フィールド日記

2013.02.28

ガビチョウの鳴き声を録音しました

  2013.02.28 Thursday

  2012年5月2日の「不二聖心のフィールド日記」でも紹介したガビチョウの声を校舎の裏で録音しました。ガビチョウは特定外来生物に指定され、在来種の生息環境に悪影響を与えていると言われています。しかし元はと言えば人間がペットとして日本に輸入したのが始まります。激しく鳴く声はまるで彼等の不本意な気持ちを伝えているかのようです。
フィールド日記 2012.05.02 特定外来生物ガビチョウ

今日のことば

我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」と。

セネカ  

2013.02.27

卵寄生をするハラビロクロバチ科Synopeas属の寄生蜂

 2013.02.27 Wednesday

  クヌギエダヒメコブフシから様々な寄生蜂が羽化し始めています。写真のハチはハラビロクロバチ科Synopeas属の1種の寄生蜂で卵寄生をすることで知られているそうです。わずか4ミリほどの小さなハチが、虫こぶ内に形成者である小さなタマバエの卵を見つけ、そこに産卵管を刺し込んで卵内に自分の卵を産み付けるというのです。神秘としか呼びようのない現象です。かつて不二農園のお茶の生産を支えたクヌギは、今私たちに自然界の神秘を伝える貴重な木として不二聖心に存在しています。動画を見ると、触角を動かして寄主を探している様子がわかります。

今日のことば

クヌギは、昔から「苦をぬぐう木」という意味から、そう呼ばれるようになったんや。なんせ、はよ大きくなるし、カシなんかと変わらへんほど質のいい炭がとれるし、木を切ってもまた芽がでてきて、スギやヒノキみたいに植え直さんでもええからな。手間のかからん木や。林には、アベマキもあるけど、やっぱりクヌギが幹の表面のコルク質の部分が少ないんで一番やなー

『里山の少年』(今森光彦)より  

2013.02.25

炭焼きの文化に救われた命  クヌギの冬芽

  2013.02.25 Monday

  
今日の国語の授業で中学3年生に新田次郎の『八甲田山 死の彷徨』を紹介しました。
授業では組織論と絡めた紹介の仕方をしましたが、この傑作は細部に興味深い事実が数多く書かれ、組織論以外にもさまざまな読み方ができる小説です。
興味深い事実の一つは、199名が雪中行軍で亡くなった中で、助かった兵卒の8名に共通していたのがいずれも農家の出身であり全員が冬山での炭焼きの経験があったという事実です。炭焼きの文化が8名の命を救ったのです。
不二聖心とともに歴史を歩んだ不二農園にも長い炭焼きの歴史がありました。その名残りが今もあちこちに点在するクヌギの雑木林です。炭焼きの歴史を今も静かに語るかのように、クヌギの冬芽が寒風に耐えながら空に向かって伸びていました。

 


以前に不二聖心で美術を教えていらした岡先生の炭焼きの絵です。高校1年生の教室の近くに飾られています。

今日のことば

昨日の新聞から292 平成25年2月25日(月)
『八甲田山 死の彷徨』(新田次郎・新潮文庫)を読む

―― この悲惨事の最大の原因は何か ――

今日のニュースで、青森県の八甲田山の酸ヶ湯温泉の積雪が5メートル32センチとなり全国の最高記録を更新したと報じていました。5メートルというと信号機が隠れるほどの積雪だと言います。八甲田山が日本でも有数の豪雪地帯であることを改めて知りました。
この真冬の八甲田山に敢えて雪中行軍することを強いられた人々がいることをみなさんは知っているでしょうか。
時は1902年、この頃には既にやがてロシアとの戦争が勃発することを日本の陸軍は予想していました。ロシアとの戦争となれば当然、雪の中での戦いにも備えなければなりません。そこで考えられたのが真冬の八甲田山を行軍するという訓練でした。
その時の様子を描いたのが、新田次郎の小説『八甲田山 死の彷徨』です。今週はこの小説を紹介しましょう。

 冬の八甲田山を舞台とした、ただでさえ厳しい訓練にさらに悪条件が加わりました。統率が大切な軍隊において2名のリーダーが生まれてしまったのです。神田大尉と山田少佐です。神田大尉が本来のリーダーでしたが、行軍に同行した山田少佐が神田大尉の指揮にことごとく干渉するようになります。大尉より少佐の方が位は上です。良識的な判断ができる神田大尉は位が山田少佐より低いがために自分の考えを押し通すことができませんでした。そこから悲劇が生まれます。
例えば、神田大尉は、冬の八甲田山に入るためには必ず案内人が必要だと思って、あらかじめ案内人を頼む準備も進めていました。しかしそこでも山田少佐の干渉によって思わぬ事態が起こります。
その部分を次に引用しましょう。

田茂木野に着いた隊は行李隊を待つために小休止した。村中の者が外に出て雪中行軍隊を見守った。この前、来たときよりは今度の方が大掛かりだなと言いたいような顔であった。
田茂木野の作右衛門と源兵衛が連れ立って大隊本部が休んでいる栗の木の下にやって来た。
「この前来た大尉様はいませんか」
作右衛門が頬かぶりしていた手拭いを取りながら言った。
「神田大尉殿は向こうにおられるがなんの用だ」
将校の一人が前方を指して言った。
「この前来たときに、田代までの案内人のことを訊いておられたから、もし案内人がいるならなんとかしようと思いましてね」
「神田大尉が案内人を頼むと言ったのか」
山田少佐が作右衛門に大きな声で訊いた。作右衛門は、山田少佐を見上げすぐ五日前に来た神田大尉より上官であることを知った。
「案内できる者はいるかどうかと訊いただけで、案内を頼むとは言いませんでした」
「そうだろう、案内など頼むわけがない」
山田少佐はこともなげに言った。
「しかし、案内なしで田代まで行こうというのは、なんとしても無理ではないでしょうかね、道を知っているこの村の者でさえ、いままでに道に迷って二十人も死んでいるところだ。それに明日は、山の神の日だ。山は荒れることに決まっている」
作右衛門はそういうと、一度取った手拭いでまた頬かぶりをした。寒くなったからだった。
「案内人なしでは田代までは行けないというのか」
「まず無理でしょうね。今ごろになると、山は毎日吹雪だ。田代までは広い雪の原っぱで目標になるものはなんにもない」
「この村に案内人は何人いるのか」
「五人ぐらいはなんとかなるな」
作右衛門は源兵衛を振りかえって言った。
「そうだ。五人はたしかだな」
源兵衛はそういうと、
「ああ、この間の、大尉様が来た」
と叫んだ。隊の先頭にいた神田大尉が、こっちへ向って歩いて来るのを見掛けたのである。源兵衛の声で山田少佐はそっちを見た。急いでこっちへやって来る神田大尉と眼が会った。
神田大尉は、作右衛門と源兵衛が直接大隊本部へ行ってしまったのを見て、しまったと思った。神田大尉は、田茂木野へ着いたらすぐ、作右衛門と源兵衛を呼びにやり、二人を通じて案内人を手配し、その処置が終わったあとで山田少佐に報告に行こうと思っていた。神田大尉は、雪中行軍隊の指揮官であるから、その措置に対して山田少佐が反対する理由はない筈であった。だが、作右衛門と源兵衛は直接、大隊本部の山田少佐のところへ行ったのである。
「お前たちは案内料を欲しいからそのようなことをいうのだろう」
山田少佐の怒鳴る声が神田大尉の耳に入った。神田大尉はぎくりとした。思わず足が遅くなった。
「雪の中を行く軍(いくさ)と書いて雪中行軍と読むのだ。いくさをするのにいちいち案内人を頼んでおられるか、軍自らの力で困難を解決して行くところに雪中行軍の意味があるのだ。お前等のように案内料を稼ぎたがる人間どもより、ずっと役に立つ案内人を軍は持っている。見せてやろうろか。ほれこれは磁石というものだ。」
山田少佐はポケットから磁石を出して、作右衛門に見せた。
「磁石と地図があれば案内人は要らぬのだ」
作右衛門と源兵衛は、揃ってぺこりと頭を下げた。これ以上なにもいうべきではないという顔をした。
神田大尉は、山田少佐が作右衛門と源兵衛に向って怒鳴った言葉は、実はそのまま、指揮官の自分に向けられたものであることを知っていた。山田少佐は、神田大尉に対して案内人を使ってはならぬと命令したのである。それは、この雪中行軍の指揮権に対する干渉であった。
「案内料が欲しいがために、案内人がなければ田代へ行くのは無理だなどと言いおるわい、ばかな奴等だ」
山田少佐は神田大尉の顔を見て念を押すように言った。案内人は使用しないことに決めたぞ、分ったかと言わぬばかりの言葉であった。


山田少佐の考えは間違っていました。案内人がいなければ、冬の八甲田山に挑むのは無理だったのです。そのことが行軍を始めて間もなく明らかになっていきます。


その日輸送隊に当ったものは特にみじめであった。彼等の下着は汗でびっしょり濡れていたが、着替えもないし、脱いで乾かす炭火の余裕もなかった。夜が更けると共に暴風雪はいよいよ激しくなり、気温は著しく降下した。寒気は、二枚の外套を通し、軍服をつらぬき、濡れたままになっているシャツにまでしみ通って行った。その寒さは耐えがたいものであった。
「眠るな、眠ると死ぬぞ」
と怒鳴る声が、各雪壕で聞えたが、極度に疲労している兵の中には、気が遠くなるような寒さに誘われて眠りこむものがあった。
午前一時になって半熟飯が一食分ずつ各自に分配された。それで隊員たちは一時的に元気を恢復したが、そのすぐあとに襲いかかって来る寒気には、なんとしても耐えようがなかった。彼等は足踏みをしながら軍歌を歌ったが、その軍歌も途切れ勝ちであった。

