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フィールド日記

2013.03.06

移入種のサカマキガイを発見



 2013.03.06 Wednesday
 今日は急に気温が上がりました。裾野市の夕方の5時の気温が13度ありました。静岡市では最高気温が20度を超えたということです。
急に生き物が動き始めた築山の池でサカマキガイが見つかりました。北アメリカからの移入種です。 
いったいどのような経路で不二聖心に侵入してきたのか、興味深いです。多くの貝が右巻きであるのに対し、サカマキガイ(逆巻き貝)は左巻きです。
中学2年生が行ったサカマキガイについての非常に面白い研究がネット上で公開されています。
http://www.shizecon.net/sakuhin/42jhs_minister.html

今日のことば

人間はだれでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。

シモーヌ・ヴェイユ  

2013.03.05

開花した河津桜  虫こぶに住むアリ



 2013.03.05
 今日は啓蟄です。不思議とこの日を境に自然界はいっそう春めく気がします。河津桜も可憐な花を咲かせました。

昨日の「不二聖心のフィールド日記」で紹介したタマヤドリコバチはクヌギエダイガフシという虫こぶの形成者に寄生する蜂でしたが、この虫こぶが空き家になったあとでその空き家を利用する生き物がいます。その代表はアリとクモでしよう。第2牧草地の上の雑木林で空き家に新たに集団で住みついているアリの一族を見つけました。テラニシシリアゲアリではないかと推測していますが、中に白色の個体がまじっているのが興味深いです。

 

今日のことば

息を吸うと、酸素が入ってきます。それは植物と太陽からやってくる光によって生み出され、私たちの活動のエネルギーを生み出します。私たちは、個々の独立した生命体ではありません。自然の大きな生命の中に織り込まれている。誰でも知っていることですが、それをただ知識として知っているのと、それを肌で実感することの間には大きな違いがあると思いませんか?

星川淳  

2013.03.04

南アフリカからのメールでタマヤドリコバチ科(Ormyrus)と判明

 

 2013.03.04 Tuesday
  すすき野原のクヌギから採集したクヌギエダイガフシという虫こぶから寄生蜂が羽化しました。タマヤドリコバチ科のハチではないかと思い、いろいろ調べたところ、南アフリカのケープタウンにある博物館のホームページの中にタマヤドリコバチ科のハチだけを集めたページを見つけました。ホームページの製作者であるSimonさんに不二聖心のハチを見ていただいたところ、間違いなくタマヤドリコバチ科のハチだと教えていただきました。一匹のハチがきっかけで南アフリカの研究者とつながれたことをうれしく思っています。件のホームページは下のURLをクリックすると見られます。
http://www.waspweb.org/Chalcidoidea/Ormyridae/Ormyrus/index.htm

 
今日のことば

文章の品格というものは、技術を超えたところにあります。文章技術はむろん大切です。が、それだけでは「品格」という巨大なものを肩にかつぐわけにはいかない。人間全体の力が充実しないと、肩にかつぐことはできないもののようです。

辰濃和男  

2013.03.03

薩摩紅梅の花弁  築山の池のプランクトン

 2013.03.03 Sunday
築山の池に薩摩紅梅の花弁が浮いていました。その周りにあるのはカゲロウの抜け殻です。水中のプランクトンの動きも活発になってきました。池の水面の風景にもいろいろな春を感じることができます。

今日のことば

寒い日が続くがやはり時期がくると梅、桃などが咲き始める。時々、不思議に思う。葉も無く棒切れのような木の枝からこんなに寒いのにきれいな花が咲く。毎年繰り返されていることだし当たり前といえば当たり前なのだが、やはり自然はまだまだ分からないことが多い。われわれはまだまだ潜在能力を秘めた自然とうまく付き合えているのか?とふと考えさせられる。

青木嘉孝  

2013.03.02

河津桜の蕾



 2013.03.02  Saturday
講堂の横の河津桜の蕾がふくらんできました。今年の寒さに影響されてか、例年より開花が遅いように感じます。今日は新入生学校説明会が行われましたが、河津桜は花期が長いと言われますので、4月4日の入学式の頃にもまだ花が見られるかもしれません。

