フィールド日記
2013.02.23
爪楊枝の材として知られるクロモジの蕾
2013.02.23 Saturday
今日は高校の卒業式でした。
すすき野原のクロモジの固い蕾は豊かに力をたたえ、卒業を祝福するかのように真っ直ぐに天を指していました。
クロモジは爪楊枝の材として使われ、爪楊枝を黒文字と言うこともあります。その香りの良さが高級感を出すと言われていますが、クスノキ科の樹木特有の殺菌効果も関係しているのではないかと冬芽を見ながら思いました。
今日のことば
小さな生命ではあっても、一生懸命に、無心に、けなげにも雪の厳しさに耐えてでてきた蕗のとうは、ただそれだけで生きとし生けるものの余白を、吹きぬけてくる神の愛の息吹きを生き生きと語っているのである。
井上洋治
2013.02.22
帽子をかぶったミノゴケと帽子を脱いだミノゴケ
2013.02.21 Friday
駐車場の近くの斜面に楓の大木が何本かありますが、その中の一本の幹にノミゴケがびっしりついています。蒴(コケ植物の胞子のう)を包む蘚帽が蓑のように見えるところからミノゴケと名付けられましたが、やがてその帽子は脱がれる時が来ます。写真をよく見ると蘚帽がついている胞子体と既に脱ぎ捨てられている胞子体があることがわかります。
今日のことば
人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごすゆかいで楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっとも深い何かがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深い何かがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにあったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへと通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン ――夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ――のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。
レイチェル・カーソン
2013.02.21
クヌギエダヒメコブフシから羽化したコガメコバチ科Mesopolobus属
2013.02.21 Thursday
すすき野原で採集したクヌギエダヒメコブフシからコガネバチ科Mesopolobus属の雄と思われるハチが羽化しました。体長は3ミリ程度です。このハチはクヌギエダヒメコブフシの形成者ではなく、形成者であるタマバエに寄生していると思われるハチです。金属光沢のある構造色のグリーンは、実に美しい輝きを放っています。
今日のことば
愛は、おのれが愛するものをますます愛することによって、たえず己を救ってゆく。
アラン
2013.02.20
モグラのいたずら ユリ科の球根が顔を出しました
2013.02.20 Wednesday
裏の駐車場近くの雑木林にモグラがトンネルを掘ったことで土が盛り上がり、ユリ科の植物の球根が地上に顔を出してしまいました。裏の雑木林からすすき野原にかけては特にモグラの通行量が多く、歩いていてもモグラのトンネルの上は足に伝わってくる感触が違います。ユリ科の植物はもしかしたらウバユリかもしれません。モグラのいたずらのおかげで思わぬ発見をすることができました。
今日のことば
昨日の新聞から206 平成22年9月13日(月)
『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』(さかもとけんいち SIC)を読む
―― 不二聖心の生徒たちに便箋23枚の手紙をくださった方の本 ――
七月のある日のことでした。授業を終えて職員室に帰ると自宅からのメッセージが机に届いていました。大阪の坂本健一さんから電話があったことを知らせるメモでした。早速、坂本さんに電話をしてみると、「今度本を出すことになったから蒔苗さんのところにも一冊送ります。」とのことでした。