 山田少佐は一刻も早くこの窮地を脱しないとたいへんなことが起こるだろうと思った。(中略)
「このまま時間を空費することは兵を死地へ追い込むようなものだ。今すぐ出発すれば数時間前に歩いた道を引き返すことができるが、朝までじっとしていると全員が凍傷にかかって動けなくなる虞れがある。すぐ出発しろ」
神田大尉は山田少佐の命令にさからうことはできなかった。神田大尉は、各小隊長を集めて、午前二時に露営地を出発して帰営の途につくから準備するように命じた。行李隊は各小隊の間に入れて進むように指示した。
「午前二時出発でありますか」
と各小隊長が反問するほど、その出発は誰が考えても非常識に思われた。(中略)
「大隊長殿の命令が出たのだ」
神田大尉はそれ以上のことは言わなかった。山田少佐に夜明けまで待ってくれと頼んだことなど小隊長たちに言ったところでいまさらどうにもならないことであった。
午前二時各小隊は雪壕を出て整列した。兵たちは雪壕を出て吹き曝しの風に当ると思わず身震いをした。寒さを口に出す者もいた。
集合が終り、点呼を取って、いざ出発の号令が掛った直後に、獣物(けもの)のような声を上げながら、隊列を離れて雪藪の中に駈けこんだ兵がいた。その声は絶叫に似ていた。狂った者の声であったが、叫びつづけている言葉の意味は分らなかった。狂った兵は銃を棄て、背嚢を投げ捨て、次々と身につけているものを剥ぎ取りながら、雪の中を想像もできないような力で押し通って行った。周囲の兵たちが引き止めようとしてもどうにもできなかった。気の狂った兵は死力を出して同僚を突き飛ばした。その兵は軍服を脱ぎ、シャツも脱いで捨てた。絶叫はそこで止み、兵の姿は雪の中に沈んだ。
「なにが起こったのだ、どうしたのだ」
神田大尉はその方向に向って怒鳴った。中橋中尉が発狂者が出たことを報告した。
「すぐ手当してやれ、軍医に見て貰え」
だがその時には兵はもう死んだも同然の状態にいた。はだかのままで雪の中から引き摺り出された兵に投げ捨てた衣類を着せ終ったときには、兵はもう動かなくなっていた。
出発に先立ってのその事件は雪中行軍隊の気を滅入らせた。神田大尉はこの兵の死を山田少佐に報告した。
「雪壕を出て、厳しい寒気に身を曝したがために発狂したものと思われます」
神田大尉は発狂者が出たことが、或いは山田少佐の気持を変えるかもしれないと思った。神田大尉はその兵が死に至った経過の概略を述べた。その兵は前日輸送隊員として行李の輸送に全力を出して働いた。彼が着ていた一枚のシャツは汗でびっしょり濡れていた。その汗が小倉の軍服にしみ通り、軍服がかちかちに凍っていた。彼は、雪壕の中で与えられた半熟の飯を口に入れることもできないほど疲れ切っていた。雪壕の中にいたとき既に、彼は疲労凍死の症状を現わしていたのであった。
「それでどうしたのだ。一名の発狂者が出たがために命令を変更せよというのではないだろうな」
山田少佐は神田大尉の機先を制した。もはや、出発する以外に取るべき道はなかった。

 週刊文春の二月二一日号で春日太一氏は、「『八甲田山』は組織論と絡めて紹介されることが多い」と書いています。この「昨日の新聞から」でも、先ずは「組織とリーダー」というところに焦点をあてました。しかし新田次郎は次のように書いています。

装備不良、指揮系統の混乱、未曽有の悪天候などの原因は必ずしも(この遭難事件の)真相を衝くものではなく、やはり「                 」がこの悲惨事を生み出した最大の原因であった。

「        」の中に入る表現は、多くの国の歴史の持つ、ある普遍的な残酷さを抉り出す一節です。ぜひ本を手に取り、 「       」に入る言葉を確認してください。三二〇ページに答えがあります。

悲劇の原因が列挙されることからもわかるように、『八甲田山 死の彷徨』はさまざまな読み方が可能な小説であり、実にいろいろなことを考えさせられる小説です。良い本の条件の一つは、読者にいろいろなことを考えさせることでしょう。ぜひ『八甲田山 死の彷徨』を手に取り、さまざまなことを深く考えるという体験をしてみてください。

2013.02.24

与謝野晶子の「ぬか」 ミノゴケの別名「カギバダンツウゴケ」

 

2013.02.24 Sunday
  
今日の静岡新聞に掲載された今野寿美さんの「晶子百歌繚乱」に与謝野晶子の「あるかぎりよき夢を見てくれなゐの林檎は眠る糠(ぬか)の中にて」という歌が紹介されていました。歌のあとに今野さんの文章が次のように続きます。

かつて、りんごは産地から木箱に詰められて届いた。傷まないよう籾殻に埋もれていた。その籾殻を古来、糠ともいい、同じ言い方が残っている地域は今もあるらしい。

この文章を読んで、籾殻(もみがら)の中に林檎を探した懐かしい記憶がよみがえりました。驚いたのは与謝野晶子が「もみがら」を「ぬか」と表現していることです。

今日は物の名前でもう一つ驚いたことがありました。2月21日の「不二聖心のフィールド日記」で紹介したミノゴケの別名がカギバダンツウゴケであると知ったことです。葉先が鉤のように曲がっていて模様が緞通に似ていることから、「カギバダンツウゴケ」と名付けられたというのです。写真は顕微鏡写真です。顕微鏡のない時代によくこの名前を生み出すことができたものだと、古人の観察力に感心します。


今日のことば 

何て言うかな、ほら、あー生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか。

寅さん  

2013.02.23

爪楊枝の材として知られるクロモジの蕾

  

 2013.02.23 Saturday
  今日は高校の卒業式でした。
すすき野原のクロモジの固い蕾は豊かに力をたたえ、卒業を祝福するかのように真っ直ぐに天を指していました。
クロモジは爪楊枝の材として使われ、爪楊枝を黒文字と言うこともあります。その香りの良さが高級感を出すと言われていますが、クスノキ科の樹木特有の殺菌効果も関係しているのではないかと冬芽を見ながら思いました。

今日のことば 

小さな生命ではあっても、一生懸命に、無心に、けなげにも雪の厳しさに耐えてでてきた蕗のとうは、ただそれだけで生きとし生けるものの余白を、吹きぬけてくる神の愛の息吹きを生き生きと語っているのである。

井上洋治  

2013.02.22

帽子をかぶったミノゴケと帽子を脱いだミノゴケ

  2013.02.21 Friday

 駐車場の近くの斜面に楓の大木が何本かありますが、その中の一本の幹にノミゴケがびっしりついています。蒴(コケ植物の胞子のう)を包む蘚帽が蓑のように見えるところからミノゴケと名付けられましたが、やがてその帽子は脱がれる時が来ます。写真をよく見ると蘚帽がついている胞子体と既に脱ぎ捨てられている胞子体があることがわかります。

 

今日のことば

 人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごすゆかいで楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっとも深い何かがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深い何かがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにあったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへと通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン ――夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ――のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。

レイチェル・カーソン  

2013.02.21

クヌギエダヒメコブフシから羽化したコガメコバチ科Mesopolobus属

  2013.02.21  Thursday

 すすき野原で採集したクヌギエダヒメコブフシからコガネバチ科Mesopolobus属の雄と思われるハチが羽化しました。体長は3ミリ程度です。このハチはクヌギエダヒメコブフシの形成者ではなく、形成者であるタマバエに寄生していると思われるハチです。金属光沢のある構造色のグリーンは、実に美しい輝きを放っています。

今日のことば

愛は、おのれが愛するものをますます愛することによって、たえず己を救ってゆく。

アラン       

2013.02.20

モグラのいたずら  ユリ科の球根が顔を出しました

2013.02.20 Wednesday

 裏の駐車場近くの雑木林にモグラがトンネルを掘ったことで土が盛り上がり、ユリ科の植物の球根が地上に顔を出してしまいました。裏の雑木林からすすき野原にかけては特にモグラの通行量が多く、歩いていてもモグラのトンネルの上は足に伝わってくる感触が違います。ユリ科の植物はもしかしたらウバユリかもしれません。モグラのいたずらのおかげで思わぬ発見をすることができました。

 

今日のことば

昨日の新聞から206 平成22年9月13日(月)
『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』(さかもとけんいち SIC)を読む

――  不二聖心の生徒たちに便箋23枚の手紙をくださった方の本 ――

 七月のある日のことでした。授業を終えて職員室に帰ると自宅からのメッセージが机に届いていました。大阪の坂本健一さんから電話があったことを知らせるメモでした。早速、坂本さんに電話をしてみると、「今度本を出すことになったから蒔苗さんのところにも一冊送ります。」とのことでした。
この話を聞いて僕は小躍りしました。かねてから坂本さんの名文にふれていた僕は、坂本さんの書いたものが一冊の本になることを心待ちにしていたからです。僕と坂本さんとの関わりは、かもがわ出版から出ている『のこすことば 第六集』に収められている僕の文章を読むとよくわかりますので、次に引用してみたいと思います。

