フィールド日記
2013.02.09
ウメノキゴケと中国の大気汚染
2013.02.09 Saturday
本館前の築山の紅梅はしばらく前から花を咲かせていますが、白梅はまだ蕾です。同じ梅でも種類によって開花時期が大きく異なることがわかります。
不二聖心の梅の木には地衣類のウメノキゴケがたくさん付いています。空気が汚れてくるとこのウメノキゴケは姿を消すと言われます。つまりウメノキゴケは環境調査の一つの指標となるということです。中国の大気汚染の影響が懸念される今、周辺のウメノキゴケの状況を調査しておいて、その後の変化を見守ることも重要な意味を持つように思います。
参考ホームページ
ウメノキゴケを用いた環境調査について
http://www.asahi-net.or.jp/~ep3n-kizm/asobo/umenoki.htm
今日のことば
時実利彦先生がおっしゃっていたことを思い出します。子どもに「考えさせる」ということをした人がいちばん教師としてすぐれている、……できるようになったか、ならないか、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実、「考えなさい」と言った人ではなくて、考えるということを本気でさせた人が、いちばん偉いとおっしゃったのです。それだけのために教師はあるぞと、先生はおっしゃったのです。
大村はま
2013.02.08
クヌギエダヒメコブフシ
2013.02.08 Friday
不二聖心で初めて、クヌギエダヒメコブフシという虫えい(虫こぶ)が確認されました。『日本原色虫えい図鑑』では、クヌギエダヒメコブフシが次のように説明されています。
直径2~数mmの半球形あるいは不整球形の膨らみがクヌギの小枝に連なって形成される虫えいで、表面は平滑、淡緑~緑褐色。ときには葉柄や中肋に形成されることもある。連なった虫えいには多くの幼虫室があるが、1個の幼虫室には1匹の幼虫が入っている。この虫えいからはタマバエの他にタマバチや甲虫類の幼虫が得られることもあり、複雑な複合体が構成されている。少なくともタマバエが虫えい形成者であることは確実であるが、タマバチなどとともに複合虫えいを形成している可能性もある。
虫えい(虫こぶ)は、互いにつながりあう自然界の象徴のような存在だと常々思っていますが、クヌギエダヒメコブフシは、とりわけ複雑なつながりを作り出しているようです。
今日のことば
昨日の新聞から72 平成18年6月26日(月)
『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社編)を読む
―― 少年院から届いた詩集 ――
6月15日の朝日新聞の「折々のうた」に次のような歌と大岡信の文章が載りました。
この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し
島秋人(しまあきと)
『遺愛集』(昭四二)所収。昭和四十二年(一九六七)年十一月二日、小菅刑務所で死刑を執行された死刑囚。警察官だった父が敗戦で失職し、自らも中学を出て非行少年となった。新潟県の農家に深夜忍びこみ、主人に重症を負わせ、その妻を絞殺、金品を奪って逃走するがまもなく逮捕された。獄中で短歌を独習し、毎日新聞の歌壇欄に投稿、選者窪田空穂を師父と仰ぐ。多くの愛読者があった。右は刑死前夜の作。三十三歳。
この「折々の歌」を読んで、久しぶりに島秋人のことを思い出しました。『遺愛集』は大学時代の僕の愛読書であり、刑務所での日常を愛おしむ歌を繰り返し読んだことを覚えています。新聞に載った歌には、処刑というかたちで人生の最期を迎える直前の心境が「この澄めるこころ」と表現されていますが、島秋人が落ち着いた静かな心で死を迎えたことは、処刑当日書かれた手紙からもうかがい知ることができます。短歌と出合うきっかけをつくってくれた吉田絢子さんに宛てた手紙を引用してみましょう。
奥様
とうとうお別れです。思い残すことは歌集出版が死後になることですね。被害者の鈴木様へのお詫び状を同封しますので、おとどけくださいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守ってくださいね。父たちもかわいそうな被害者なのです。
短歌を作ってよかったと思って感謝しています。僕のことは刑に服してつぐないする以外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。
