  イスノフシアブラムシの赤ちゃん

  2013.01.29 Tuesday

 今朝のすすき野原の風景です。すすき野原の向こうには昨年の8月に「夏休み子供自然体験教室」で「生き物探しゲーム」を行った牧草地が見えます。不二聖心で見られる広大な自然の風景です。
日が長くなったために早朝でもこれだけ明るい写真が撮れるようなりました。

 

 イスノフシアブラムシが1ミリの子供を生みました。イスノフシアブラムシは今の時期は卵ではなく子供を生みます。つまり胎生ということです。大きさは1ミリ程度でした。不二聖心で見られる小さな命の姿です。
この小さな命がやがて成長して、「ひょんなこと」という言葉の語源となった虫こぶをイスノキに作ります。


今日のことば                         
   

 十八歳の頃だった。北方の自然に憧れていた。シベリアでもアラスカでも、北海道でもよかったのかもしれない。子どもが夢を託すような、説明のつかない、漠然とした憧れだった。
ある日、神田古本屋街の洋書専門店で見つけた一冊のアラスカの写真集。次のページの写真がめくる前にわかるほど、僕はこの本を読み尽くしてゆく。アラスカに関する情報がなかった当時、その本が、自分の現実をつなぎとめていた。その中に小さなエスキモーの村の空撮の写真があった。夕陽がベーリング海に沈もうとする、逆光のいい写真だった。僕はこの写真の持つ不思議な光線に魅かれていた。そして、どうしてこんな荒涼とした場所に人間の生活があるのかと、写真の持つ背景に心を奪われていった。
この村を訪ねてみたいと思った。写真のキャプションにShishmarefと書いてある。地図の中にその文字を見つけた。しかし訪ねようにも方法がわからない。手紙を書こうにも住所がわからない。辞書でmayorという単語を見つけた。「代表者」……きっと村長のような意味だ。これでいこう。

      Mayor
      Shishmaref
      Alaska  U.S.A

 それから半年がたち、何の返事もないまま、僕は手紙を出したことさえ忘れかけていた。ある日、家のポストに、外国郵便の封筒が落とされた。

      Cliford  Weyiouanna
      Shishmaref
      Alaska

遠いアラスカがすぐそこで、自分の憧れを受け止めていた。
そしてこの村で過ごした一九七一年の夏。
この旅は、僕にひとつのことを教えてくれた。それは、こんな地の果てと思っていた場所にも人の生活があるというあたり前のことだった。人の暮らし、生きる様の多様性に魅かれていった。どんな民族であれ、どれだけ異なる環境で暮らそうと、人間はある共通する一点で何も変わらない。それは、だれもがたった一度のかけがえのない一生を生きるということだ。世界はそのような無数の点で成りたっているということだ。シシュマレフ村でのひと夏は、時がたつにつれ、そんな思いを自分に抱かせた。

星野道夫  

2013.01.28

雪化粧したグラウンド  ローラ・インガルス・ワイルダーとポポー

  2013.01.28  Monday

 昨夜、裾野市では雪が降り、グラウンドもうっすらと雪化粧しました。


 

 『大草原の小さな家』で有名なローラ・インガルス・ワイルダーの『我が家への道』を読んでいたら、「どっさりなっている黒イチゴ、桃やプラムやサクランボの苗木、小さな木になった見るからに甘く熟れた、わたしの知らない果物など、とにかく野生の果物が、たわわに実っているのだ。」という一節がありました。そこには注がついていて、「わたしの知らない果実」とは「野生の柿とポポー(北米温帯地方産の果樹)」のことだと書いてありました。実は、なぜか不二聖心にはこのポポーが茶畑にあるのです。確かに夏に甘い実がなります。ローラも知らなかったポポーですから、私たちの多くにとっては全くなじみのない樹木です。今は葉も実もつけていませんが、枝ぶりや冬芽を見るだけで特徴的な樹木であることがわかります。

 

             

今日のことば   

                      
    
考えるというのは、つまり言葉で考えることなんだ、ということに自分で気がついたのも、その木の上の、本を読む小屋であったことを思い出します。林の木々の一本、一本がまっすぐ立っているのを眺めるのが好きで、人間も(自分も!)ああいうふうであったらいい、と思いました。その人間の生き方への思いのなかには「しなやかさ」が、そして大学に入ってから知ることになる、upstanding、まっすぐひとり立つという英語の感じが、ふくまれていたように感じます。

大江健三郎  

2013.01.27

イスノフシアブラムシからツヤコバチ現れる  生物農薬と化学農薬

 

 2013.01.27 Sunday

 イスノフシアブラムシから寄生蜂が出てきました。ツヤコバチ科のハチで体調は2ミリ程度です。ツヤコバチ科には生物農薬として市販されているオンシツツヤコバチやシルベストリコバチなどがいます。生物農薬は化学農薬に比べて残留毒性が低いという利点があり、ツヤコバチの研究は生態系の維持のために重要な意味を持ちます。