私は、静岡県裾野市で中学三年生に国語を教えています。昨年から授業の最初に新聞などに載った良い文章を一編読んでそれから授業を始めるということを始めました。その68回目に小説家の山本一力さんの文章を取り上げました。大阪で青空書房という古本屋を経営する坂本建一さんが登場する文章です。文章の中には店頭に貼られている紙の言葉も紹介されていました。
「生きるのがいやになったとき、読む本があります。一緒に探しましょう。」
坂本健一さんは、書店を訪れる人の話を聞き、その人にぴったり合った本を薦めてくれるのです。
山本一力さんの文章を読み終えた時です。一人の生徒が「坂本さんに本を紹介してほしい」とつぶやいたのがはっきり聞こえました。その声を聞いていつか大阪の坂本さんに会いにいきたいと強く思いました。
夢がかなう日は意外に早くやってきました。十一月八日に大阪に行く用事ができ、その用事を済ませてから時間をつくって青空書房を訪ねました。中学三年生に向けて何か本の話をしていただきたくてまいりましたと来意を告げると、坂本さんは椅子をすすめてくださり、約一時間、本の話をしてくださいました。心に残る話をいくつも聞くうちに、一語たりとも聞き漏らしてはもったいないという思いが強くなり、途中からメモを取るようにしました。そして翌週の授業でその言葉をプリントして配りました。プリントを読んだあとで、生徒たちに坂本さんに手紙を書こうと呼びかけ、お礼の気持ちをこめて生徒たちの書いた文章を坂本さんに送りました。
それから一月ほどして、分厚い封筒が坂本さんから届きました。それは便箋23枚に及ぶ生徒たちへの返事の手紙でした。一人一人の生徒に向けて温かい言葉が綴られていました。最初のメッセージは次のような内容です。
「読書は人間のしるしです。ろばは本を読みません。(中略)だんだん読書人より「ケータイ」がええ人も増えて来ました。頁を繰ったり、意味を考えたりするのが邪魔くさくなったヒトが「ケータイ」派になって行きます。青空のおっちゃんは考えます。自分で読むのを止めたり考えることをサボった人が増えると支配者や権力者に都合のよい世の中になります。読書する人は想像力が豊かです。想像力が豊かだと優しくなります。相手の痛みや辛さが理解できるからです。相手の痛みが解らないヒトは自分の痛みを予感できません。首を切られてからイタイのでは遅いのです。」
このような言葉が便箋二十三枚にわたって綴られていました。手紙を読んだ一人の生徒は、坂本さんとの出会いは自分の宝だと言いました。八十歳を過ぎてなお働き続ける坂本さんの、人生の知恵に満ちた言葉は、生徒たちの心に一つの灯をともしてくださったと感謝しています。


このあとも坂本さんとの手紙のやりとりは続き、坂本さんから僕は多くのことを学んできました。坂本さんのことを僕はひそかに心の師だと思っています。たくさんの本を紹介してきた「昨日の新聞から」の仕事をほめてくださった時にも、坂本さんは「蒔苗先生のすばらしい読書力には脱帽します。しかし先生のこれ以上ないと思われる人生の本とは何でしょうか。魂をゆさぶられる本、一冊でも多く会えたら良いなあと思っています」と言ってくださいました。こういうことを言ってくださる方こそ師と呼んでいい人ではないかと僕は思っています。
さて心の師と仰ぐ坂本さんの文章を不二聖心の生徒のみなさんにもできるだけたくさん読んでほしいと思っています。『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』の中から特に心に残っている文章をいくつか紹介しましょう。


時代遅れの古本屋

 今は亡き河島英五の歌に「時代遅れの男になりたい」と云うのがあるが、別になりたくってなったのではないが、私など完璧に時代遅れそのものである。何故ならケータイ持たず、パソコン知らず、車に乗れず、三百六十五日毎日ギッコンギッコンペダルを踏んで、背を曲げ、えっちらおちっちら八十四(才)の坂を駆け上っている。どん臭いと云おうか不器用と云うべきか…だから私の雅号は呆。もうこのIT時代に生き兼ねる代物であるが、まあ、いいか。齢八十四、あとどう考えても先は知れている。慾はないが恥をかくことは多い。遠い昔、新婚三ヶ月目の妻に「あんたは甲斐性無しや」と指摘された。それが当たっているから口惜しい。古本屋をやっているが、その実、古本讀屋を続けている。つまり讀書人なのである。
ただし、ポリシーがある。売る辛さも知っている。買う辛さも体験済みである。だから、天秤にかけたり、狡い駆け引きする奴は相手にしたくない。安く売りたい。戦後、鎌倉文庫と云う鎌倉在住の文士達によって作られた雑誌の創刊『人間』発売日。胸弾ませて天神橋筋五丁目、N書店に買いに行ったとき、「みんなお米か野菜もって買いに来はるで」と断られた記憶がある。食料不足の最中、仕方がなかったかも知れないが、若い文学青年は大いに憤ったものである。今、本巷に溢れ、飽食の時代。想像もつかない当時の苦い想い出が、私そして貧しく真面目な向学の青年達に一円でも安く良書を提供したいと創業以来の念願である。綺羅を飾った豪華稀覯本より素朴な装幀で内容のある一冊をすすめて居る。
かつて古本屋はお客に語りかけないのがサービスであると教えられた。今もそうであるかも知れないが、私は本以前に人間が好きである。だからその人の探している本を一緒にさがし、その作家、作品に就いて語り合うことが多い。特に若い人には多くの期待を寄せている。だから持てる知識を出来るだけ多く頒けて行きたい。それが私がこの世へお礼を返すたった一つの方法である。幸い私は蒟蒻弁当のみで苦学した青春の文学歴があり、近代日本文学への愛着も深い。そして古事記、万葉も少しはかじっている。文学を好きになり、人をおもろいなあと思わす位いの材料は持っている。

本との出合いも一期一会

本は生きてます 大切に

二度とない人生 本を読もう

コイン一枚で叡智を友に出来るのだ

一生に一度の出会いそんな本がある

挫折が人生を深くする

蹉跌が新しい明日を導く

湧き出る言葉がある。メモに書いて店の隅に貼る。その癖、人に見られると、恥づかしい。

 次もまた、坂本さんの本への思いが伝わってくる文章です。


つける薬がないヒト

 五十才か六十才位の男である。最初漱石の文庫を棚から引出してちょっと見ていたが直ぐ棚に返し、ぐるっと廻ってその裏側の棚から翻訳ものの少しぶ厚いのをひっぱり出して解説を読みかけた。目が合うのを避けて私は他のお客さんの対応をしていた。十分位経ったか、男は私に気付いて、こちらに背を向け矢張り解説に読み耽っている…。我慢も限界にきた。精神衛生上頗る悪いと覚ったとき「お客さん、解説読んだってその小説は解りませんよ」とつい云って了った。
「何やて。それお客に向かって云うことか。お客がどこ読もうと勝手やないか」
「お客さんと云うのは本を買って頂いて初めてお客さんですよ。十分も二十分も立ち読みせんとわからんようやったら止めてください」
「何云うてんねん。どこ読もうと客の自由やないか。梅田へ行って見い。椅子出して一時間でも二時間でも放っといてくれるで。たかが本ぐらいのことでごじゃごじゃ云うな」
「たかが本ではないのです。そこら中に書いてますやろ。本は生命ですって。本は生きてますって」
「何云うとんのや。本は紙と活字だけや。死んでるやんか。息してへんがな。生きてるやって…おっさん、あほちゃうか。今買わんでも明日買いに来たるかも知れん。本に触ったらみんなお客さんや。おっさんこの本一冊で飯食っとんのやろ。お客馬鹿にしたらあかんで」
「馬鹿にしてまへんけど、本は死んでると考えているような人に店に入って欲しない。出て行って下さい」
捨て科白を残して荒々しく男は立ち去って行った。折り曲げられた文庫を棚に戻しに立った。本は新潮文庫のノーマン・メイラー、中西英一訳『鹿の園』588頁。売り値は百五十円だった。本が汚されたように思えた。値段では無い。我が店に有る本は、文庫たりとも愛着惜かざる息子みたいなものである。
百人の人に百の顔がある如く百冊の本には百の生命がある。色々な受け止め方、感じ方は、読者の境遇・年齢・感覚などでさまざま。本の使命は重い。どっしりと思惑が閉じこめられているからやと思う。
本屋をひやかすのはいい。しかし御自身の人生をひやかして終わるのは如何にも空しい限りである。たった一度の人生であるから。

 初めてお会いした時、坂本さんは「人間として生まれて本読ましてもらうのはものすごう幸せと思います。」とおっしゃいました。ここにも坂本さんの本への思いが見えます。坂本さんのたくさんの言葉にふれ、本を愛する生徒が一人でも増えることを願いつつ、「昨日の新聞から206」を終わりたいと思います。

2013.02.19

神事とヒサカキとチャタテムシの卵塊

  2013.02.19 Tuesday

 不二聖心の中には実にたくさんヒサカキの木があります。それらが今の時期には一斉に小さな粒々の花芽をつけます。神事に用いられる樹木にサカキ(榊)がありますが、サカキの生えない地域ではヒサカキ(非榊)の代用が進みましたので、自ずとどの地域においてもヒサカキの本数は増えていきました。それに伴いヒサカキに依存する生物の個体数も増えていきました。人間の生活の生態系に与える影響はこのようなところにも表れていると言えるでしょう。2枚目の写真は、ヒサカキの葉に産みつけられた1ミリ以下のチャタテムシの卵の塊です。ミクロの世界に及ぼす人間の力もまた多大なものがあります。

 

今日のことば

外なる自然の深みと内なる自然の深みがちょうど対称形をなしているのではないかと感ずることがある。わたしたちの心の内奥は原生の森や海のように深く神秘に満ちていて、どちらに分け入っていっても同じような自己認知の深まりをもたらしてくれる気がするのである。どちらかいっぽうに深く踏み込めれば踏み込めただけ、もう片方の自然にもおのずと深く踏み込めるようになるといえるかもしれない。