この話を聞いて僕は小躍りしました。かねてから坂本さんの名文にふれていた僕は、坂本さんの書いたものが一冊の本になることを心待ちにしていたからです。僕と坂本さんとの関わりは、かもがわ出版から出ている『のこすことば 第六集』に収められている僕の文章を読むとよくわかりますので、次に引用してみたいと思います。
私は、静岡県裾野市で中学三年生に国語を教えています。昨年から授業の最初に新聞などに載った良い文章を一編読んでそれから授業を始めるということを始めました。その68回目に小説家の山本一力さんの文章を取り上げました。大阪で青空書房という古本屋を経営する坂本建一さんが登場する文章です。文章の中には店頭に貼られている紙の言葉も紹介されていました。
「生きるのがいやになったとき、読む本があります。一緒に探しましょう。」
坂本健一さんは、書店を訪れる人の話を聞き、その人にぴったり合った本を薦めてくれるのです。
山本一力さんの文章を読み終えた時です。一人の生徒が「坂本さんに本を紹介してほしい」とつぶやいたのがはっきり聞こえました。その声を聞いていつか大阪の坂本さんに会いにいきたいと強く思いました。
夢がかなう日は意外に早くやってきました。十一月八日に大阪に行く用事ができ、その用事を済ませてから時間をつくって青空書房を訪ねました。中学三年生に向けて何か本の話をしていただきたくてまいりましたと来意を告げると、坂本さんは椅子をすすめてくださり、約一時間、本の話をしてくださいました。心に残る話をいくつも聞くうちに、一語たりとも聞き漏らしてはもったいないという思いが強くなり、途中からメモを取るようにしました。そして翌週の授業でその言葉をプリントして配りました。プリントを読んだあとで、生徒たちに坂本さんに手紙を書こうと呼びかけ、お礼の気持ちをこめて生徒たちの書いた文章を坂本さんに送りました。
それから一月ほどして、分厚い封筒が坂本さんから届きました。それは便箋23枚に及ぶ生徒たちへの返事の手紙でした。一人一人の生徒に向けて温かい言葉が綴られていました。最初のメッセージは次のような内容です。
「読書は人間のしるしです。ろばは本を読みません。(中略)だんだん読書人より「ケータイ」がええ人も増えて来ました。頁を繰ったり、意味を考えたりするのが邪魔くさくなったヒトが「ケータイ」派になって行きます。青空のおっちゃんは考えます。自分で読むのを止めたり考えることをサボった人が増えると支配者や権力者に都合のよい世の中になります。読書する人は想像力が豊かです。想像力が豊かだと優しくなります。相手の痛みや辛さが理解できるからです。相手の痛みが解らないヒトは自分の痛みを予感できません。首を切られてからイタイのでは遅いのです。」
このような言葉が便箋二十三枚にわたって綴られていました。手紙を読んだ一人の生徒は、坂本さんとの出会いは自分の宝だと言いました。八十歳を過ぎてなお働き続ける坂本さんの、人生の知恵に満ちた言葉は、生徒たちの心に一つの灯をともしてくださったと感謝しています。
このあとも坂本さんとの手紙のやりとりは続き、坂本さんから僕は多くのことを学んできました。坂本さんのことを僕はひそかに心の師だと思っています。たくさんの本を紹介してきた「昨日の新聞から」の仕事をほめてくださった時にも、坂本さんは「蒔苗先生のすばらしい読書力には脱帽します。しかし先生のこれ以上ないと思われる人生の本とは何でしょうか。魂をゆさぶられる本、一冊でも多く会えたら良いなあと思っています」と言ってくださいました。こういうことを言ってくださる方こそ師と呼んでいい人ではないかと僕は思っています。
さて心の師と仰ぐ坂本さんの文章を不二聖心の生徒のみなさんにもできるだけたくさん読んでほしいと思っています。『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』の中から特に心に残っている文章をいくつか紹介しましょう。
時代遅れの古本屋