今日のことば

小雨の降る日、籬の梅のしろく咲きて、そこらおぼつかなきほどに見え侍りければ 

雨雲の梅を星とも昼ながら

鬼貫  

2013.03.01

キジムシロの奇形 2年連続の発見

  2013.03.01 Friday

 3月になるのを待っていたかのようにキジムシロが開花を始めました。掲載した2枚の写真はいずれもキジムシロの写真ですが、1枚目と2枚目を比較して違いがわかるでしょうか。上の写真は花弁が6枚ですが、下の写真は5枚です。上の写真はキジムシロの奇形なのです。昨年もほぼ同じ場所で同じ奇形を見ていますので2年続けての奇形の発見となりました。

今日のことば

昨日の新聞から45  平成17年7月11日(月)

『村田エフェンディ滞土録』を読む
――私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもないーー    

今年の4月にクラスの生徒に「中学3年生になって」というプリントを配り、中3になっての抱負を書く時間をつくりました。その中に愛読書について書く欄を設けたところ、ある生徒はその欄に次のように書いていました。

好きな作家は梨木香歩さんです。「西の魔女が死んだ」すっごいオススメです。泣けます。図書館にあります。ぜひ読んでください。

「西の魔女が死んだ」というタイトルからファンタジーのような作品だろうかと思いましたが、それはまるで見当違いでした。新潮文庫の裏表紙には次のようにあらすじが要約されています。

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変わるひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。

これを読んで「魔女」が主人公のおばあちゃんであることがわかりました。物語はこの「西の魔女」と呼ばれるおばあちゃんが亡くなるところから始まります。


西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。まいは事務のおねえさんに呼ばれ、すぐにお母さんが迎えに来るから、帰る準備をして校門のところで待っているようにと言われた。何かが起こったのだ。
決まりきった退屈な日常が突然ドラマティックに変わるときの、不安と期待がないまぜになったような、要するにシリアスにワクワクという気分で、まいは言われたとおりに校門のところでママを待った。
ほどなくダークグリーンのミニを運転してママがやってきた。英国人と日本人との混血であるママは、黒に近く黒よりもソフトな印象を与える髪と瞳をしている。まいはママの目が好きだ。でも今日は、その瞳はひどく疲れて生気がなく、顔も青ざめている。
ママは車を止めると、しぐさで乗ってと言った。まいは緊張して急いで乗り込み、ドアをしめた。車はすぐ発進した。
「何があったの?」
と、まいはおそるおそる訊いた。
ママは深くためいきをついた。
「魔女がーー倒れた。もうだめみたい」
突然、まいの回りの世界から音と色が消えた。耳の奥でジンジンと血液の流れる音がした、ように思った。

このように物語は始まりますが、13ページからは時間が一度二年前に戻り、おばあちゃんとのさまざまな思い出が語られていきます。思い出の中で語られるおばあちゃんは「魔女」というよりも「哲学者」か「思想家」か「教育者」という感じで、心に響く言葉を次々に口にします。例えば次のような言葉です。

「おばあちゃんは、人には魂というものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやって来たのか、おばあちゃんにもよく分かりません。いろいろな説がありますけれど。ただ、身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと以前から魂はあり、歳をとって使い古した身体から離れた後も、まだ魂は旅を続けなければなりません。死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら」(中略)
「魂は身体を持つことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとって願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会を与えられたわけですから」
「成長なんて」
まいは、なぜだか分からないが腹が立ってきた。
「しなくていいじゃない」
おばあちゃんは困ったようにため息をついて、
「本当にそうですね。でも、それが魂の本質なんですから仕方がないのです。春になったら種から芽が出るように、それが光に向かって伸びていくように、魂は成長したがっているのです」

少女まいとともにおばあちゃんの言葉に耳を傾けているうちに、物語は静かに進んでいき、最後はたった四文字のおばあちゃんの言葉で物語が閉じられます。
『西の魔女が死んだ』を読んでから雑誌や新聞に「梨木香歩」という名前が載っていると自然にそちらに目が行くようになりました。数週間前のある日、不二聖心の図書館でブックスタンドに立てかけられている梨木香歩の本(『村田エフェンディ滞土録』)を見つけたのです。それは今年度の読書感想文コンクールの課題図書を展示したコーナーでした。「おや、梨木香歩の本が課題図書に選ばれたのか」と思い、昨年の小川洋子に続く粋な人選に驚きと喜びを覚えました。ただその時は時間がなく手にとって見ることまではしませんでした。ところがこの本の横を通るたびにどうもこの本のことが気になってしかたがないのです。おそらくブックスタンドに立てかけられた本のたたずまいが何とも言えず魅力的だったからだと思います。決して派手な装丁ではないのですが、中村智という人の落ち着いた品のいい装丁は『村田エフェンディ滞土録』が読むに値する名作であることを静かに語りかけているように思われ、ついに僕はこの本を手にとりました。そして、表紙をめくるとカバーの内側に印刷されている言葉が目に入りました。「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもない…」という言葉です。これを読んでこの本は間違いなくいい本だという確信のようなものを僕は持ちました。
7月3日の毎日新聞は大きく見開き2面を割いて読書感想文コンクール特集を組んでいました。もちろんそこでも『村田エフェンディ滞土録』が紹介されていました。その紹介文を引用してみましょう。

