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フィールド日記

2013.02.20

モグラのいたずら  ユリ科の球根が顔を出しました

2013.02.20 Wednesday

 裏の駐車場近くの雑木林にモグラがトンネルを掘ったことで土が盛り上がり、ユリ科の植物の球根が地上に顔を出してしまいました。裏の雑木林からすすき野原にかけては特にモグラの通行量が多く、歩いていてもモグラのトンネルの上は足に伝わってくる感触が違います。ユリ科の植物はもしかしたらウバユリかもしれません。モグラのいたずらのおかげで思わぬ発見をすることができました。

 

今日のことば

昨日の新聞から206 平成22年9月13日(月)
『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』(さかもとけんいち SIC)を読む

――  不二聖心の生徒たちに便箋23枚の手紙をくださった方の本 ――

 七月のある日のことでした。授業を終えて職員室に帰ると自宅からのメッセージが机に届いていました。大阪の坂本健一さんから電話があったことを知らせるメモでした。早速、坂本さんに電話をしてみると、「今度本を出すことになったから蒔苗さんのところにも一冊送ります。」とのことでした。
この話を聞いて僕は小躍りしました。かねてから坂本さんの名文にふれていた僕は、坂本さんの書いたものが一冊の本になることを心待ちにしていたからです。僕と坂本さんとの関わりは、かもがわ出版から出ている『のこすことば 第六集』に収められている僕の文章を読むとよくわかりますので、次に引用してみたいと思います。

私は、静岡県裾野市で中学三年生に国語を教えています。昨年から授業の最初に新聞などに載った良い文章を一編読んでそれから授業を始めるということを始めました。その68回目に小説家の山本一力さんの文章を取り上げました。大阪で青空書房という古本屋を経営する坂本建一さんが登場する文章です。文章の中には店頭に貼られている紙の言葉も紹介されていました。
「生きるのがいやになったとき、読む本があります。一緒に探しましょう。」
坂本健一さんは、書店を訪れる人の話を聞き、その人にぴったり合った本を薦めてくれるのです。
山本一力さんの文章を読み終えた時です。一人の生徒が「坂本さんに本を紹介してほしい」とつぶやいたのがはっきり聞こえました。その声を聞いていつか大阪の坂本さんに会いにいきたいと強く思いました。
夢がかなう日は意外に早くやってきました。十一月八日に大阪に行く用事ができ、その用事を済ませてから時間をつくって青空書房を訪ねました。中学三年生に向けて何か本の話をしていただきたくてまいりましたと来意を告げると、坂本さんは椅子をすすめてくださり、約一時間、本の話をしてくださいました。心に残る話をいくつも聞くうちに、一語たりとも聞き漏らしてはもったいないという思いが強くなり、途中からメモを取るようにしました。そして翌週の授業でその言葉をプリントして配りました。プリントを読んだあとで、生徒たちに坂本さんに手紙を書こうと呼びかけ、お礼の気持ちをこめて生徒たちの書いた文章を坂本さんに送りました。
それから一月ほどして、分厚い封筒が坂本さんから届きました。それは便箋23枚に及ぶ生徒たちへの返事の手紙でした。一人一人の生徒に向けて温かい言葉が綴られていました。最初のメッセージは次のような内容です。
「読書は人間のしるしです。ろばは本を読みません。(中略)だんだん読書人より「ケータイ」がええ人も増えて来ました。頁を繰ったり、意味を考えたりするのが邪魔くさくなったヒトが「ケータイ」派になって行きます。青空のおっちゃんは考えます。自分で読むのを止めたり考えることをサボった人が増えると支配者や権力者に都合のよい世の中になります。読書する人は想像力が豊かです。想像力が豊かだと優しくなります。相手の痛みや辛さが理解できるからです。相手の痛みが解らないヒトは自分の痛みを予感できません。首を切られてからイタイのでは遅いのです。」
このような言葉が便箋二十三枚にわたって綴られていました。手紙を読んだ一人の生徒は、坂本さんとの出会いは自分の宝だと言いました。八十歳を過ぎてなお働き続ける坂本さんの、人生の知恵に満ちた言葉は、生徒たちの心に一つの灯をともしてくださったと感謝しています。


このあとも坂本さんとの手紙のやりとりは続き、坂本さんから僕は多くのことを学んできました。坂本さんのことを僕はひそかに心の師だと思っています。たくさんの本を紹介してきた「昨日の新聞から」の仕事をほめてくださった時にも、坂本さんは「蒔苗先生のすばらしい読書力には脱帽します。しかし先生のこれ以上ないと思われる人生の本とは何でしょうか。魂をゆさぶられる本、一冊でも多く会えたら良いなあと思っています」と言ってくださいました。こういうことを言ってくださる方こそ師と呼んでいい人ではないかと僕は思っています。
さて心の師と仰ぐ坂本さんの文章を不二聖心の生徒のみなさんにもできるだけたくさん読んでほしいと思っています。『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』の中から特に心に残っている文章をいくつか紹介しましょう。