星川淳  

2013.02.18

桐の種子を見ることができました

2013.02.18 Monday

 裏の駐車場の桐の大木の枝が暴風で折れ、本来は観察が難しい桐の実を手に取って見ることができるようになりました。実を観察して驚くのはその種子の数の多さです。すべての種に翼がついていて、真下には落下しないで空中を漂うことができるようになっています。あまりの数の多さに呆然としてしまうほどですから、発芽率はあまりよくないことでしょう。種の大きさは翼の部分も含めて約4ミリです。


 
                                                      今日のことば

青春の自伝的作品「男おいどん」でやっと目的に達したけれど、テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は、視聴率が低迷気味で、打ち切りに近いような形で26回で終了。背水の陣で臨んだ「銀河鉄道999」は5回分だけ画いて、ライオンと真剣に決闘したくなってケニアに出かけました。そこで見た星空の壮大さ。38歳のぼくは自分のちっぽけさを知った。目の前のこの広大な自然は、自分が生まれる前から在り、死んだ後もある。人気がなんだ。視聴率がなんだという悟りがごうごうと胸の中に流れこんできた。

松本零士  

2013.02.17

フキノトウが顔を出しました

 

 2013.02.17 Sunday
寒い一日でした。風も冷たく、黄瀬川の近くでジョウビタキを見かけたほかは、生き物の動く気配がほとんど感じられない一日でした。タゴガエルの鳴き声もまったく聞こえませんでした。かろうじて見つけた春の兆しが今日の写真です。今年も裏の駐車場の縁にフキノトウが顔を出しました。早春の山菜として古くから日本人に親しまれてきたフキノトウですが、その中にはフキノール酸、ケンフェノール、アルカロイドなどのポリフェノールが多く含まれ、胃を強くし腸の働きを整えるそうです。フキノトウを食品として利用することは極めて理にかなったことであったということです。

今日のことば 

 最近、大江邦夫『オディロン・ルドン 光を孕む種子』(みすず書房・二〇〇三年)という本を読んだ。フランスの画家、ルドンをめぐる本だが、そのなかで、とくに心に残ったのは、ルドンの若き日の友人であったアルマン・クラヴォーについての章だった。
クラヴォーは、植物学者。いつも顕微鏡を手もとに置き、生命の研究にはげんでいた人物。ルドンよりもひとまわり年上で、生物学のみならず、文学や思想などにも詳しく、貴重な本を集めて書庫をつくっていたという。ルドンは、画家となる前、まだ十代のころに、クラヴォーと出会い、深い影響を受けたとされている。インドの詩について聞かせるなど、ルドンの興味を引く魅力を秘めた人だったのだろう。ルドンはパリへ出て、絵の道を模索するようになる。一方、クラヴォーは、ボルドーで研究をつづける。けれど、その実力にもかかわらず、ボルドー植物園長の要職を与えられないなどの挫折があって、四十過ぎてから自殺してしまう。
いったい、クラヴォーは、どんな人だったのだろう。静かな部屋にいて熱心に顕微鏡をのぞきこむ男のすがたが浮かんでくる。あるいは、書庫の本棚から本を抜き取り、ゆっくりと開く男の背中が、浮かび上がる。
百年以上前の地方都市ボルドーで、インドの詩を愛読したり、神秘思想にも通じていたというクラヴォーは、理解と同時に、多くの誤解も受けていたにちがいない。孤独だったかもしれない。だが、私には、この人物のすがたは、幸せのひとつのかたちであるように見える。
研究を正当に評価されず、最後は自殺。その名も、歴史のなかに長く埋もれていた人物なのだ。それなのに、なんとなく、この人は幸せだったのではないだろうかと思える。どうして、そう感じるのだろうと考えて、とても単純な答えに辿り着く。つまり、この人は、なにをやりたいのか、いつも自覚していた、ということだ。
充実、などという言葉で表せば、あまりにも陳腐になってしまうけれど、一瞬一瞬が、内側からきっちりと支えられていた人ではないかと感じられる。自分の内側から支えられる、ということは、とても大事なことだと思う。

蜂飼耳  

2013.02.16

ヒサカキハフクレフシの中で越冬するホソガの幼虫を発見



2013.02.16 Saturday

ヒサカキの葉上にホソガが作るヒサカキハフクレフシという虫こぶを見つけました。虫こぶの中にはホソガの幼虫が潜んでいました。白い線はホソガの幼虫が葉の隙間にトンネルを作ったあとで、茶色く変色している部分が幼虫の出す化学物質によって植物が形成したホソガのための居住空間です。この時期の幼虫は九州以外ではあまり確認されていませんが、今回、静岡県裾野市で発見されたということは、他の県でも発見の可能性があるということになります。もしデータが蓄積され幼虫越冬の地域が北上していることが確認されれば、ヒサカキハフクレフシを温暖化の指標としてとらえることができるようになります。『不二聖心のフィールド日記』をお読みのみなさんもお近くのヒサカキの葉をながめてみてはいかがでしょうか。九州以外で、写真と同じような模様の、幼虫が中にいるヒサカキハフクレフシが今の時期に見つかったら、一つの重要な資料となります。

 
今日のことば

今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか。雲はどんなかたちをしていましたか。風はどんな匂いがしましたか。あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を見たことがありますか。樫の木の下で、立ちどまったことがありますか。街路樹の木の名を知っていますか。樹木を友人だと考えたことがありますか。

長田弘  

2013.02.15

キッコウハグマと閉鎖花

 

2013.02.15 Friday

 林道でキク科のキッコウハグマを見つけました。キッコウハグマは、蕾のまま花を開かずに自家受粉する閉鎖花をつけることがあります。自家受粉は他の花から花粉を運ぶ必要がないだけ受粉が容易になり、それだけ種子を多くつけることができます。しかし、そのようにしてできた種子は同じ遺伝子を持つことになり、遺伝子の多様性は失われます。ある生物の繁栄がするためには、個体数を増やすことと遺伝子の多様性を保つことの二つの手段があります。キッコウハグマは、時に自家受粉をし、時に他家受粉をすることによって、その両方の戦略をとろうとしているわけです。閉鎖花が生まれた意味を考えるだけで自然界の不思議を実感することができます。

今日のことば          

善事とは神を信じることである、悪事とは神から離れて人と自己とに頼ることである。そのほかに善事もなければ悪事もない。病気は必ずしも悪事ではない。もし私たちを善なる神に導くならば病気もまた善事である。健康は必ずしも善事でない。もし健康が人に自己を頼らせ、自己を賢いと思わせるようになるならば、健康はかえって悪事である。貧困も同じことである。その反対の富貴も同じことである。

内村鑑三  

2013.02.14

蜂の巣に似ているハチノスタケ

  2013.02.14  Thursday

 第2牧草地の池の近くでハチノスタケを見つけました。管孔(キノコの傘の裏側に形成される器官)が蜂の巣状になっているところから、ハチノスタケと呼ばれます。
キノコの中には特定の樹木にだけ生えるものもありますが、ハチノスタケはさまざまな広葉樹に寄生することで知られています。特定の生物と結びつくことで繁栄をはかろうとする生き物もいれば、幅広くいろいろな生物と関わりを持つことで繁栄を勝ち得ようとする生き物もいます。自然界の生き物のつながりは実にさまざまです。


 

今日のことば 

 昨日の新聞から92 平成19年2月26日(月)
『物語の役割』(小川洋子 ちくまプリマー新書)を読む
―― 人間は、なぜ物語を必要とするのか? ――

2月18日の朝日新聞に、小川洋子の『物語の役割』という本についての、次のような短い書評が載りました。

 小説家の空想力や想像力には、現実の中にちりばめられているたくさんの題材がヒントになる。誰もが現実を受け入れるために「物語」を紡ぎ出しているのだ。自作がイメージから言葉になっていく過程や、子ども時代の本の思い出などをテーマに、小川ワールドを語った講演録。(ちくまプリマー新書・714円)

 この短い書評からもわかるように、小川洋子が問題にしている「物語」とは、「源氏物語」や「若草物語」といった文学作品だけを指すのではなく、広く現実の世界で生まれる「物語」をも含んでいます。書評には「誰もが現実を受け入れるために『物語』を紡ぎ出しているのだ」とありますが、そのようにして生まれた物語の例として、小川洋子は次のような話を紹介しています。

 もう一人私がここで思い出すのは、1985年、日航ジャンボ機の墜落事故で、九歳の息子さんを亡くされたお母さんの姿です。私は遺族の方々が編まれた文集を読んだのですが、この九歳の坊やは生まれて初めての一人旅で、大阪のおじさんの家へ行く途中でした。当時人気のあった、清原、桑田のいるPL学園を応援するために、甲子園で野球観戦をする予定でした。それであの、JAL123便に乗ったのです。
たぶんお母さんは、スチュワーデスさんがいる分、新幹線より飛行機の方が安心だと思われたのでしょう。羽田まで息子さんを見送った別れ際、息子さんは「ママ一人で帰れる?」と言ったそうです。
なぜあの飛行機に乗せたのか。九年の人生で一番怖い思いをしただろう時に、どうしてそばにいてやれなかったのか。お母さんの文章は、始終自分を責める言葉で埋まっていました。直接そうは書かれていませんが、自分が子供を殺してしまった、という思いが伝わってきました。
恐らく同じ立場に立たされた母親なら、全員そう思うでしょう。一生自分を責め続け、自分を許さないでしょう。しかし、現実をありのままに見るなら、責任を取るべき人たちは他にいます。尾翼の不良を見逃した日航か、機体を製造したボーイング社か、同じ機体が以前しりもち事故を起こした時、調査した運輸省(当時)か……、とにかく責められるべき人がいるはずです。そして母親には何の落ち度もありません。
けれど、たとえそうした責任追及がきちんとなされ、原因がはっきり解明されたとしても、母親の罪悪感は消えないはずです。自分が子供を殺した、というフィクションの中に、苦しみの源を持ってくる。そういう苦しみ方をしなければ受け止めることのできない悲しみが、この世にはあるのでしょう。
事故からちょうど二十年が経った夏、テレビのニュースでそのお母さんの姿を拝見する機会がありました。遺族の集まりのリーダー的存在として、さまざまな活動を通し、空の安全を追求している様子が映し出されていました。もちろん、息子さんを失った悲しみは一かけらも消えていません。しかし、悲しみに押しつぶされるのではなく、それを礎として、自分の経験を社会のために生かそうと努力しておられる。そのお姿に胸を打たれました。
現実を棘で覆い、より苦しみに満ちた物語に変え、その棘で流した血の中から、新たな生き方を見出す。お会いしたこともないお母さんから、私は人間が作り出す物語の尊さについて教えられた気がしました。