今は亡き河島英五の歌に「時代遅れの男になりたい」と云うのがあるが、別になりたくってなったのではないが、私など完璧に時代遅れそのものである。何故ならケータイ持たず、パソコン知らず、車に乗れず、三百六十五日毎日ギッコンギッコンペダルを踏んで、背を曲げ、えっちらおちっちら八十四(才)の坂を駆け上っている。どん臭いと云おうか不器用と云うべきか…だから私の雅号は呆。もうこのIT時代に生き兼ねる代物であるが、まあ、いいか。齢八十四、あとどう考えても先は知れている。慾はないが恥をかくことは多い。遠い昔、新婚三ヶ月目の妻に「あんたは甲斐性無しや」と指摘された。それが当たっているから口惜しい。古本屋をやっているが、その実、古本讀屋を続けている。つまり讀書人なのである。
ただし、ポリシーがある。売る辛さも知っている。買う辛さも体験済みである。だから、天秤にかけたり、狡い駆け引きする奴は相手にしたくない。安く売りたい。戦後、鎌倉文庫と云う鎌倉在住の文士達によって作られた雑誌の創刊『人間』発売日。胸弾ませて天神橋筋五丁目、N書店に買いに行ったとき、「みんなお米か野菜もって買いに来はるで」と断られた記憶がある。食料不足の最中、仕方がなかったかも知れないが、若い文学青年は大いに憤ったものである。今、本巷に溢れ、飽食の時代。想像もつかない当時の苦い想い出が、私そして貧しく真面目な向学の青年達に一円でも安く良書を提供したいと創業以来の念願である。綺羅を飾った豪華稀覯本より素朴な装幀で内容のある一冊をすすめて居る。
かつて古本屋はお客に語りかけないのがサービスであると教えられた。今もそうであるかも知れないが、私は本以前に人間が好きである。だからその人の探している本を一緒にさがし、その作家、作品に就いて語り合うことが多い。特に若い人には多くの期待を寄せている。だから持てる知識を出来るだけ多く頒けて行きたい。それが私がこの世へお礼を返すたった一つの方法である。幸い私は蒟蒻弁当のみで苦学した青春の文学歴があり、近代日本文学への愛着も深い。そして古事記、万葉も少しはかじっている。文学を好きになり、人をおもろいなあと思わす位いの材料は持っている。
本との出合いも一期一会
本は生きてます 大切に
二度とない人生 本を読もう
コイン一枚で叡智を友に出来るのだ
一生に一度の出会いそんな本がある
挫折が人生を深くする
蹉跌が新しい明日を導く
湧き出る言葉がある。メモに書いて店の隅に貼る。その癖、人に見られると、恥づかしい。
次もまた、坂本さんの本への思いが伝わってくる文章です。
つける薬がないヒト
五十才か六十才位の男である。最初漱石の文庫を棚から引出してちょっと見ていたが直ぐ棚に返し、ぐるっと廻ってその裏側の棚から翻訳ものの少しぶ厚いのをひっぱり出して解説を読みかけた。目が合うのを避けて私は他のお客さんの対応をしていた。十分位経ったか、男は私に気付いて、こちらに背を向け矢張り解説に読み耽っている…。我慢も限界にきた。精神衛生上頗る悪いと覚ったとき「お客さん、解説読んだってその小説は解りませんよ」とつい云って了った。
「何やて。それお客に向かって云うことか。お客がどこ読もうと勝手やないか」
「お客さんと云うのは本を買って頂いて初めてお客さんですよ。十分も二十分も立ち読みせんとわからんようやったら止めてください」
「何云うてんねん。どこ読もうと客の自由やないか。梅田へ行って見い。椅子出して一時間でも二時間でも放っといてくれるで。たかが本ぐらいのことでごじゃごじゃ云うな」
「たかが本ではないのです。そこら中に書いてますやろ。本は生命ですって。本は生きてますって」
「何云うとんのや。本は紙と活字だけや。死んでるやんか。息してへんがな。生きてるやって…おっさん、あほちゃうか。今買わんでも明日買いに来たるかも知れん。本に触ったらみんなお客さんや。おっさんこの本一冊で飯食っとんのやろ。お客馬鹿にしたらあかんで」
「馬鹿にしてまへんけど、本は死んでると考えているような人に店に入って欲しない。出て行って下さい」
捨て科白を残して荒々しく男は立ち去って行った。折り曲げられた文庫を棚に戻しに立った。本は新潮文庫のノーマン・メイラー、中西英一訳『鹿の園』588頁。売り値は百五十円だった。本が汚されたように思えた。値段では無い。我が店に有る本は、文庫たりとも愛着惜かざる息子みたいなものである。
百人の人に百の顔がある如く百冊の本には百の生命がある。色々な受け止め方、感じ方は、読者の境遇・年齢・感覚などでさまざま。本の使命は重い。どっしりと思惑が閉じこめられているからやと思う。