時代遅れの古本屋

 今は亡き河島英五の歌に「時代遅れの男になりたい」と云うのがあるが、別になりたくってなったのではないが、私など完璧に時代遅れそのものである。何故ならケータイ持たず、パソコン知らず、車に乗れず、三百六十五日毎日ギッコンギッコンペダルを踏んで、背を曲げ、えっちらおちっちら八十四(才)の坂を駆け上っている。どん臭いと云おうか不器用と云うべきか…だから私の雅号は呆。もうこのIT時代に生き兼ねる代物であるが、まあ、いいか。齢八十四、あとどう考えても先は知れている。慾はないが恥をかくことは多い。遠い昔、新婚三ヶ月目の妻に「あんたは甲斐性無しや」と指摘された。それが当たっているから口惜しい。古本屋をやっているが、その実、古本讀屋を続けている。つまり讀書人なのである。
ただし、ポリシーがある。売る辛さも知っている。買う辛さも体験済みである。だから、天秤にかけたり、狡い駆け引きする奴は相手にしたくない。安く売りたい。戦後、鎌倉文庫と云う鎌倉在住の文士達によって作られた雑誌の創刊『人間』発売日。胸弾ませて天神橋筋五丁目、N書店に買いに行ったとき、「みんなお米か野菜もって買いに来はるで」と断られた記憶がある。食料不足の最中、仕方がなかったかも知れないが、若い文学青年は大いに憤ったものである。今、本巷に溢れ、飽食の時代。想像もつかない当時の苦い想い出が、私そして貧しく真面目な向学の青年達に一円でも安く良書を提供したいと創業以来の念願である。綺羅を飾った豪華稀覯本より素朴な装幀で内容のある一冊をすすめて居る。
かつて古本屋はお客に語りかけないのがサービスであると教えられた。今もそうであるかも知れないが、私は本以前に人間が好きである。だからその人の探している本を一緒にさがし、その作家、作品に就いて語り合うことが多い。特に若い人には多くの期待を寄せている。だから持てる知識を出来るだけ多く頒けて行きたい。それが私がこの世へお礼を返すたった一つの方法である。幸い私は蒟蒻弁当のみで苦学した青春の文学歴があり、近代日本文学への愛着も深い。そして古事記、万葉も少しはかじっている。文学を好きになり、人をおもろいなあと思わす位いの材料は持っている。

本との出合いも一期一会

本は生きてます 大切に

二度とない人生 本を読もう

コイン一枚で叡智を友に出来るのだ

一生に一度の出会いそんな本がある

挫折が人生を深くする

蹉跌が新しい明日を導く

湧き出る言葉がある。メモに書いて店の隅に貼る。その癖、人に見られると、恥づかしい。

 次もまた、坂本さんの本への思いが伝わってくる文章です。


つける薬がないヒト

 五十才か六十才位の男である。最初漱石の文庫を棚から引出してちょっと見ていたが直ぐ棚に返し、ぐるっと廻ってその裏側の棚から翻訳ものの少しぶ厚いのをひっぱり出して解説を読みかけた。目が合うのを避けて私は他のお客さんの対応をしていた。十分位経ったか、男は私に気付いて、こちらに背を向け矢張り解説に読み耽っている…。我慢も限界にきた。精神衛生上頗る悪いと覚ったとき「お客さん、解説読んだってその小説は解りませんよ」とつい云って了った。
「何やて。それお客に向かって云うことか。お客がどこ読もうと勝手やないか」
「お客さんと云うのは本を買って頂いて初めてお客さんですよ。十分も二十分も立ち読みせんとわからんようやったら止めてください」
「何云うてんねん。どこ読もうと客の自由やないか。梅田へ行って見い。椅子出して一時間でも二時間でも放っといてくれるで。たかが本ぐらいのことでごじゃごじゃ云うな」
「たかが本ではないのです。そこら中に書いてますやろ。本は生命ですって。本は生きてますって」
「何云うとんのや。本は紙と活字だけや。死んでるやんか。息してへんがな。生きてるやって…おっさん、あほちゃうか。今買わんでも明日買いに来たるかも知れん。本に触ったらみんなお客さんや。おっさんこの本一冊で飯食っとんのやろ。お客馬鹿にしたらあかんで」
「馬鹿にしてまへんけど、本は死んでると考えているような人に店に入って欲しない。出て行って下さい」
捨て科白を残して荒々しく男は立ち去って行った。折り曲げられた文庫を棚に戻しに立った。本は新潮文庫のノーマン・メイラー、中西英一訳『鹿の園』588頁。売り値は百五十円だった。本が汚されたように思えた。値段では無い。我が店に有る本は、文庫たりとも愛着惜かざる息子みたいなものである。
百人の人に百の顔がある如く百冊の本には百の生命がある。色々な受け止め方、感じ方は、読者の境遇・年齢・感覚などでさまざま。本の使命は重い。どっしりと思惑が閉じこめられているからやと思う。
本屋をひやかすのはいい。しかし御自身の人生をひやかして終わるのは如何にも空しい限りである。たった一度の人生であるから。

 初めてお会いした時、坂本さんは「人間として生まれて本読ましてもらうのはものすごう幸せと思います。」とおっしゃいました。ここにも坂本さんの本への思いが見えます。坂本さんのたくさんの言葉にふれ、本を愛する生徒が一人でも増えることを願いつつ、「昨日の新聞から206」を終わりたいと思います。