トルコに留学した村田君。国を超えて結ばれた友情はやがて悲劇にーー。友だち、宗教、国境とは何だろう。百年前の青春を描く感動小説。

村田はトルコ皇帝の招かれて歴史文化研究のためにトルコにやってきて、ディクソン婦人という英国人の経営する下宿に滞在しています。この下宿には他にもドイツ人のオットーやギリシャ人のディミィトリスが下宿していて、国籍も宗教も異なる人たちの交流を描くことがこの物語の軸となっていきます。先ほど引用した表紙に印刷されていた言葉は79ページに出てきました。病床にあって療養中の木下という日本人のためにディミィトリスが醤油をどこからか調達してきた場面にこの言葉は出てきました。

木下氏のことは、昨夜ディミィトリスに話してあった。そのときからこのことを考えていたのだろうか。何といい奴なのだろう。
――有り難う、本当に有り難う。この醤油ほど、日本人の心を取り戻させてくれるものはないんだ。それにも増して、彼にとって異国人である君の思いやりが、彼をどれだけ励ますことか。
私(村田)は感激のあまり口ごもった。ディミィトリスは照れくさそうに微笑んだ後、
――こんな事は何でもないことだ。「私は人間だ。およそ人間の関わることで、私に無縁なことは一つもない」。
と、呟いた。いつものことながら、ディミィトリスの呟きは実に含蓄に富んでいる。そのことを言うと、彼は、
――いや、これは私の言葉ではない。
と断り、
――テレンティウスという古代ローマの劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」。

『村田エフェンディ滞土録』の魅力は、登場人物の多くが国籍を異にし宗教を異にするにも関わらず、「私は人間である」という意識で他国の人と関わる姿勢を持っているところにあるのではないかと思います。
しかしその国籍を超えた交流も、新聞からの引用文にあったようにやがて悲劇を迎えます。実は、最後の10ページぐらいのところまでその悲劇が何であるかは明らかにされません。それまではむしろ物語は静かに淡々と進んでいくのです。最後の悲劇について語ることはできませんが、最後をより深く味わうために、第一章(「鸚鵡」)と98ページをとりわけよく読んでおいてほしいとだけ書いておきます。

 さて、最後に、この一週間のあいだに体験した一つの出来事について書いておきましょう。『村田エフェンディ滞土録』を読み始め、その世界にひたり、気が付けばこの本のことを考えていたある日、僕は職員室のテーブルの上に置かれていた札幌聖心で発行している新聞「聖雪」の第六十六号を手に取りました。そしてパラパラとページをめくって、高校二年生の清水玲華さんの次のような文章を見つけたのです。

 ブックトーク  人が人として生きるために
去る五月二十五日(水)に本校図書館司書新田裕子先生による、人間関係ミーティング「ブックトーク あなた宛てのメッセージ」が行われました。今年は戦後六十年ということで、人は今の時代にどう生きるべきか、幸せとは何か、をテーマに戦争にまつわるたくさんの本を紹介していただきました。
その中でも特に勧めてくださったのが『村田エフェンディ滞土録』です。この本は、国も民族も違う者同士が一つ屋根の下で生活をし、互いが認め合うかけがえのない友となっていく一方で、彼らの国と国とが争いを始めてしまうという、どうにもできない国と国との境界線を描いた作品です。人が人として生きるためにそのような境界線がはたして必要なのだろうか、六十年経った今、平和について考えた時それらにどれだけの意味が存在しているのか、皆さんも一度考えてみてはいかがでしょうか。


『村田エフェンディ滞土録』を紹介しようと意気込んでいた時に、この文章を偶然目にしてとてもうれしく思いました。もしかしたら、この本が伝えようとしているメッセージは聖心が大切にしたいと考えていることとどこかで深く通じているのかもしれません。