本屋をひやかすのはいい。しかし御自身の人生をひやかして終わるのは如何にも空しい限りである。たった一度の人生であるから。
初めてお会いした時、坂本さんは「人間として生まれて本読ましてもらうのはものすごう幸せと思います。」とおっしゃいました。ここにも坂本さんの本への思いが見えます。坂本さんのたくさんの言葉にふれ、本を愛する生徒が一人でも増えることを願いつつ、「昨日の新聞から206」を終わりたいと思います。
2013.02.19
神事とヒサカキとチャタテムシの卵塊
2013.02.19 Tuesday
不二聖心の中には実にたくさんヒサカキの木があります。それらが今の時期には一斉に小さな粒々の花芽をつけます。神事に用いられる樹木にサカキ(榊)がありますが、サカキの生えない地域ではヒサカキ(非榊)の代用が進みましたので、自ずとどの地域においてもヒサカキの本数は増えていきました。それに伴いヒサカキに依存する生物の個体数も増えていきました。人間の生活の生態系に与える影響はこのようなところにも表れていると言えるでしょう。2枚目の写真は、ヒサカキの葉に産みつけられた1ミリ以下のチャタテムシの卵の塊です。ミクロの世界に及ぼす人間の力もまた多大なものがあります。
今日のことば
外なる自然の深みと内なる自然の深みがちょうど対称形をなしているのではないかと感ずることがある。わたしたちの心の内奥は原生の森や海のように深く神秘に満ちていて、どちらに分け入っていっても同じような自己認知の深まりをもたらしてくれる気がするのである。どちらかいっぽうに深く踏み込めれば踏み込めただけ、もう片方の自然にもおのずと深く踏み込めるようになるといえるかもしれない。
星川淳
2013.02.18
桐の種子を見ることができました
2013.02.18 Monday
裏の駐車場の桐の大木の枝が暴風で折れ、本来は観察が難しい桐の実を手に取って見ることができるようになりました。実を観察して驚くのはその種子の数の多さです。すべての種に翼がついていて、真下には落下しないで空中を漂うことができるようになっています。あまりの数の多さに呆然としてしまうほどですから、発芽率はあまりよくないことでしょう。種の大きさは翼の部分も含めて約4ミリです。
今日のことば
青春の自伝的作品「男おいどん」でやっと目的に達したけれど、テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は、視聴率が低迷気味で、打ち切りに近いような形で26回で終了。背水の陣で臨んだ「銀河鉄道999」は5回分だけ画いて、ライオンと真剣に決闘したくなってケニアに出かけました。そこで見た星空の壮大さ。38歳のぼくは自分のちっぽけさを知った。目の前のこの広大な自然は、自分が生まれる前から在り、死んだ後もある。人気がなんだ。視聴率がなんだという悟りがごうごうと胸の中に流れこんできた。
松本零士
2013.02.17
フキノトウが顔を出しました
2013.02.17 Sunday
寒い一日でした。風も冷たく、黄瀬川の近くでジョウビタキを見かけたほかは、生き物の動く気配がほとんど感じられない一日でした。タゴガエルの鳴き声もまったく聞こえませんでした。かろうじて見つけた春の兆しが今日の写真です。今年も裏の駐車場の縁にフキノトウが顔を出しました。早春の山菜として古くから日本人に親しまれてきたフキノトウですが、その中にはフキノール酸、ケンフェノール、アルカロイドなどのポリフェノールが多く含まれ、胃を強くし腸の働きを整えるそうです。フキノトウを食品として利用することは極めて理にかなったことであったということです。
今日のことば
最近、大江邦夫『オディロン・ルドン 光を孕む種子』(みすず書房・二〇〇三年)という本を読んだ。フランスの画家、ルドンをめぐる本だが、そのなかで、とくに心に残ったのは、ルドンの若き日の友人であったアルマン・クラヴォーについての章だった。