 ここに引用した物語は、日航ジャンボ機墜落事故が契機となって生まれた物語で、特殊な体験を綴ったものと言えるでしょう。このような体験をしていなければ、物語は生まれないものなのでしょうか。そうではないと小川洋子は考えます。『物語の役割』の中には、「物語はそこかしこにあるのです」や「誰でも生きている限り、かたわらに自ら作った物語を携えている」など、小川洋子の物語観がうかがわれる発言がたくさんあります。
「物語はそこかしこにある」という考えを説明するにあたって、小川洋子が取り上げたのは『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本でした。『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』は、アメリカの人気作家ポール・オースターが呼びかけて全米から集めた話を一冊の本にしたものです。ここでも一つだけ紹介しておきましょう。

ファミリー・クリスマス

(これは父から聞いた話だ。1920年代前半、私が生まれる前にシアトルであった出来事である。父は男六人、女一人の七人きょうだいの一番上で、きょうだいのうち何人かはすでに家を出ていた。)

 家計は深刻な打撃を受けていた。父親の商売は破綻し、求職はほとんどゼロ、国中が不況だった。その年のクリスマス、わが家にツリーはあったがプレゼントはなかった。そんな余裕はとうていなかったのだ。クリスマスイブの晩、私たちはみんな落ち込んだ気分で寝床に入った。
信じられないことに、クリスマスの朝に起きてみると、ツリーの下にはプレゼントの山が積まれていた。朝ごはんのあいだ、私たちは何とか自分を抑えようとしつつ、記録的なスピードで食事を終えた。
それから、浮かれ騒ぎがはじまった。まず母が行った。期待に目を輝かせて取り囲む私たちの前で包みを開けると、それは何か月か前に母が「なくした」古いショールだった。父は柄の壊れた古い斧をもらった。妹には前に履いていた古いスリッパ。弟の一人にはつぎの当たった皺くちゃのズボン。私は帽子だったーーー 11月に食堂に忘れてきたと思っていた帽子である。
そうした古い、捨てられた品の一つひとつが、私たちにはまったくの驚きだった。そのうちに、みんなあんまりゲラゲラ笑うものだから、次の包みの紐をほどくこともろくにできない有様だった。でもいったいどこから来たのか、これら気前よき贈り物は? それは弟のモリスの仕業だった。何か月ものあいだ、なくなっても騒がれそうにない品をモリスはこつこつ隠していたのだ。そしてクリスマスイブに、みんなが寝てからプレゼントをこっそり包んで、ツリーの下に置いたのである。
この年のクリスマスを、わが家の最良のクリスマスのひとつとして私は記憶している。
ドン・グレーヴズ(アラスカ州アンカレッジ)

小川洋子は、「このなかに非常に深い物語が隠れている」と思うと言います。『物語の役割』は決して抽象的な物語論ではありません。このように深い意味を持った、いい話がたくさん紹介されていて、読んでいて飽きることがありません。とりわけ興味深く読んだのは、小学生の時に『ファーブル昆虫記』を通して小川洋子が学んだ、読書の意味についての話でした。続けて引用してみましょう。

小学校に入ってからの読書経験の中で、私を特に夢中にさせたのは、『ファーブル昆虫記』です。ご存知の方も多いと思いますが、その最初に取り上げられているのがスカラベ・サクレ、いわゆるフンを食べる虫、フンコロガシです。
牛や羊のフンを玉にして転がす習性があるこの虫は、体は丸くて平たく、黒光りしています。頭部のへりがシャベルのようになっていて、ギザギザの歯が付いており、前肢も同じくのこぎりの歯のようにギザギザしています。まずフンを見つけて飛んできますと、頭と前肢で適当な部分を切り分け、山の中からきれいに球形をくり貫きます。その途中で集ってきた他の仲間が多くて邪魔になると、前肢でパシンと叩き落としたりします。それから、くり貫いた球形の表面を、前肢の平たい部分をこてのように使ってつるつるに整えます。その時玉は地面の同じ場所に固定されたままで、雪だるまを作る時のようにクルクル回転させたりはしません。そして、完全な球形を作ってから初めて、他のスカラベに邪魔されない安全な巣穴まで運びます。それは自分の体よりもずっと大きな玉です。
この転がし方がユニークで、逆立ちをして後ろ向きに玉を押してゆくのです。二本の長い後肢で玉を抱えるようにして、その後肢の先にある爪を玉に刺して、そこを中心に回転させます。前肢で体重を支えながら、その前肢で地面を右左、右左と素早く押して、後ろ向きに進んでゆく。急な坂で失敗して転がり落ちても、でこぼこ道でも、十回でも二十回でも失敗しながら、がむしゃらに進みます。
途中、ずる賢いのがいて、やっと一つの玉を作り終え、さあ、と転がし始めたところに、お手伝いしましょうか、という風を装って親切そうに寄ってきます。本来の持ち主が、逆立ちをして一生懸命玉を押しているのを、お手伝いの方は、立ち上がった格好で引っ張るのですが、リズムが合わずに、とうとうお手伝いは手足を縮めて玉に張り付いて、玉と一緒に転がってゆきます。あとで自分がいただいてしまおうという魂胆のようです。あるいはそこで喧嘩になって、お互い玉の上と下ではたきあいになり、もうどっちが本来の持ち主か分からなくなって、とうとうはたき落とされた方が、最初から玉の作り直しをするはめになる、というような小さなドラマが繰り広げられます。
そうこうしながら、安全な気に入った場所まで玉を運ぶと、今度は食事用の穴を掘ります。だんだん穴が深くなってくると、心配になるのか、外に出るたびに玉の方をチラッと見て、「ちゃんとあるな」と確かめます。それでもまだ安心できない時は、玉に触ってみたりもします。それで元気を取り戻し、また巣穴を掘りはじめます。そこへ食料となる玉を入れ、自分も中に入り、土で入り口を塞ぐ。あとはゆっくり食べるだけです。
私は、広々とした草原で、懸命に玉を転がしてゆくスカラベの姿に思いを馳せました。彼らは道具等一切使わず、神様から与えられた、生まれ持った自分の体だけを使って、完全なる球形を作り出します。誰に教わるのでもなく、練習してそうできるのでもなく、生まれながらにして玉つくりの名人なのです。ファーブルはスカラベのことを、「天才だ」と書いています。

 さて、このようにして小川洋子はスカラベの話を紹介しているのですが、この話を読んで最も強く心に残ることは何でしょうか。フンを転がすというスカラベの生態のユニークさでしょうか、フン玉の取り合いの激しさでしょうか、その持ち主が簡単に入れ替わってしまうことの理不尽さでしょうか。さまざまな点で興味深い話ではありますが、『博士の愛した数式』の作者は、たいへん独特な読み方をしています。続けて引用してみましょう。

 自分が立っているのと同じ地続きのこの地面の向こうで、自分とは全く異なる姿かたちをした生き物が、自分とは全く違う方法で生きている。遠すぎて見えない場所にもちゃんと世界があって、そこも神様の見事な計らいによって守られている。私は『ファーブル昆虫記』を読んで、何とも果てしない気持ちになりました。自分が何か偉大で巨大な全体の一部分であり、その部分をスカラベと平等に分け合っている、という気持ちとも言えるでしょうか。自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感を、『ファーブル昆虫記』によって私は味わったのです。

 小川洋子の考える「物語の役割」の一つがここにあります。つまり、私たちは、物語を読むことを通して「何か偉大で巨大な全体」に触れ、「自分というささやかな存在に振り回されるのではなく、そこから一歩離れて、世界を形作っている大きな流れに身を任せることの安心感」を味わうことができるというのです。
平成18年度の「昨日の新聞から」は92号で終わりとなります。64号(『藍の空、雪の島』を読む)のカンボジア難民の話から92号のスカラベの話まで、実に多くの物語を紹介してきましたが、良い物語というものは確かに自分という小さな存在を離れて大きな世界へと私たちを誘い、「大きな流れに身を任せることの安心感」を感じさせてくれるものだと強く思います。
新しい年度においても、「大きな流れ」の存在に目を開かせてくれる、すばらしい物語との出会いがあることを祈りつつ、今年度の「昨日の新聞から」を終わりにしたいと思います。