島秋人の歌と手紙を久しぶりに読んで、僕は次の言葉を思い出しました。刑務所で五十年にわたって作歌の指導をしてきた扇畑忠雄の言葉です。
「わたしは年齢こそ上だが、人生では彼らがベテランです。悪いことをし、苦しんでいるのだから。石ころを蹴飛ばし、花を千切って歩いていた人が、歌を通じて見るものが新鮮に感じられるようになれば、すばらしいことですね」
実は、偶然にも、この一週間の間にもう一度、この言葉を思い出すことになりました。それは『雨のふる日はやさしくなれる』という詩集と出合ったことがきっかけでした。『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリー)がどのような本かを伝えるために、嶋谷宗泰さんの「発刊にあたって」の文章を引用してみます。
少年の詩は、心の底の感動を素直にうたい上げるものです。日々の生活の中で、いろいろな思いが心につまって、豊かな感動となり、それがあふれて、濃縮された言葉で表現されたものが少年の詩だと思います。
少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。
八街(やちまた)少年院に来た少年たちはそれぞれ相当に非行の進んだ少年たちです。入院する前は人を傷つけ、自分をも傷つけ、人間であることを自ら拒絶したようなすさんだ心情に身をおいた少年たちです。人間らしい豊かな感受性や知性を堅い殻の中に閉じ込めて、全て無気力に、あるいは野獣のように荒れてきままな生活を送ってきた少年たちです。その少年たちに詩を書かせたいと思いました。一見それはたいへん不釣り合いなのですけれど、不釣り合いだからこそ、やる価値があると考えたのです。
しかし、ここで目指したものは、文学や芸術としての詩ではありません。生活の中の喜びや悲しみを素直に感じ取って、それを簡潔に表現することで、一生懸命生きてゆくことの尊さや、苦労しながら成長することの楽しさを少年自らが認識してゆく方法として詩を指導したいと思ったのです。つまり、芸術として詩を作らせるのではなく、教育として、心を育てる手段として、生活詩を書かせようと考えたのです。勿論、結果として、少しでも芸術の香りのする作品ができるに越したことはありません。しかし、芸術的な価値がなくとも、少年が真剣に考え、感じ取り、その感動を表現することができることをこそ、大切にしたいと思いました。たとえ表現が優れていても、その言葉に真の生活実感がこもっておらず、いわば口先だけで書いたのでは、詩は教育としての力を持ち得ません。表現が稚拙であっても、感動する心をこそ、大切にしてゆきたいと思いました。
詩の指導を開始してほぼ二年がたちました。月に1回程度、全員を集めて、少年たちの作った詩をプリントして配り、それを大きな声で朗読しました。その詩の良いところを話しました。そして、詩は心の感動を表現するものだから、感動を表現できる豊かな心がなければならないということを、だから、詩を作るということは、心を耕して心を豊かにすることなのだということを繰り返し話しました。表現の上手、下手はあまり問題にしませんでした。表現の指導よりも、心の持ちよう、ものの見方や感じ方を指導しました。
嶋谷宗泰さんは、「少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。」と書いていますが、少年たちの詩を読むと、嶋谷さんの思いが見事に実現していることがよくわかります。少年の詩をいくつか紹介してみましょう。
なりたい 和規(幼い頃から父母の葛藤の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えた。)
心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい。
うそ 昌士(父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けた。)
今日 詩の話があった
僕の名が二つもあった
素直に嬉しかった
寮にもどると
うそが うまいなあ
と みんなに言われた
悲しかった
僕の生活がみんなに
そう言わせているのかな
人の祈り 兵吾
人は誰でも祈る
自分の都合に合わせて祈り
それが叶うと喜び 叶わぬと怒り
それでも人は祈り続けて
人など勝手なものだ
無論 私も自分のためにしか祈ったことがない
しかし
人は
自分以外の人のために 祈ることもあるという……
いつか
私も人のために祈ることができるだろうか
本当に人のために祈ることがあるだろうか
ごめんなさいが言えなくて 吉之