クラヴォーは、植物学者。いつも顕微鏡を手もとに置き、生命の研究にはげんでいた人物。ルドンよりもひとまわり年上で、生物学のみならず、文学や思想などにも詳しく、貴重な本を集めて書庫をつくっていたという。ルドンは、画家となる前、まだ十代のころに、クラヴォーと出会い、深い影響を受けたとされている。インドの詩について聞かせるなど、ルドンの興味を引く魅力を秘めた人だったのだろう。ルドンはパリへ出て、絵の道を模索するようになる。一方、クラヴォーは、ボルドーで研究をつづける。けれど、その実力にもかかわらず、ボルドー植物園長の要職を与えられないなどの挫折があって、四十過ぎてから自殺してしまう。
いったい、クラヴォーは、どんな人だったのだろう。静かな部屋にいて熱心に顕微鏡をのぞきこむ男のすがたが浮かんでくる。あるいは、書庫の本棚から本を抜き取り、ゆっくりと開く男の背中が、浮かび上がる。
百年以上前の地方都市ボルドーで、インドの詩を愛読したり、神秘思想にも通じていたというクラヴォーは、理解と同時に、多くの誤解も受けていたにちがいない。孤独だったかもしれない。だが、私には、この人物のすがたは、幸せのひとつのかたちであるように見える。
研究を正当に評価されず、最後は自殺。その名も、歴史のなかに長く埋もれていた人物なのだ。それなのに、なんとなく、この人は幸せだったのではないだろうかと思える。どうして、そう感じるのだろうと考えて、とても単純な答えに辿り着く。つまり、この人は、なにをやりたいのか、いつも自覚していた、ということだ。
充実、などという言葉で表せば、あまりにも陳腐になってしまうけれど、一瞬一瞬が、内側からきっちりと支えられていた人ではないかと感じられる。自分の内側から支えられる、ということは、とても大事なことだと思う。
蜂飼耳
2013.02.16
ヒサカキハフクレフシの中で越冬するホソガの幼虫を発見
2013.02.16 Saturday
ヒサカキの葉上にホソガが作るヒサカキハフクレフシという虫こぶを見つけました。虫こぶの中にはホソガの幼虫が潜んでいました。白い線はホソガの幼虫が葉の隙間にトンネルを作ったあとで、茶色く変色している部分が幼虫の出す化学物質によって植物が形成したホソガのための居住空間です。この時期の幼虫は九州以外ではあまり確認されていませんが、今回、静岡県裾野市で発見されたということは、他の県でも発見の可能性があるということになります。もしデータが蓄積され幼虫越冬の地域が北上していることが確認されれば、ヒサカキハフクレフシを温暖化の指標としてとらえることができるようになります。『不二聖心のフィールド日記』をお読みのみなさんもお近くのヒサカキの葉をながめてみてはいかがでしょうか。九州以外で、写真と同じような模様の、幼虫が中にいるヒサカキハフクレフシが今の時期に見つかったら、一つの重要な資料となります。
今日のことば
今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか。雲はどんなかたちをしていましたか。風はどんな匂いがしましたか。あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を見たことがありますか。樫の木の下で、立ちどまったことがありますか。街路樹の木の名を知っていますか。樹木を友人だと考えたことがありますか。
長田弘
2013.02.15
キッコウハグマと閉鎖花
2013.02.15 Friday
林道でキク科のキッコウハグマを見つけました。キッコウハグマは、蕾のまま花を開かずに自家受粉する閉鎖花をつけることがあります。自家受粉は他の花から花粉を運ぶ必要がないだけ受粉が容易になり、それだけ種子を多くつけることができます。しかし、そのようにしてできた種子は同じ遺伝子を持つことになり、遺伝子の多様性は失われます。ある生物の繁栄がするためには、個体数を増やすことと遺伝子の多様性を保つことの二つの手段があります。キッコウハグマは、時に自家受粉をし、時に他家受粉をすることによって、その両方の戦略をとろうとしているわけです。閉鎖花が生まれた意味を考えるだけで自然界の不思議を実感することができます。
今日のことば
善事とは神を信じることである、悪事とは神から離れて人と自己とに頼ることである。そのほかに善事もなければ悪事もない。病気は必ずしも悪事ではない。もし私たちを善なる神に導くならば病気もまた善事である。健康は必ずしも善事でない。もし健康が人に自己を頼らせ、自己を賢いと思わせるようになるならば、健康はかえって悪事である。貧困も同じことである。その反対の富貴も同じことである。