2013.02.13

白い綿毛のコウヤボウキとピンクの綿毛のコウヤボウキ

  2013.02.13 Wednesday

 2月12日のクローズアップ現代で、智弁和歌山の高嶋仁野球部監督が指導者としての精神的修養のために約20キロの高野山町石道を歩いているという事実を報じていました。
不二聖心の中にも心を整えるのにふさわしい道はたくさんありますが、とりわけ第2牧草地から東名カントリーへと続く林道(生徒は5月のオリエンテーリングの時にこの道を歩きます。)は心が落ち着く道です。この道は、日本各地で絶滅危惧種に指定されている希少種の宝庫でもありますが、今の時期は高野山に関わりのあるコウヤボウキ(高野箒)が種子をつけている姿を見ることができます。(コウヤボウキは宮城県で絶滅危惧Ⅰ類、群馬県で準絶滅危惧種に指定されています。)コウヤボウキは、通常は白い綿毛の種子をつけますが、今年はピンクの綿毛の種子をつけている木が2本だけ確認されました。とりわけ希少なコウヤボウキかもしれません。


関連するホームページ
http://www.wakayama-kanko.or.jp/kataribe/01/about_index.html


 

 今日のことば

 目が弱くなりました。よくは見えないのですよ。でも、それはいつも朝もやのときと夕暮れのとき、いちばん物静かな詩の雰囲気が漂うということなのです。私は今、なんと幸せなのでしょう。いつも薄明のなかにいて、いらないものが詩のたたずまいを妨げるということと戦う必要がなくて、もう動けなくなったので散歩にも行けないけれど、いつも詩の風景のなかにいます。思い出の風景もオーリヴァの顔も、目がはっきりと見えていたときでさえ、こういう神の吹き下ろしてくださる靄や霧のなかにありました。友信さん、健やかなあなたももう七十ですから、こういうふうにならないとも限りません。でも人間の運命にはいつもゴッテスドゥフト(神の香気)が漂うのを忘れないようになさいね。

ヴァレスカ・クリューガー・フォン・レンスキー  

2013.02.12

雑木林で見つけたウスタビガの繭  牧草地のタネツケバナ

  2013.02.12 Tuesday

 第2牧草地の上の雑木林でウスタビガの繭を見つけました。先日は第1牧草地の横の道で見つけたウスタビガの繭を「不二聖心のフィールド日記」で紹介しました。不二聖心では、かなり広範囲でウスタビガが生息していることがわかります。

関連する「不二聖心のフィールド日記」
フィールド日記 2012.11.29 ウスタビガの交尾  森の中の鳥の声

 

 第2牧草地の入り口のところには、タネツケバナが咲いています。アブラナ科の植物によく見られる細い棒状の実が写真でもはっきり確認できます。早春の野を彩る小さな命の姿です。

今日のことば

信仰とは己の神に耐えることだと思うほど、神の恵みが見えにくいときがあります。皮をむかないことには実の食べられないのが果物の常ですが、恵みもときに固い皮の下に潜んでいて、わかりにくいこともあります。すでに存在する恵みを辛抱の末に発見することが信仰の道だとも言えます。人生はそれゆえ自分に与えられた恵みを発見する旅なのです。

今道友信  

2013.02.11

シダらしくないシダ  トウゲシバ





 2013.02.11 Monday

 林道の脇にかたまって生えているトウゲシバをよく見かけますが、一か所だけ今の時期に胞子をつけているトウゲシバの生えている場所を見つけました。黄色い胞子のうを見ると、杉の稚樹のようにも見えるトウゲシバがまぎれなくシダ植物であるということがよくわかります。手で触れると黄色い胞子の粉があたり一面に飛び散りました。トウゲシバは鹿児島県で準絶滅危惧種に指定されています。またフペルジンAを含むために医科学の分野でも注目されている植物で、トウゲシバの成分を含むサプリメントは、学習能力や記憶力の向上に効果があるという説もあるようです。

参考ホームページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%B3A

 

今日のことば 

君の一日の中の一時間を、君の魂の最も純粋な声のためにささげる習慣をつけたまえ。その習慣のためには、新聞雑誌や宣伝文ではない、古今東西の永遠の書物や、また最良の音楽がたしかに助力を与えてくれる。それらの書物、それらの音楽に、君自身の魂の立場から触れたまえ。

片山敏彦  

2013.02.10

春の訪れ オオイヌノフグリが咲きました



 2013.02.10 Sunday
  今日は久しぶりに第2牧草地を歩いてみました。牧草地を覆っていた外来種のメリケンカルカヤは不二農園の方々によって見事に刈り取られていました。
牧草地の脇の道ではオオイヌノフグリを見つけ、春の訪れを実感しました。稲垣栄洋さんの『身近な雑草のゆかいな生き方』という本にはオオイヌノフグリの学名ついての興味深い文章が載っています。その一部を引用します。 

オオイヌノフグリの学名は「ベロニカ」という。重い十字架を背負って刑場に向かうキリストの顔の汗を拭いてあげた女性のハンカチに、キリストの顔を浮かび上がるという奇跡が起きた。この女性の名がベロニカである。オオイヌノフグリの美しい花をよく見ると、キリストらしい人の顔が浮かび上がっている。これがベロニカと呼ばれるゆえんである。なんと高貴な名なのだろう。
花に浮かび上がったこのキリストの顔は、実はハチやアブを呼び寄せるための模様である。四枚の花びらには中央へ向かって蜜のありかを示すガイドラインが引かれている。まさに迷えるハチたちを導いているのである。
 

今日のことば

恐れなければ、人生はすばらしいものだ。人生に必要なもの。それは、勇気と想像力、そして少しばかりのお金である。

チャーリー・チャップリン  

Yes, life is wonderful, if you’re not afraid of it. All it needs is courage, imagination, and a little dough. 

2013.02.09

ウメノキゴケと中国の大気汚染

  2013.02.09 Saturday

 本館前の築山の紅梅はしばらく前から花を咲かせていますが、白梅はまだ蕾です。同じ梅でも種類によって開花時期が大きく異なることがわかります。


 不二聖心の梅の木には地衣類のウメノキゴケがたくさん付いています。空気が汚れてくるとこのウメノキゴケは姿を消すと言われます。つまりウメノキゴケは環境調査の一つの指標となるということです。中国の大気汚染の影響が懸念される今、周辺のウメノキゴケの状況を調査しておいて、その後の変化を見守ることも重要な意味を持つように思います。

参考ホームページ
ウメノキゴケを用いた環境調査について
http://www.asahi-net.or.jp/~ep3n-kizm/asobo/umenoki.htm

今日のことば

 時実利彦先生がおっしゃっていたことを思い出します。子どもに「考えさせる」ということをした人がいちばん教師としてすぐれている、……できるようになったか、ならないか、どっちでもよろしい。けれども、考えるということをさせた事実、「考えなさい」と言った人ではなくて、考えるということを本気でさせた人が、いちばん偉いとおっしゃったのです。それだけのために教師はあるぞと、先生はおっしゃったのです。

大村はま  

2013.02.08

クヌギエダヒメコブフシ

  2013.02.08  Friday

 不二聖心で初めて、クヌギエダヒメコブフシという虫えい(虫こぶ)が確認されました。『日本原色虫えい図鑑』では、クヌギエダヒメコブフシが次のように説明されています。

直径2~数mmの半球形あるいは不整球形の膨らみがクヌギの小枝に連なって形成される虫えいで、表面は平滑、淡緑~緑褐色。ときには葉柄や中肋に形成されることもある。連なった虫えいには多くの幼虫室があるが、1個の幼虫室には1匹の幼虫が入っている。この虫えいからはタマバエの他にタマバチや甲虫類の幼虫が得られることもあり、複雑な複合体が構成されている。少なくともタマバエが虫えい形成者であることは確実であるが、タマバチなどとともに複合虫えいを形成している可能性もある。

 虫えい(虫こぶ)は、互いにつながりあう自然界の象徴のような存在だと常々思っていますが、クヌギエダヒメコブフシは、とりわけ複雑なつながりを作り出しているようです。

今日のことば
                                

 昨日の新聞から72 平成18年6月26日(月)
 『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社編)を読む
―― 少年院から届いた詩集 ――

6月15日の朝日新聞の「折々のうた」に次のような歌と大岡信の文章が載りました。
 この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し   

島秋人(しまあきと)  

 『遺愛集』(昭四二)所収。昭和四十二年(一九六七)年十一月二日、小菅刑務所で死刑を執行された死刑囚。警察官だった父が敗戦で失職し、自らも中学を出て非行少年となった。新潟県の農家に深夜忍びこみ、主人に重症を負わせ、その妻を絞殺、金品を奪って逃走するがまもなく逮捕された。獄中で短歌を独習し、毎日新聞の歌壇欄に投稿、選者窪田空穂を師父と仰ぐ。多くの愛読者があった。右は刑死前夜の作。三十三歳。

 この「折々の歌」を読んで、久しぶりに島秋人のことを思い出しました。『遺愛集』は大学時代の僕の愛読書であり、刑務所での日常を愛おしむ歌を繰り返し読んだことを覚えています。新聞に載った歌には、処刑というかたちで人生の最期を迎える直前の心境が「この澄めるこころ」と表現されていますが、島秋人が落ち着いた静かな心で死を迎えたことは、処刑当日書かれた手紙からもうかがい知ることができます。短歌と出合うきっかけをつくってくれた吉田絢子さんに宛てた手紙を引用してみましょう。

奥様
とうとうお別れです。思い残すことは歌集出版が死後になることですね。被害者の鈴木様へのお詫び状を同封しますので、おとどけくださいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守ってくださいね。父たちもかわいそうな被害者なのです。
短歌を作ってよかったと思って感謝しています。僕のことは刑に服してつぐないする以外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。