ごめんなさい
その一言が言えなくて
多くの人を不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
自分をこんなに不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
後悔だけが残った
ごめんなさい
心からこの一言が言えていたら
俺は今ごろ何をしていただろう
嶋谷さんは「思えば彼らは、これまでに、幾度も挫折し、深い悲しみと苦しみを重ね、悩み、若くして大いに苦労を重ねて生きてきたわけで、いわば大変な苦労人です。彼らの詩には、彼らでなければ書けない、若い苦労人の優しさがあるように思われます。」と書いています。
本当に苦しんだことがある人だけが持ち得る優しさがある。そのことを、島秋人も扇畑忠雄も嶋谷宗泰も、そして少年たちも教えてくれているように思います。
2013.02.07
校舎の裏で5年連続ツチグリの発生を確認
2013.02.07 Thursday
平成21年の春から4年続けて校舎の裏でツチグリ(Astraeus hygrometrics)の発生を確認してきました。5年目の今年はどうかと楽しみにしていましたが、今日、5つのツチグリの発生を確認することができました。学名のAstraeus hygrometricsは「星形の湿度計」という意味です。外皮が裂けて開いた状態がまさに星形をしているのが、写真からもわかります。NHKの関連のホームページでは、ツチグリが開いていく時の素晴らしい映像が公開されています。
http://www.nhk.or.jp/rika/micro/?das_id=D0005100146_00000
今日のことば
植物が地上にあらわれたのは四億五千年前。それからの長い年月、植物にとって平穏無事な毎日ばかりではなかった。地球の歴史のなかで、植物は気候の変動を乗り越え、あらゆる環境に適応していった。あるときは病原菌にむしばまれ、あるときは迫り来る動物や昆虫から身を守らねばならないこともあっただろう。また、あるときには生活空間や光を奪い合って、ほかの植物と激しい生存競争を繰り返すこともあったにちがいない。そして、あるものは、昆虫に花粉を運ばせるために花を発達させ、あるものは鳥に種子を運ばせるために果実を発達させた。
こうして生き残りをかけて、壮絶ななかにも華麗なる進化を遂げた植物たちは、さまざまな特性を身につけたのである。そして、人間はそれを利用して文化を創造し、豊かな暮らしを築き上げた。何気ない日々の暮らしのなかで活躍する植物も、そのルーツをひもとけば、人間と植物それぞれの思惑が交錯したドラマが存在するのである。
稲垣栄洋
2013.02.06
東北大学で温暖化指標生物と見なされたヤツデ
2013.02.06 Wednesday
東北大学の広報誌『まなびの杜』に東北大学名誉教授の鈴木三男先生が、興味深いことをお書きになっていました。仙台で見られるヤツデは、かつては冬の寒さで枯れていたのに最近は越冬できるようになったというのです。地球温暖化の影響であろうということでした。不二聖心では築山のヤツデが白い実をつけています。これからは不二聖心でヤツデを見るときにも温暖化指標の植物という視点を持って見ていきたいと思いました。
今日のことば
ほんとうに、世のなかが機械化し、便利になればなるほど人間は、なでさするようにして物をだいじにし、具体的な物から影響を受け、物から学ばなくてはならないのである。物が自分を育ててくれることを考え、物をだいじにしていかなければならないのだ。そういうことをしないと、みんなふわふわしてしまい、自分や自分の考えのない、機械の部品のような人間になってしまうのだ。
斎藤喜博
2013.02.05
シダからタマアジサイに寄主転換するコモチシダコブアブラムシ
2013.02.05 Tuesday
2月3日にヤマイタチシダの葉裏から採集したアブラムシがコモチシダコブアブラムシであることがわかりました。このアブラムシはシダからタマアジサイへと寄主転換します。なぜシダの次がタマアジサイなのか。自然界の不思議は尽きません。
今日のことば
自我を抑えて無差別智を働かせている時には真我があらわれる。私についていえば、数学の研究に没頭している時は、私は生きものは決して殺さないし、若草の芽もみな避けて踏まない。だから真我の内容は慈悲心であることがわかる。私はこれを数学の研究によって体得したのだが、真、善、美、どの道を進んでもみな同じだと思う。
岡潔
2013.02.04
図書館の花壇の紅梅