内村鑑三
2013.02.14
蜂の巣に似ているハチノスタケ
2013.02.14 Thursday
第2牧草地の池の近くでハチノスタケを見つけました。管孔(キノコの傘の裏側に形成される器官)が蜂の巣状になっているところから、ハチノスタケと呼ばれます。
キノコの中には特定の樹木にだけ生えるものもありますが、ハチノスタケはさまざまな広葉樹に寄生することで知られています。特定の生物と結びつくことで繁栄をはかろうとする生き物もいれば、幅広くいろいろな生物と関わりを持つことで繁栄を勝ち得ようとする生き物もいます。自然界の生き物のつながりは実にさまざまです。
今日のことば
昨日の新聞から92 平成19年2月26日(月)
『物語の役割』(小川洋子 ちくまプリマー新書)を読む
―― 人間は、なぜ物語を必要とするのか? ――
2月18日の朝日新聞に、小川洋子の『物語の役割』という本についての、次のような短い書評が載りました。
小説家の空想力や想像力には、現実の中にちりばめられているたくさんの題材がヒントになる。誰もが現実を受け入れるために「物語」を紡ぎ出しているのだ。自作がイメージから言葉になっていく過程や、子ども時代の本の思い出などをテーマに、小川ワールドを語った講演録。(ちくまプリマー新書・714円)
この短い書評からもわかるように、小川洋子が問題にしている「物語」とは、「源氏物語」や「若草物語」といった文学作品だけを指すのではなく、広く現実の世界で生まれる「物語」をも含んでいます。書評には「誰もが現実を受け入れるために『物語』を紡ぎ出しているのだ」とありますが、そのようにして生まれた物語の例として、小川洋子は次のような話を紹介しています。
もう一人私がここで思い出すのは、1985年、日航ジャンボ機の墜落事故で、九歳の息子さんを亡くされたお母さんの姿です。私は遺族の方々が編まれた文集を読んだのですが、この九歳の坊やは生まれて初めての一人旅で、大阪のおじさんの家へ行く途中でした。当時人気のあった、清原、桑田のいるPL学園を応援するために、甲子園で野球観戦をする予定でした。それであの、JAL123便に乗ったのです。
たぶんお母さんは、スチュワーデスさんがいる分、新幹線より飛行機の方が安心だと思われたのでしょう。羽田まで息子さんを見送った別れ際、息子さんは「ママ一人で帰れる?」と言ったそうです。
なぜあの飛行機に乗せたのか。九年の人生で一番怖い思いをしただろう時に、どうしてそばにいてやれなかったのか。お母さんの文章は、始終自分を責める言葉で埋まっていました。直接そうは書かれていませんが、自分が子供を殺してしまった、という思いが伝わってきました。
恐らく同じ立場に立たされた母親なら、全員そう思うでしょう。一生自分を責め続け、自分を許さないでしょう。しかし、現実をありのままに見るなら、責任を取るべき人たちは他にいます。尾翼の不良を見逃した日航か、機体を製造したボーイング社か、同じ機体が以前しりもち事故を起こした時、調査した運輸省(当時)か……、とにかく責められるべき人がいるはずです。そして母親には何の落ち度もありません。
けれど、たとえそうした責任追及がきちんとなされ、原因がはっきり解明されたとしても、母親の罪悪感は消えないはずです。自分が子供を殺した、というフィクションの中に、苦しみの源を持ってくる。そういう苦しみ方をしなければ受け止めることのできない悲しみが、この世にはあるのでしょう。
事故からちょうど二十年が経った夏、テレビのニュースでそのお母さんの姿を拝見する機会がありました。遺族の集まりのリーダー的存在として、さまざまな活動を通し、空の安全を追求している様子が映し出されていました。もちろん、息子さんを失った悲しみは一かけらも消えていません。しかし、悲しみに押しつぶされるのではなく、それを礎として、自分の経験を社会のために生かそうと努力しておられる。そのお姿に胸を打たれました。
現実を棘で覆い、より苦しみに満ちた物語に変え、その棘で流した血の中から、新たな生き方を見出す。お会いしたこともないお母さんから、私は人間が作り出す物語の尊さについて教えられた気がしました。