2013.02.28

ガビチョウの鳴き声を録音しました

  2013.02.28 Thursday

  2012年5月2日の「不二聖心のフィールド日記」でも紹介したガビチョウの声を校舎の裏で録音しました。ガビチョウは特定外来生物に指定され、在来種の生息環境に悪影響を与えていると言われています。しかし元はと言えば人間がペットとして日本に輸入したのが始まります。激しく鳴く声はまるで彼等の不本意な気持ちを伝えているかのようです。
フィールド日記 2012.05.02 特定外来生物ガビチョウ

今日のことば

我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない」と。

セネカ  

2013.02.27

卵寄生をするハラビロクロバチ科Synopeas属の寄生蜂

 2013.02.27 Wednesday

  クヌギエダヒメコブフシから様々な寄生蜂が羽化し始めています。写真のハチはハラビロクロバチ科Synopeas属の1種の寄生蜂で卵寄生をすることで知られているそうです。わずか4ミリほどの小さなハチが、虫こぶ内に形成者である小さなタマバエの卵を見つけ、そこに産卵管を刺し込んで卵内に自分の卵を産み付けるというのです。神秘としか呼びようのない現象です。かつて不二農園のお茶の生産を支えたクヌギは、今私たちに自然界の神秘を伝える貴重な木として不二聖心に存在しています。動画を見ると、触角を動かして寄主を探している様子がわかります。

今日のことば

クヌギは、昔から「苦をぬぐう木」という意味から、そう呼ばれるようになったんや。なんせ、はよ大きくなるし、カシなんかと変わらへんほど質のいい炭がとれるし、木を切ってもまた芽がでてきて、スギやヒノキみたいに植え直さんでもええからな。手間のかからん木や。林には、アベマキもあるけど、やっぱりクヌギが幹の表面のコルク質の部分が少ないんで一番やなー

『里山の少年』(今森光彦)より  

2013.02.25

炭焼きの文化に救われた命  クヌギの冬芽

  2013.02.25 Monday

  
今日の国語の授業で中学3年生に新田次郎の『八甲田山 死の彷徨』を紹介しました。
授業では組織論と絡めた紹介の仕方をしましたが、この傑作は細部に興味深い事実が数多く書かれ、組織論以外にもさまざまな読み方ができる小説です。
興味深い事実の一つは、199名が雪中行軍で亡くなった中で、助かった兵卒の8名に共通していたのがいずれも農家の出身であり全員が冬山での炭焼きの経験があったという事実です。炭焼きの文化が8名の命を救ったのです。
不二聖心とともに歴史を歩んだ不二農園にも長い炭焼きの歴史がありました。その名残りが今もあちこちに点在するクヌギの雑木林です。炭焼きの歴史を今も静かに語るかのように、クヌギの冬芽が寒風に耐えながら空に向かって伸びていました。

 


以前に不二聖心で美術を教えていらした岡先生の炭焼きの絵です。高校1年生の教室の近くに飾られています。

今日のことば

昨日の新聞から292 平成25年2月25日(月)
『八甲田山 死の彷徨』(新田次郎・新潮文庫)を読む

―― この悲惨事の最大の原因は何か ――

今日のニュースで、青森県の八甲田山の酸ヶ湯温泉の積雪が5メートル32センチとなり全国の最高記録を更新したと報じていました。5メートルというと信号機が隠れるほどの積雪だと言います。八甲田山が日本でも有数の豪雪地帯であることを改めて知りました。
この真冬の八甲田山に敢えて雪中行軍することを強いられた人々がいることをみなさんは知っているでしょうか。
時は1902年、この頃には既にやがてロシアとの戦争が勃発することを日本の陸軍は予想していました。ロシアとの戦争となれば当然、雪の中での戦いにも備えなければなりません。そこで考えられたのが真冬の八甲田山を行軍するという訓練でした。
その時の様子を描いたのが、新田次郎の小説『八甲田山 死の彷徨』です。今週はこの小説を紹介しましょう。

 冬の八甲田山を舞台とした、ただでさえ厳しい訓練にさらに悪条件が加わりました。統率が大切な軍隊において2名のリーダーが生まれてしまったのです。神田大尉と山田少佐です。神田大尉が本来のリーダーでしたが、行軍に同行した山田少佐が神田大尉の指揮にことごとく干渉するようになります。大尉より少佐の方が位は上です。良識的な判断ができる神田大尉は位が山田少佐より低いがために自分の考えを押し通すことができませんでした。そこから悲劇が生まれます。
例えば、神田大尉は、冬の八甲田山に入るためには必ず案内人が必要だと思って、あらかじめ案内人を頼む準備も進めていました。しかしそこでも山田少佐の干渉によって思わぬ事態が起こります。
その部分を次に引用しましょう。