2013.02.04 Monday
図書館の前の花壇の紅梅がしばらく前から咲き始めています。梅の品種は無数にありますが、これは緋梅系と呼ばれる種類で枝の髄まで紅いと聞いたことがあります。紅梅の紅色は木全体で生み出している色なのかもしれません。
今日のことば
さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥(くら)き遊星に人と生れて
山中智恵子
2013.02.03
ついにタゴガエルが鳴きました
2013.02.03 Sunday
不二聖心には、「幻のカエル」と呼ばれるタゴガエルが生息しています。タゴガエルは、岩穴の中で生活し真冬に産卵するという珍しいカエルの生態です。(写真はタゴガエルの生息場所を移したものです。この崖の中から声が聞こえてきます。)真冬に一度冬眠から目覚め、交尾・産卵をして再び眠りにつくと言われます。2月に入ってから、交尾期に聞かれる鳴き声がしていないか、観察してきましたが、ついに今日、鳴き声を録音することができました。富士山麓全体でもタゴガエルの生息場所はほとんど残っていないと言われます。貴重な鳴き声をどうぞお聞きください。
今日のことば
昨日の新聞から266 平成24年5月28日(月)
『幻のカエル ―― がけに卵をうむタゴガエル ――』
(大木淳一 新日本出版社)を読む
―― 幻のカエルを不二聖心で発見 ――
数年前の二月の寒い日のことでした。不二聖心の裏道を歩いていて「グワッ、グワッ」という不思議な声を耳にしました。声の出所を探ってみると、裏道の壁面にできた岩穴にたどりつきました。その穴の奥から「グワッ、グワッ」という声が、少しずつ間を置きながら聞こえてきていたのです。
おそらくカエルの声ではないかと思って調べてみたら、アカガエル科のタゴガエルという種類のカエルが岩穴の奥で生活していることがわかりました。それからこのカエルについての興味が高まり、いろいろな文献を読みましたが、その中で最も興味深かったのは『幻のカエル ――がけに卵をうむタゴガエルーー』という絵本でした。作者は大木淳一さん。大木さんは千葉県立中央博物館の学芸員で専門は地質学です。地質学とタゴガエルは一見、結びつかないように思うかもしれませんが、実は地質学者としての知識がタゴガエルを研究する上で非常に役に立ったのです。タゴガエルは特殊な環境にしか生息できないカエルで、その環境には地層の成り立ちが深く関わっているからです。
生息環境と聞こえてくる声から、岩穴の奥にいるのはタゴガエルに間違いないと思っていましたが、できれば声だけではなく実際の姿を見てみたいとずっと思い続けてきました。
今年の春は慶応義塾大学のカエルの専門家の先生にも、不二聖心の岩穴の画像を見ていただき、いかにもタゴガエルがいそうな場所だというお答えをいただきました。先生からのアドバイスを参考にインターネットでタゴガエルの鳴き声を再度確認し、穴からの声と全く同じであることも確かめました。こうして岩穴の奥には間違いなくタゴガエルがいると確信するに至ったのです。
しかし、それでも一度実物を見てみたいという思いはなかなか捨てきれませんでした。穴の中に頭を突っ込んで必死に穴の奥をペンライトで照らしたりもしてみましたが、タゴガエルの姿は見ることができませんでした。
そんなある日のことです。岩穴の様子を見ようとすると、穴の手前に何か光るものを見つけました。よく見ると卵塊です。それはどう見てもカエルの卵塊でした。
日本でよく見られるアカガエル科のカエルは3種います。3種は非常によく似ていて見分けるのは容易ではないのですが、卵には大きな違いがあります。穴の前に落ちていた卵は間違いなくタゴガエルの卵でした。
ここで一つ疑問が生じます。タゴガエルは岩穴の中に卵をうむカエルなのに、なぜ岩の外に卵が落ちていたのかということです。
一つだけ考えられる理由がありました。
この発見をする数日前、静岡県東部は大雨に見舞われました。その時には、タゴカエルの住処を含む地層にも大量の雨水が流れ込んだと想像できます。その雨水がタゴガエルの卵を岩穴の中から外へと押し流した可能性が考えられるのです。
流れ出した卵をいくつか自宅に持ち帰り、飼育を試みましたが成功しませんでした。もしすべての卵が押し流されたとしたら、今年は新しい世代が誕生しないということになってしまいます。穴の中にまだ卵が残っていれば、世代がつながることになります。それを確かめる方法が一つだけありました。タゴガエルは子ガエルになったら一度、岩の外に出てくる習性があるのです。運がよければ子ガエルの発見によって世代が途切れなかったことを確認できるかもしれないのです。