ここに引用した物語は、日航ジャンボ機墜落事故が契機となって生まれた物語で、特殊な体験を綴ったものと言えるでしょう。このような体験をしていなければ、物語は生まれないものなのでしょうか。そうではないと小川洋子は考えます。『物語の役割』の中には、「物語はそこかしこにあるのです」や「誰でも生きている限り、かたわらに自ら作った物語を携えている」など、小川洋子の物語観がうかがわれる発言がたくさんあります。
「物語はそこかしこにある」という考えを説明するにあたって、小川洋子が取り上げたのは『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本でした。『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』は、アメリカの人気作家ポール・オースターが呼びかけて全米から集めた話を一冊の本にしたものです。ここでも一つだけ紹介しておきましょう。
ファミリー・クリスマス
(これは父から聞いた話だ。1920年代前半、私が生まれる前にシアトルであった出来事である。父は男六人、女一人の七人きょうだいの一番上で、きょうだいのうち何人かはすでに家を出ていた。)
家計は深刻な打撃を受けていた。父親の商売は破綻し、求職はほとんどゼロ、国中が不況だった。その年のクリスマス、わが家にツリーはあったがプレゼントはなかった。そんな余裕はとうていなかったのだ。クリスマスイブの晩、私たちはみんな落ち込んだ気分で寝床に入った。
信じられないことに、クリスマスの朝に起きてみると、ツリーの下にはプレゼントの山が積まれていた。朝ごはんのあいだ、私たちは何とか自分を抑えようとしつつ、記録的なスピードで食事を終えた。
それから、浮かれ騒ぎがはじまった。まず母が行った。期待に目を輝かせて取り囲む私たちの前で包みを開けると、それは何か月か前に母が「なくした」古いショールだった。父は柄の壊れた古い斧をもらった。妹には前に履いていた古いスリッパ。弟の一人にはつぎの当たった皺くちゃのズボン。私は帽子だったーーー 11月に食堂に忘れてきたと思っていた帽子である。
そうした古い、捨てられた品の一つひとつが、私たちにはまったくの驚きだった。そのうちに、みんなあんまりゲラゲラ笑うものだから、次の包みの紐をほどくこともろくにできない有様だった。でもいったいどこから来たのか、これら気前よき贈り物は? それは弟のモリスの仕業だった。何か月ものあいだ、なくなっても騒がれそうにない品をモリスはこつこつ隠していたのだ。そしてクリスマスイブに、みんなが寝てからプレゼントをこっそり包んで、ツリーの下に置いたのである。
この年のクリスマスを、わが家の最良のクリスマスのひとつとして私は記憶している。
ドン・グレーヴズ(アラスカ州アンカレッジ)
小川洋子は、「このなかに非常に深い物語が隠れている」と思うと言います。『物語の役割』は決して抽象的な物語論ではありません。このように深い意味を持った、いい話がたくさん紹介されていて、読んでいて飽きることがありません。とりわけ興味深く読んだのは、小学生の時に『ファーブル昆虫記』を通して小川洋子が学んだ、読書の意味についての話でした。続けて引用してみましょう。
小学校に入ってからの読書経験の中で、私を特に夢中にさせたのは、『ファーブル昆虫記』です。ご存知の方も多いと思いますが、その最初に取り上げられているのがスカラベ・サクレ、いわゆるフンを食べる虫、フンコロガシです。
牛や羊のフンを玉にして転がす習性があるこの虫は、体は丸くて平たく、黒光りしています。頭部のへりがシャベルのようになっていて、ギザギザの歯が付いており、前肢も同じくのこぎりの歯のようにギザギザしています。まずフンを見つけて飛んできますと、頭と前肢で適当な部分を切り分け、山の中からきれいに球形をくり貫きます。その途中で集ってきた他の仲間が多くて邪魔になると、前肢でパシンと叩き落としたりします。それから、くり貫いた球形の表面を、前肢の平たい部分をこてのように使ってつるつるに整えます。その時玉は地面の同じ場所に固定されたままで、雪だるまを作る時のようにクルクル回転させたりはしません。そして、完全な球形を作ってから初めて、他のスカラベに邪魔されない安全な巣穴まで運びます。それは自分の体よりもずっと大きな玉です。