今日のことば

 ミツバチの大量失踪。謎の異常現象が2000年代後半から世界的に顕在化してきた。ウイルス、ダニ、環境変動など様々な要因が取り沙汰された。
そんな中、いまひとつの物質名が浮上しつつある。ネオニコチノイド。害虫には卓効、人間には無害。少量で効き目が持続するから減農薬になる。画期的な新農薬として日本では水田に大量散布されるようになった。著者はこれを、企業、政府、農協、あるいは食の問題に敏感なはずの生協でさえもが参加して作り上げた「もうひとつの安全神話」だと指摘する。
効果が持続するがゆえに中長期的な影響こそが問題なのだ。実験データはこう告げる。致死量以下でも、ネオニコチノイドを浴びたハチは神経を侵され巣に帰らなくなると。
自然は動的平衡の網目からなりたつ。ひずみは全体に伝播する。ゆっくり時間をかけて。これは想定外の事象でない。私たちは意識の警戒レベルを上げなければならない。

『新農薬ネオニコチノイドが日本を脅かす』の書評(福岡伸一)  

2013.01.26

シダらしくないシダ マメヅタ

 

 2013.01.26 Saturday
文一総合出版の『シダハンドブック』には「シダらしくないシダ」というページがあって、そこでマメヅタというシダが紹介されています。写真に写っているのが、そのマメヅタです。立っているのが胞子葉で地面を這うように広がっているのが栄養葉です。マメヅタは、地域によっては数を減らしつつあり、宮城県と新潟県で絶滅危惧Ⅱ類に、富山県と石川県と東京都で準絶滅危惧種に指定されています。裏道にマメヅタが生えている場所があるのはわかっていましたが、新しく聖心橋の手前にも群生地を見つけました。和歌山県では、このシダをサルノゼニ(猿の銭)と呼ぶそうですが、不二聖心の群生地も猿をよく見かける場所です。

今日のことば 

胸中に物無きは虚にして実なるなり。万物皆備わるは実にして虚なるなり。

                             『言志後録』より

2013.01.25

マラソン大会  イワボタン

  2013.01.25 Friday

 今日はマラソン大会が行われました。コース終盤は裏道の坂道です。その厳しいコースを懸命に走っている生徒たちは実にいい表情をしていました。

 

 生徒たちが走る裏道は、貴重な生物が数多く生息する道でもあります。下の写真はイワボタンです。裏道で最もよく見られる植物の一つです。佐賀県では絶滅危惧Ⅱ類に、鹿児島県では準絶滅危惧種に指定されています。イワボタンは湿地に生える植物ですが、裏道はいろいろなところで水が湧き出ていてイワボタンにとって適度な湿り気が土に含まれています。

                 
今日のことば

 

 昨日の新聞から35   平成17年4月18日(月)

曽野綾子の『二十一歳の父』を読む ―― ビタースウィートな青春 ――



4月10日の産経新聞に「ワンルームフォークの不思議」という記事が出ていました。次のような書き出しの記事です。

 ドラマ「3年B組金八先生」挿入歌に使われ、問い合わせが殺到するなど話題を呼んだ「私をたどる物語」が、今月六日、シングルCDで発売された。作曲し、歌っているのはシンガー・ソングライター、熊木杏里(二三)。ドラマに主演する武田鉄矢が書いた歌詞に「曲をつけてみないか」と誘われ、武田が歌うことを前提に作ったら本人から「自分で歌ってごらん」と勧められた。

 番組放映中から「問い合わせが殺到した」曲とはどのような曲なのだろうか。すぐに購入して聴いてみました。曲を伝えられないのは残念ですが、武田鉄矢の歌詞は次のようなものでした。

 頬をぶたれた少年がひとり/日暮れの道で泣いている/父が憎いと声とがらせて/涙でゆがんだ空見てる
遠い未来が不安でならず/呼ばれて返事しなかった/だけどやっぱりきみが悪いよ/自分を隠しているからさ
さあ鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書くのです/白いノートの私にだけは/夢を話してゆくのです
君しか書けないその物語/私という名の物語

 髪を切られた少女がひとり/鏡の前で泣いている/母が嫌いと声をつまらせ/自分を悔しくにらんでる
ちがう親から生まれていたら/ちがう自分になれたという/だけどやっぱり/きみはちがうよ/そしたらきみはいなくなる
さあ鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書くのです/白いノートの私とだけは/ずっと仲良くするのです
君しか書けないその物語/私という名の物語

 なかなか味わい深い歌詞だと感じました。「自分探しの応援歌」とでも言える歌ではないかと思いました。自分を受け入れることをすすめ、自分らしく生きようとする人をあたたかく励ます歌だと僕は聴きました。
「さあ鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書くのです」という歌詞を何度も聴いていて一つ思い出した小説がありました。
曽野綾子の『二十一歳の父』(新潮文庫)という小説です。(書店では入手困難。不二聖心の図書館には二冊あります。)これもまた主人公の酒匂基次という青年が自分らしく生きようとする姿に対して作者が温かいまなざしを向けている小説でした。この本とは、常盤新平の『ペイパーバック・ライフ』という本の中で次のような文章を読んだことがきっかけで出会いました。