5月16日の朝のことでした。
岩穴の周辺を確認していると、イワボタンの葉の上に何やら茶色いものが乗っています。それは体長わずか七ミリの子ガエルでした。ついにタゴガエルの姿を確認できたのです。一匹見つかると次から次にカエルを発見することができ、最終的には10匹近くのカエルを確認することができました。(5月16日の「不二聖心のフィールド日記」参照)
タゴガエルは特殊な環境にしかすめないカエルです。具体的には上下二つの地層の重なりが必要です。しかも上は水を通す地層、下は水を通さない地層でなくてはなりません。そして間に空間が必要です。上の層からしみ出した水が下の層の上にたまり、そこが水たまりになります。その水たまりがタゴガエルの生息場所となるのです。
この地層の成り立ちには富士山の火山活動が影響しています。富士山の噴火によって積み重ねられた火山灰が不二聖心の地層の中には確実に含まれています。不二聖心という「富士」の名をいただく学校にとって、富士山の火山活動に密接に関わる生き物は、特別な意味を持つ生き物だと言えるでしょう。
タゴガエルの観察会を開きたいと願っていましたが、いつのまにかカエルは姿を消してしまいました。穴の中に戻っていったのか、それとも別の場所に移動したのか、あるいは天敵に襲われたのか、それはわかりません。カエルの実物をお見せすることは難しくなりましたが、『幻のカエル ―― がけに卵をうむタゴガエル ―― 』を読めば、タゴガエルをたっぷり楽しむことができます。
最後に『幻のカエル ――がけに卵をうむタゴガエルーー』のあとがきを引用しておきましょう。
これってカエルの本? ちょっと地味だなと思われた方がいるかもしれません。
でも、生き物って、大地を形作る地質の影響を受けているんだなーと感じた場面をつづっていったらこの本ができ上がったのです。
タゴガエルというあまり知られていないカエルに注目したことで、地質学しか知らなかった時に歩いた山でも、今では自然の見方がガラッと変わってしまいました。
これも博物館に学芸員として勤めて専門分野を気にしないでフィールドを歩き、生き物たちと触れ合いながら自然の仕組みを調べてきた結果だと思います。
過去に何が起きていたのか、今何が起きているのかを、貴重な資料だけでなく身のまわりの何気ない情報(資料)も蓄積し、後の世代の人たちへ伝えること、それが博物館の使命だと思います。これからもいろいろな形でみなさんに自然の仕組みを紹介していきます。
何が人生の転機となるか分かりません。博物館へ出かけて展示を見るも良し、観察会へ参加して自然と触れてみてはいかがでしょうか? きっと素敵な出会いがありますよ。
2013.02.02
『大草原の小さな家』の作者は本当にポポーを見たのか
2013.02.02 Saturday
今日の「天声人語」は、「寒のゆるみ」という言葉で始まっていましたが、その言葉がふさわしい暖かい一日となりました。静岡市では21.7度の最高気温を記録し、全国的にも3月中旬から5月上旬の気候であったということです。この暖かさのためか、イスノフシアブラムシから寄生蜂のツヤコバチが2匹羽化しました。ここのところ続けて羽化が確認されており、ツヤコバチがイスノフシアブラムシの体を越冬場所として利用している可能性が高まってきました。寄主特異性についての研究が進めば、アブラムシの生物農薬としての利用も可能になるかもしれません。
さて、1月28日の「不二聖心のフィールド日記」で、不二聖心のお茶畑の生えているポポー(写真参照。2011年10月に撮影したものです。)がローラ・インガルス・ワイルダーの『わが家への道』に登場することに驚いたと書きました。「小さな木になった見るからに甘く熟れた、わたしの知らない果物など、とにかく、野生の果物が、たわわに実っているのだ。」という一節に「野生の柿とポポー(北米温帯地方産の果樹)」という注がついていたのです。ここで疑問に思うことは、なぜ「わたしの知らない果物」とだけしか書かれていないのに、「野生の柿とポポー」と限定できるのかということでした。その疑問を解消するためには、原文にあたるしかないと思っていしまたが、今日、その原文を確認することができました。原文は次のようになっていました。
luscious-looking fruits ripening in little trees that I don’t know※ , a lavishness of fruit growing wild.