この転がし方がユニークで、逆立ちをして後ろ向きに玉を押してゆくのです。二本の長い後肢で玉を抱えるようにして、その後肢の先にある爪を玉に刺して、そこを中心に回転させます。前肢で体重を支えながら、その前肢で地面を右左、右左と素早く押して、後ろ向きに進んでゆく。急な坂で失敗して転がり落ちても、でこぼこ道でも、十回でも二十回でも失敗しながら、がむしゃらに進みます。
途中、ずる賢いのがいて、やっと一つの玉を作り終え、さあ、と転がし始めたところに、お手伝いしましょうか、という風を装って親切そうに寄ってきます。本来の持ち主が、逆立ちをして一生懸命玉を押しているのを、お手伝いの方は、立ち上がった格好で引っ張るのですが、リズムが合わずに、とうとうお手伝いは手足を縮めて玉に張り付いて、玉と一緒に転がってゆきます。あとで自分がいただいてしまおうという魂胆のようです。あるいはそこで喧嘩になって、お互い玉の上と下ではたきあいになり、もうどっちが本来の持ち主か分からなくなって、とうとうはたき落とされた方が、最初から玉の作り直しをするはめになる、というような小さなドラマが繰り広げられます。
そうこうしながら、安全な気に入った場所まで玉を運ぶと、今度は食事用の穴を掘ります。だんだん穴が深くなってくると、心配になるのか、外に出るたびに玉の方をチラッと見て、「ちゃんとあるな」と確かめます。それでもまだ安心できない時は、玉に触ってみたりもします。それで元気を取り戻し、また巣穴を掘りはじめます。そこへ食料となる玉を入れ、自分も中に入り、土で入り口を塞ぐ。あとはゆっくり食べるだけです。
私は、広々とした草原で、懸命に玉を転がしてゆくスカラベの姿に思いを馳せました。彼らは道具等一切使わず、神様から与えられた、生まれ持った自分の体だけを使って、完全なる球形を作り出します。誰に教わるのでもなく、練習してそうできるのでもなく、生まれながらにして玉つくりの名人なのです。ファーブルはスカラベのことを、「天才だ」と書いています。
さて、このようにして小川洋子はスカラベの話を紹介しているのですが、この話を読んで最も強く心に残ることは何でしょうか。フンを転がすというスカラベの生態のユニークさでしょうか、フン玉の取り合いの激しさでしょうか、その持ち主が簡単に入れ替わってしまうことの理不尽さでしょうか。さまざまな点で興味深い話ではありますが、『博士の愛した数式』の作者は、たいへん独特な読み方をしています。続けて引用してみましょう。
自分が立っているのと同じ地続きのこの地面の向こうで、自分とは全く異なる姿かたちをした生き物が、自分とは全く違う方法で生きている。遠すぎて見えない場所にもちゃんと世界があって、そこも神様の見事な計らいによって守られている。私は『ファーブル昆虫記』を読んで、何とも果てしない気持ちになりました。自分が何か偉大で巨大な全体の一部分であり、その部分をスカラベと平等に分け合っている、という気持ちとも言えるでしょうか。自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感を、『ファーブル昆虫記』によって私は味わったのです。
小川洋子の考える「物語の役割」の一つがここにあります。つまり、私たちは、物語を読むことを通して「何か偉大で巨大な全体」に触れ、「自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感」を味わうことができるというのです。
平成18年度の「昨日の新聞から」は92号で終わりとなります。64号(『藍の空、雪の島』を読む)のカンボジア難民の話から92号のスカラベの話まで、実に多くの物語を紹介してきましたが、良い物語というものは確かに自分という小さな存在を離れて大きな世界へと私たちを誘い、「大きな流れに身を任せることの安心感」を感じさせてくれるものだと強く思います。
新しい年度においても、「大きな流れ」の存在に目を開かせてくれる、すばらしい物語との出会いがあることを祈りつつ、今年度の「昨日の新聞から」を終わりにしたいと思います。