 島秋人の歌と手紙を久しぶりに読んで、僕は次の言葉を思い出しました。刑務所で五十年にわたって作歌の指導をしてきた扇畑忠雄の言葉です。

 「わたしは年齢こそ上だが、人生では彼らがベテランです。悪いことをし、苦しんでいるのだから。石ころを蹴飛ばし、花を千切って歩いていた人が、歌を通じて見るものが新鮮に感じられるようになれば、すばらしいことですね」

 実は、偶然にも、この一週間の間にもう一度、この言葉を思い出すことになりました。それは『雨のふる日はやさしくなれる』という詩集と出合ったことがきっかけでした。『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリー)がどのような本かを伝えるために、嶋谷宗泰さんの「発刊にあたって」の文章を引用してみます。

 少年の詩は、心の底の感動を素直にうたい上げるものです。日々の生活の中で、いろいろな思いが心につまって、豊かな感動となり、それがあふれて、濃縮された言葉で表現されたものが少年の詩だと思います。
少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。
八街(やちまた)少年院に来た少年たちはそれぞれ相当に非行の進んだ少年たちです。入院する前は人を傷つけ、自分をも傷つけ、人間であることを自ら拒絶したようなすさんだ心情に身をおいた少年たちです。人間らしい豊かな感受性や知性を堅い殻の中に閉じ込めて、全て無気力に、あるいは野獣のように荒れてきままな生活を送ってきた少年たちです。その少年たちに詩を書かせたいと思いました。一見それはたいへん不釣り合いなのですけれど、不釣り合いだからこそ、やる価値があると考えたのです。
しかし、ここで目指したものは、文学や芸術としての詩ではありません。生活の中の喜びや悲しみを素直に感じ取って、それを簡潔に表現することで、一生懸命生きてゆくことの尊さや、苦労しながら成長することの楽しさを少年自らが認識してゆく方法として詩を指導したいと思ったのです。つまり、芸術として詩を作らせるのではなく、教育として、心を育てる手段として、生活詩を書かせようと考えたのです。勿論、結果として、少しでも芸術の香りのする作品ができるに越したことはありません。しかし、芸術的な価値がなくとも、少年が真剣に考え、感じ取り、その感動を表現することができることをこそ、大切にしたいと思いました。たとえ表現が優れていても、その言葉に真の生活実感がこもっておらず、いわば口先だけで書いたのでは、詩は教育としての力を持ち得ません。表現が稚拙であっても、感動する心をこそ、大切にしてゆきたいと思いました。
詩の指導を開始してほぼ二年がたちました。月に1回程度、全員を集めて、少年たちの作った詩をプリントして配り、それを大きな声で朗読しました。その詩の良いところを話しました。そして、詩は心の感動を表現するものだから、感動を表現できる豊かな心がなければならないということを、だから、詩を作るということは、心を耕して心を豊かにすることなのだということを繰り返し話しました。表現の上手、下手はあまり問題にしませんでした。表現の指導よりも、心の持ちよう、ものの見方や感じ方を指導しました。

 嶋谷宗泰さんは、「少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。」と書いていますが、少年たちの詩を読むと、嶋谷さんの思いが見事に実現していることがよくわかります。少年の詩をいくつか紹介してみましょう。


なりたい  和規(幼い頃から父母の葛藤の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えた。)

心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい。


うそ   昌士(父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けた。)

今日 詩の話があった
僕の名が二つもあった
素直に嬉しかった
寮にもどると
うそが うまいなあ
と みんなに言われた
悲しかった

僕の生活がみんなに
そう言わせているのかな


人の祈り   兵吾

人は誰でも祈る
自分の都合に合わせて祈り
それが叶うと喜び 叶わぬと怒り
それでも人は祈り続けて
人など勝手なものだ
無論 私も自分のためにしか祈ったことがない

しかし
人は
自分以外の人のために 祈ることもあるという……
いつか
私も人のために祈ることができるだろうか
本当に人のために祈ることがあるだろうか


ごめんなさいが言えなくて   吉之

ごめんなさい
その一言が言えなくて
多くの人を不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
自分をこんなに不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
後悔だけが残った
ごめんなさい
心からこの一言が言えていたら
俺は今ごろ何をしていただろう

 嶋谷さんは「思えば彼らは、これまでに、幾度も挫折し、深い悲しみと苦しみを重ね、悩み、若くして大いに苦労を重ねて生きてきたわけで、いわば大変な苦労人です。彼らの詩には、彼らでなければ書けない、若い苦労人の優しさがあるように思われます。」と書いています。

 本当に苦しんだことがある人だけが持ち得る優しさがある。そのことを、島秋人も扇畑忠雄も嶋谷宗泰も、そして少年たちも教えてくれているように思います。

2013.02.07

校舎の裏で5年連続ツチグリの発生を確認

  2013.02.07 Thursday

 平成21年の春から4年続けて校舎の裏でツチグリ(Astraeus hygrometrics)の発生を確認してきました。5年目の今年はどうかと楽しみにしていましたが、今日、5つのツチグリの発生を確認することができました。学名のAstraeus hygrometricsは「星形の湿度計」という意味です。外皮が裂けて開いた状態がまさに星形をしているのが、写真からもわかります。NHKの関連のホームページでは、ツチグリが開いていく時の素晴らしい映像が公開されています。

http://www.nhk.or.jp/rika/micro/?das_id=D0005100146_00000

今日のことば

 植物が地上にあらわれたのは四億五千年前。それからの長い年月、植物にとって平穏無事な毎日ばかりではなかった。地球の歴史のなかで、植物は気候の変動を乗り越え、あらゆる環境に適応していった。あるときは病原菌にむしばまれ、あるときは迫り来る動物や昆虫から身を守らねばならないこともあっただろう。また、あるときには生活空間や光を奪い合って、ほかの植物と激しい生存競争を繰り返すこともあったにちがいない。そして、あるものは、昆虫に花粉を運ばせるために花を発達させ、あるものは鳥に種子を運ばせるために果実を発達させた。
こうして生き残りをかけて、壮絶ななかにも華麗なる進化を遂げた植物たちは、さまざまな特性を身につけたのである。そして、人間はそれを利用して文化を創造し、豊かな暮らしを築き上げた。何気ない日々の暮らしのなかで活躍する植物も、そのルーツをひもとけば、人間と植物それぞれの思惑が交錯したドラマが存在するのである。

稲垣栄洋  

2013.02.06

東北大学で温暖化指標生物と見なされたヤツデ

 

 2013.02.06 Wednesday
東北大学の広報誌『まなびの杜』に東北大学名誉教授の鈴木三男先生が、興味深いことをお書きになっていました。仙台で見られるヤツデは、かつては冬の寒さで枯れていたのに最近は越冬できるようになったというのです。地球温暖化の影響であろうということでした。不二聖心では築山のヤツデが白い実をつけています。これからは不二聖心でヤツデを見るときにも温暖化指標の植物という視点を持って見ていきたいと思いました。

今日のことば

 ほんとうに、世のなかが機械化し、便利になればなるほど人間は、なでさするようにして物をだいじにし、具体的な物から影響を受け、物から学ばなくてはならないのである。物が自分を育ててくれることを考え、物をだいじにしていかなければならないのだ。そういうことをしないと、みんなふわふわしてしまい、自分や自分の考えのない、機械の部品のような人間になってしまうのだ。

斎藤喜博  

2013.02.05

シダからタマアジサイに寄主転換するコモチシダコブアブラムシ



 2013.02.05 Tuesday
 2月3日にヤマイタチシダの葉裏から採集したアブラムシがコモチシダコブアブラムシであることがわかりました。このアブラムシはシダからタマアジサイへと寄主転換します。なぜシダの次がタマアジサイなのか。自然界の不思議は尽きません。

今日のことば

 自我を抑えて無差別智を働かせている時には真我があらわれる。私についていえば、数学の研究に没頭している時は、私は生きものは決して殺さないし、若草の芽もみな避けて踏まない。だから真我の内容は慈悲心であることがわかる。私はこれを数学の研究によって体得したのだが、真、善、美、どの道を進んでもみな同じだと思う。

岡潔  

2013.02.04

図書館の花壇の紅梅

 

 2013.02.04 Monday
図書館の前の花壇の紅梅がしばらく前から咲き始めています。梅の品種は無数にありますが、これは緋梅系と呼ばれる種類で枝の髄まで紅いと聞いたことがあります。紅梅の紅色は木全体で生み出している色なのかもしれません。

今日のことば

さくらばな陽に泡立つを目守りゐるこの冥(くら)き遊星に人と生れて

山中智恵子

2013.02.03

ついにタゴガエルが鳴きました

  2013.02.03  Sunday 

 不二聖心には、「幻のカエル」と呼ばれるタゴガエルが生息しています。タゴガエルは、岩穴の中で生活し真冬に産卵するという珍しいカエルの生態です。(写真はタゴガエルの生息場所を移したものです。この崖の中から声が聞こえてきます。)真冬に一度冬眠から目覚め、交尾・産卵をして再び眠りにつくと言われます。2月に入ってから、交尾期に聞かれる鳴き声がしていないか、観察してきましたが、ついに今日、鳴き声を録音することができました。富士山麓全体でもタゴガエルの生息場所はほとんど残っていないと言われます。貴重な鳴き声をどうぞお聞きください。

 

 

 今日のことば

 昨日の新聞から266 平成24年5月28日(月)