※ These were wild persimmons and pawpaws.
注は翻訳時につけられたものではなく、原書にもついていたのです。ポポーは北アメリカの植物相を考える上で大切な植物でもありますので、もう少し調べを進めてみたいと思います。
今日のことば
「小さな家シリーズ」は、家族の物語であり、したがって主人公はローラだけではない。とうさん、かあさん、メアリ、キャリー、グレイス、そして、アルマンゾ、ローズ、それぞれが実際に生きていた人たちであり、だれ一人として欠けてはならないほど個性的なキャラクターである。ローラは自分の家族を自慢の財産だと誇りにし、家族との思い出を「消えてしまうのはもったいないほどすばらしい」と思って、この物語を書いた。開拓時代の歴史は決して楽ではなかったはずだが、ローラの筆にかかると、冬の吹雪も、こわい狼のほえ声も、じめじめした土の家も、すべてが冒険の対象になる。ローラは生きることを楽しむ達人であり、それは終生変わらなかった。
「『大草原の小さな家』の世界について」(谷口由美子)より
2013.02.01
すすき野原の乾し草 フィトンチットの効用
2013.02.01 Friday
不二聖心で以前、理科を教えてくださっていた保坂貞治先生が、岳麓新聞に「緑の地球環境3 日常生活の中でのフィトンチットの効用」というタイトルの文章をお書きになりました。たいへん興味深い内容でしたので、一部を引用してみたいと思います。
野菜が淡白な味で癖がなくて食べやすいのは長い間の品種改良のたまものです。その結果、野菜は食べやすくおいしくなりましたが、私たちが畑から採集して持ち帰り、食べ残したり忘れて放置すると数日で痛み、やがて腐ってしまうのです。山野草には、本来生長の過程で出合う様々な細菌や微生物などから身を守る自己防衛物質のフィトンチットがあります。この成分は野菜の持つエゴミや辛み、あく、香りの成分です。この成分は食べにくいが何かしら薬効があり、健康に良い効果があります。山野草は採集したり、刈り取ってそのまま放置しても、この成分のお陰で腐らず水分を失うが、乾燥して干からびることを経験的にご存じだと思います。土手の草を刈ってそのままにして置くと、乾草になるのはそのためなのです。
不二聖心でもすすき野原の縁に刈り取られた草が積まれていて、いつのまにか乾し草になっていました。この姿こそが野の草であることの証だったのです。
今日のことば
欲無ければ一切足り、求むるあれば万事窮す。
良寛
2013.01.31
有明の月 炭焼きの歴史とクヌギとクヌギエダイガタマフシ
2013.01.31 Thursday
午前7時30分頃のすすき野原の写真です。中心に有明の月が見えます。今日は陰暦では12月20日です。国語の授業では「陰暦の16日以降に夜があけても空に残っている月」が「有明の月」だと教えます。
不二聖心のお茶は、かつては敷地内のお茶工場で作られていて、製造する時の燃料として炭を使っていた時代がありました。炭焼きも敷地内で行われていたのです。不二聖心にクヌギの木が多いのは、炭焼きの材料としてクヌギが使われていたことと関係しています。クヌギに集まる生物の種類は無数といってよく、クヌギの多さが不二聖心の生物多様性を高めてきたと言えるでしょう。下の写真の虫こぶはクヌギエダイガフシで形成者はクヌギエダイガタマバチで、クヌギにつく代表的な虫こぶです。その下の写真のハチはクヌギエダイガタマバチの寄生蜂です。寄生によって生物多様性はさらに高まり、生態系は安定性を増していきます。
今日のことば
半世紀前に(戦争で)殺され ものいわない白骨となった
数えきれないほどの 人々のなかから
せめて
一人の少女の
一人の少年の
面影を
そっと胸のなかにしまいましょう。
「1995・千鳥ヶ淵で」(石川逸子)より