 『二十一歳の父』を文庫で読みかえしてみた。文庫の第一刷は昭和四十九年で、私の手もとにあるのは昭和五十四年九月五日発行の第十六刷である。五年間で十六刷ということは、一年に三回の増刷であって、このビタースウィートな青春小説のために、慶賀すべきことだ。私も最も初期の愛読者の一人としてうれしい。
私はじつに涙もろいほうで、いっしょに酒を飲んでいて、相手に「君、泣いちゃいけない」などと言いながら、先に涙をこぼしてしまうほうである。しかも、そのあとで酒癖が悪くなるから、翌日はもう布団をかぶって、恥かしさに耐えている。
しかし、『二十一歳の父』を雑誌で読んでいたころは、まだ下戸だったのに、たとえば、恋人の巌間恭子が、大学を卒業できるかどうかわからない、ただし生活力のある越秋穂に言う、なにげない言葉に胸が熱くなった。「たいていの人が生きているじゃない」と彼女は言うのである。そしてーーはい、私も生きています、と心のなかで呟いたおぼえがある。あのころ、私はそれほど涙もろくなかった。
十数年ぶりに『二十一歳の父』を再読しても、昔の印象は少しも変らなかった。いい小説だなあ。このひとことに尽きる。そのことに満足して、クリーネクスで鼻をかんだ。
それにしても、この私も変っていないと思った。三十歳のときと同じように、小説のおんなじ箇所で目と鼻が妙にゆるんでくるなんて、ちょっと情ないじゃないかとも思った。でも、この年齢で変身するのは無理だ。

 常盤新平をして「いい小説だなあ。」と言わしむる小説がどんな小説なのか、さっそく買って読んでみましたが、期待に違わずすばらしい小説でした。
主人公の酒匂基次(さかわもとつぐ)は、エリートの家庭に生まれながら親と同じ道を歩もうとはせずに親の期待を裏切る人物として登場します。例えば父親が基次の通う大学の教授に次のように話す場面があります。

「私共では長男のほうは、まあまあ出来がよろしいのです。東大を出て、日銀に入りました。しかし次男はさんざんです。お世話になっておきながらそういうのもひどいものですが、実は入学の時もやっと入れて頂いたような状態でした」
酒匂は意味深長なものの言いかたをした。それからふと彼は長男の結婚式の日の嫁の姿を思い出した。白無垢を着て神々しいような花嫁であり、色なおしになって客をおくり出す時には、いっぱしのもの馴れたホステスぶりを見せた女である。嫁はW銀行頭取の娘でカトリック系の女子大学を出ている。語学もお料理も刺繍もみっちりと仕込まれていた。式は帝国ホテルで行われ仲人は広報社社長であった。立派な息子は、いい嫁をつかまえることが出来るという見本のような結婚式である。
その宴に、次男の基次は、髪も髭もぼうぼうの姿で現われた。式の前々日床屋へ行けと命じると、それ位なら兄さんの結婚式には出ない、と言い出した。其次はどちらかというと無口で不器用な子であったが、大学の演劇部に籍をおいて、映画のエキストラに出るために髪と髭を伸ばしているのだった。
「金がいるなら、その分だけ父さんがやるから、エキストラはやめて床屋へ行け」
酒匂はそう言ったが、其次はうんと言わなかった。
「何という映画だ?」
しまいには酒匂は息子に尋ねた。それは「敗走千里」という戦争ものの映画であった。舞台はフィリピンのジャングルが主である。
「だけど僕の出るのは違うんだ。夕陽を受けた砂浜に、見渡す限り死体が散らばってる、その死体になりに行くんです。やせて、髪や髭がのびている学生を募集しているんです」
酒匂は呆気にとられた。きいてみると、エキストラばかりではあるが、其次は実に今までに八本の映画に出演しているというのである。死体役になることにどうしてそう執着するのか酒匂はとても理解出来なかった。しかし、父子はいくらか言い合った挙句、結局、酒匂は折れることにした。
其次は乞食のような頭に学生服を着こんで結婚式に列席した。酒匂は男であったのでいざとなれば次男の髪のことなど気にもかけていなかったが、其次の叔母にあたる酒匂の妹は気にして、会う限りの人に其次の言訳ばかりしていた。

 基次は大学を出てもろくな就職もせず、ついには最も親を落胆させる行動に出ることになります。ここからあとは話の筋を明らかにするのはやめましょう。自分自身で物語を読みながら、「鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書」こうとした基次にとって本当の幸せとは何であったのか、そして私たちにとって真の幸福とは何であるのか、じっくりと考えてみてください。