 『幻のカエル ―― がけに卵をうむタゴガエル ――』
(大木淳一 新日本出版社)を読む
―― 幻のカエルを不二聖心で発見 ――

 数年前の二月の寒い日のことでした。不二聖心の裏道を歩いていて「グワッ、グワッ」という不思議な声を耳にしました。声の出所を探ってみると、裏道の壁面にできた岩穴にたどりつきました。その穴の奥から「グワッ、グワッ」という声が、少しずつ間を置きながら聞こえてきていたのです。
おそらくカエルの声ではないかと思って調べてみたら、アカガエル科のタゴガエルという種類のカエルが岩穴の奥で生活していることがわかりました。それからこのカエルについての興味が高まり、いろいろな文献を読みましたが、その中で最も興味深かったのは『幻のカエル ――がけに卵をうむタゴガエルーー』という絵本でした。作者は大木淳一さん。大木さんは千葉県立中央博物館の学芸員で専門は地質学です。地質学とタゴガエルは一見、結びつかないように思うかもしれませんが、実は地質学者としての知識がタゴガエルを研究する上で非常に役に立ったのです。タゴガエルは特殊な環境にしか生息できないカエルで、その環境には地層の成り立ちが深く関わっているからです。
生息環境と聞こえてくる声から、岩穴の奥にいるのはタゴガエルに間違いないと思っていましたが、できれば声だけではなく実際の姿を見てみたいとずっと思い続けてきました。
今年の春は慶応義塾大学のカエルの専門家の先生にも、不二聖心の岩穴の画像を見ていただき、いかにもタゴガエルがいそうな場所だというお答えをいただきました。先生からのアドバイスを参考にインターネットでタゴガエルの鳴き声を再度確認し、穴からの声と全く同じであることも確かめました。こうして岩穴の奥には間違いなくタゴガエルがいると確信するに至ったのです。
しかし、それでも一度実物を見てみたいという思いはなかなか捨てきれませんでした。穴の中に頭を突っ込んで必死に穴の奥をペンライトで照らしたりもしてみましたが、タゴガエルの姿は見ることができませんでした。
そんなある日のことです。岩穴の様子を見ようとすると、穴の手前に何か光るものを見つけました。よく見ると卵塊です。それはどう見てもカエルの卵塊でした。
日本でよく見られるアカガエル科のカエルは3種います。3種は非常によく似ていて見分けるのは容易ではないのですが、卵には大きな違いがあります。穴の前に落ちていた卵は間違いなくタゴガエルの卵でした。
ここで一つ疑問が生じます。タゴガエルは岩穴の中に卵をうむカエルなのに、なぜ岩の外に卵が落ちていたのかということです。 
一つだけ考えられる理由がありました。
この発見をする数日前、静岡県東部は大雨に見舞われました。その時には、タゴカエルの住処を含む地層にも大量の雨水が流れ込んだと想像できます。その雨水がタゴガエルの卵を岩穴の中から外へと押し流した可能性が考えられるのです。
流れ出した卵をいくつか自宅に持ち帰り、飼育を試みましたが成功しませんでした。もしすべての卵が押し流されたとしたら、今年は新しい世代が誕生しないということになってしまいます。穴の中にまだ卵が残っていれば、世代がつながることになります。それを確かめる方法が一つだけありました。タゴガエルは子ガエルになったら一度、岩の外に出てくる習性があるのです。運がよければ子ガエルの発見によって世代が途切れなかったことを確認できるかもしれないのです。
5月16日の朝のことでした。
岩穴の周辺を確認していると、イワボタンの葉の上に何やら茶色いものが乗っています。それは体長わずか七ミリの子ガエルでした。ついにタゴガエルの姿を確認できたのです。一匹見つかると次から次にカエルを発見することができ、最終的には10匹近くのカエルを確認することができました。(5月16日の「不二聖心のフィールド日記」参照)
タゴガエルは特殊な環境にしかすめないカエルです。具体的には上下二つの地層の重なりが必要です。しかも上は水を通す地層、下は水を通さない地層でなくてはなりません。そして間に空間が必要です。上の層からしみ出した水が下の層の上にたまり、そこが水たまりになります。その水たまりがタゴガエルの生息場所となるのです。
この地層の成り立ちには富士山の火山活動が影響しています。富士山の噴火によって積み重ねられた火山灰が不二聖心の地層の中には確実に含まれています。不二聖心という「富士」の名をいただく学校にとって、富士山の火山活動に密接に関わる生き物は、特別な意味を持つ生き物だと言えるでしょう。
タゴガエルの観察会を開きたいと願っていましたが、いつのまにかカエルは姿を消してしまいました。穴の中に戻っていったのか、それとも別の場所に移動したのか、あるいは天敵に襲われたのか、それはわかりません。カエルの実物をお見せすることは難しくなりましたが、『幻のカエル ―― がけに卵をうむタゴガエル ―― 』を読めば、タゴガエルをたっぷり楽しむことができます。
最後に『幻のカエル ――がけに卵をうむタゴガエルーー』のあとがきを引用しておきましょう。

 これってカエルの本? ちょっと地味だなと思われた方がいるかもしれません。
でも、生き物って、大地を形作る地質の影響を受けているんだなーと感じた場面をつづっていったらこの本ができ上がったのです。
タゴガエルというあまり知られていないカエルに注目したことで、地質学しか知らなかった時に歩いた山でも、今では自然の見方がガラッと変わってしまいました。
これも博物館に学芸員として勤めて専門分野を気にしないでフィールドを歩き、生き物たちと触れ合いながら自然の仕組みを調べてきた結果だと思います。
過去に何が起きていたのか、今何が起きているのかを、貴重な資料だけでなく身のまわりの何気ない情報(資料)も蓄積し、後の世代の人たちへ伝えること、それが博物館の使命だと思います。これからもいろいろな形でみなさんに自然の仕組みを紹介していきます。
何が人生の転機となるか分かりません。博物館へ出かけて展示を見るも良し、観察会へ参加して自然と触れてみてはいかがでしょうか? きっと素敵な出会いがありますよ。

2013.02.02

『大草原の小さな家』の作者は本当にポポーを見たのか



2013.02.02 Saturday

今日の「天声人語」は、「寒のゆるみ」という言葉で始まっていましたが、その言葉がふさわしい暖かい一日となりました。静岡市では21.7度の最高気温を記録し、全国的にも3月中旬から5月上旬の気候であったということです。この暖かさのためか、イスノフシアブラムシから寄生蜂のツヤコバチが2匹羽化しました。ここのところ続けて羽化が確認されており、ツヤコバチがイスノフシアブラムシの体を越冬場所として利用している可能性が高まってきました。寄主特異性についての研究が進めば、アブラムシの生物農薬としての利用も可能になるかもしれません。
さて、1月28日の「不二聖心のフィールド日記」で、不二聖心のお茶畑の生えているポポー(写真参照。2011年10月に撮影したものです。)がローラ・インガルス・ワイルダーの『わが家への道』に登場することに驚いたと書きました。「小さな木になった見るからに甘く熟れた、わたしの知らない果物など、とにかく、野生の果物が、たわわに実っているのだ。」という一節に「野生の柿とポポー(北米温帯地方産の果樹)」という注がついていたのです。ここで疑問に思うことは、なぜ「わたしの知らない果物」とだけしか書かれていないのに、「野生の柿とポポー」と限定できるのかということでした。その疑問を解消するためには、原文にあたるしかないと思っていしまたが、今日、その原文を確認することができました。原文は次のようになっていました。

 luscious-looking fruits ripening in little trees that I don’t know※ , a lavishness of fruit growing wild.
※ These were wild persimmons and pawpaws.

 注は翻訳時につけられたものではなく、原書にもついていたのです。ポポーは北アメリカの植物相を考える上で大切な植物でもありますので、もう少し調べを進めてみたいと思います。

 


今日のことば

「小さな家シリーズ」は、家族の物語であり、したがって主人公はローラだけではない。とうさん、かあさん、メアリ、キャリー、グレイス、そして、アルマンゾ、ローズ、それぞれが実際に生きていた人たちであり、だれ一人として欠けてはならないほど個性的なキャラクターである。ローラは自分の家族を自慢の財産だと誇りにし、家族との思い出を「消えてしまうのはもったいないほどすばらしい」と思って、この物語を書いた。開拓時代の歴史は決して楽ではなかったはずだが、ローラの筆にかかると、冬の吹雪も、こわい狼のほえ声も、じめじめした土の家も、すべてが冒険の対象になる。ローラは生きることを楽しむ達人であり、それは終生変わらなかった。
「『大草原の小さな家』の世界について」(谷口由美子)より

2013.02.01

すすき野原の乾し草  フィトンチットの効用

  2013.02.01 Friday

 不二聖心で以前、理科を教えてくださっていた保坂貞治先生が、岳麓新聞に「緑の地球環境3 日常生活の中でのフィトンチットの効用」というタイトルの文章をお書きになりました。たいへん興味深い内容でしたので、一部を引用してみたいと思います。

野菜が淡白な味で癖がなくて食べやすいのは長い間の品種改良のたまものです。その結果、野菜は食べやすくおいしくなりましたが、私たちが畑から採集して持ち帰り、食べ残したり忘れて放置すると数日で痛み、やがて腐ってしまうのです。山野草には、本来生長の過程で出合う様々な細菌や微生物などから身を守る自己防衛物質のフィトンチットがあります。この成分は野菜の持つエゴミや辛み、あく、香りの成分です。この成分は食べにくいが何かしら薬効があり、健康に良い効果があります。山野草は採集したり、刈り取ってそのまま放置しても、この成分のお陰で腐らず水分を失うが、乾燥して干からびることを経験的にご存じだと思います。土手の草を刈ってそのままにして置くと、乾草になるのはそのためなのです。

 不二聖心でもすすき野原の縁に刈り取られた草が積まれていて、いつのまにか乾し草になっていました。この姿こそが野の草であることの証だったのです。

                               今日のことば

                      欲無ければ一切足り、求むるあれば万事窮す。

    
                                                                                                                   良寛

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