田茂木野に着いた隊は行李隊を待つために小休止した。村中の者が外に出て雪中行軍隊を見守った。この前、来たときよりは今度の方が大掛かりだなと言いたいような顔であった。
田茂木野の作右衛門と源兵衛が連れ立って大隊本部が休んでいる栗の木の下にやって来た。
「この前来た大尉様はいませんか」
作右衛門が頬かぶりしていた手拭いを取りながら言った。
「神田大尉殿は向こうにおられるがなんの用だ」
将校の一人が前方を指して言った。
「この前来たときに、田代までの案内人のことを訊いておられたから、もし案内人がいるならなんとかしようと思いましてね」
「神田大尉が案内人を頼むと言ったのか」
山田少佐が作右衛門に大きな声で訊いた。作右衛門は、山田少佐を見上げすぐ五日前に来た神田大尉より上官であることを知った。
「案内できる者はいるかどうかと訊いただけで、案内を頼むとは言いませんでした」
「そうだろう、案内など頼むわけがない」
山田少佐はこともなげに言った。
「しかし、案内なしで田代まで行こうというのは、なんとしても無理ではないでしょうかね、道を知っているこの村の者でさえ、いままでに道に迷って二十人も死んでいるところだ。それに明日は、山の神の日だ。山は荒れることに決まっている」
作右衛門はそういうと、一度取った手拭いでまた頬かぶりをした。寒くなったからだった。
「案内人なしでは田代までは行けないというのか」
「まず無理でしょうね。今ごろになると、山は毎日吹雪だ。田代までは広い雪の原っぱで目標になるものはなんにもない」
「この村に案内人は何人いるのか」
「五人ぐらいはなんとかなるな」
作右衛門は源兵衛を振りかえって言った。
「そうだ。五人はたしかだな」
源兵衛はそういうと、
「ああ、この間の、大尉様が来た」
と叫んだ。隊の先頭にいた神田大尉が、こっちへ向って歩いて来るのを見掛けたのである。源兵衛の声で山田少佐はそっちを見た。急いでこっちへやって来る神田大尉と眼が会った。
神田大尉は、作右衛門と源兵衛が直接大隊本部へ行ってしまったのを見て、しまったと思った。神田大尉は、田茂木野へ着いたらすぐ、作右衛門と源兵衛を呼びにやり、二人を通じて案内人を手配し、その処置が終わったあとで山田少佐に報告に行こうと思っていた。神田大尉は、雪中行軍隊の指揮官であるから、その措置に対して山田少佐が反対する理由はない筈であった。だが、作右衛門と源兵衛は直接、大隊本部の山田少佐のところへ行ったのである。
「お前たちは案内料を欲しいからそのようなことをいうのだろう」
山田少佐の怒鳴る声が神田大尉の耳に入った。神田大尉はぎくりとした。思わず足が遅くなった。
「雪の中を行く軍(いくさ)と書いて雪中行軍と読むのだ。いくさをするのにいちいち案内人を頼んでおられるか、軍自らの力で困難を解決して行くところに雪中行軍の意味があるのだ。お前等のように案内料を稼ぎたがる人間どもより、ずっと役に立つ案内人を軍は持っている。見せてやろうろか。ほれこれは磁石というものだ。」
山田少佐はポケットから磁石を出して、作右衛門に見せた。
「磁石と地図があれば案内人は要らぬのだ」
作右衛門と源兵衛は、揃ってぺこりと頭を下げた。これ以上なにもいうべきではないという顔をした。
神田大尉は、山田少佐が作右衛門と源兵衛に向って怒鳴った言葉は、実はそのまま、指揮官の自分に向けられたものであることを知っていた。山田少佐は、神田大尉に対して案内人を使ってはならぬと命令したのである。それは、この雪中行軍の指揮権に対する干渉であった。
「案内料が欲しいがために、案内人がなければ田代へ行くのは無理だなどと言いおるわい、ばかな奴等だ」
山田少佐は神田大尉の顔を見て念を押すように言った。案内人は使用しないことに決めたぞ、分ったかと言わぬばかりの言葉であった。


山田少佐の考えは間違っていました。案内人がいなければ、冬の八甲田山に挑むのは無理だったのです。そのことが行軍を始めて間もなく明らかになっていきます。


その日輸送隊に当ったものは特にみじめであった。彼等の下着は汗でびっしょり濡れていたが、着替えもないし、脱いで乾かす炭火の余裕もなかった。夜が更けると共に暴風雪はいよいよ激しくなり、気温は著しく降下した。寒気は、二枚の外套を通し、軍服をつらぬき、濡れたままになっているシャツにまでしみ通って行った。その寒さは耐えがたいものであった。
「眠るな、眠ると死ぬぞ」
と怒鳴る声が、各雪壕で聞えたが、極度に疲労している兵の中には、気が遠くなるような寒さに誘われて眠りこむものがあった。
午前一時になって半熟飯が一食分ずつ各自に分配された。それで隊員たちは一時的に元気を恢復したが、そのすぐあとに襲いかかって来る寒気には、なんとしても耐えようがなかった。彼等は足踏みをしながら軍歌を歌ったが、その軍歌も途切れ勝ちであった。

 山田少佐は一刻も早くこの窮地を脱しないとたいへんなことが起こるだろうと思った。(中略)
「このまま時間を空費することは兵を死地へ追い込むようなものだ。今すぐ出発すれば数時間前に歩いた道を引き返すことができるが、朝までじっとしていると全員が凍傷にかかって動けなくなる虞れがある。すぐ出発しろ」
神田大尉は山田少佐の命令にさからうことはできなかった。神田大尉は、各小隊長を集めて、午前二時に露営地を出発して帰営の途につくから準備するように命じた。行李隊は各小隊の間に入れて進むように指示した。
「午前二時出発でありますか」
と各小隊長が反問するほど、その出発は誰が考えても非常識に思われた。(中略)
「大隊長殿の命令が出たのだ」
神田大尉はそれ以上のことは言わなかった。山田少佐に夜明けまで待ってくれと頼んだことなど小隊長たちに言ったところでいまさらどうにもならないことであった。
午前二時各小隊は雪壕を出て整列した。兵たちは雪壕を出て吹き曝しの風に当ると思わず身震いをした。寒さを口に出す者もいた。
集合が終り、点呼を取って、いざ出発の号令が掛った直後に、獣物(けもの)のような声を上げながら、隊列を離れて雪藪の中に駈けこんだ兵がいた。その声は絶叫に似ていた。狂った者の声であったが、叫びつづけている言葉の意味は分らなかった。狂った兵は銃を棄て、背嚢を投げ捨て、次々と身につけているものを剥ぎ取りながら、雪の中を想像もできないような力で押し通って行った。周囲の兵たちが引き止めようとしてもどうにもできなかった。気の狂った兵は死力を出して同僚を突き飛ばした。その兵は軍服を脱ぎ、シャツも脱いで捨てた。絶叫はそこで止み、兵の姿は雪の中に沈んだ。
「なにが起こったのだ、どうしたのだ」
神田大尉はその方向に向って怒鳴った。中橋中尉が発狂者が出たことを報告した。
「すぐ手当してやれ、軍医に見て貰え」
だがその時には兵はもう死んだも同然の状態にいた。はだかのままで雪の中から引き摺り出された兵に投げ捨てた衣類を着せ終ったときには、兵はもう動かなくなっていた。
出発に先立ってのその事件は雪中行軍隊の気を滅入らせた。神田大尉はこの兵の死を山田少佐に報告した。
「雪壕を出て、厳しい寒気に身を曝したがために発狂したものと思われます」
神田大尉は発狂者が出たことが、或いは山田少佐の気持を変えるかもしれないと思った。神田大尉はその兵が死に至った経過の概略を述べた。その兵は前日輸送隊員として行李の輸送に全力を出して働いた。彼が着ていた一枚のシャツは汗でびっしょり濡れていた。その汗が小倉の軍服にしみ通り、軍服がかちかちに凍っていた。彼は、雪壕の中で与えられた半熟の飯を口に入れることもできないほど疲れ切っていた。雪壕の中にいたとき既に、彼は疲労凍死の症状を現わしていたのであった。
「それでどうしたのだ。一名の発狂者が出たがために命令を変更せよというのではないだろうな」
山田少佐は神田大尉の機先を制した。もはや、出発する以外に取るべき道はなかった。

 週刊文春の二月二一日号で春日太一氏は、「『八甲田山』は組織論と絡めて紹介されることが多い」と書いています。この「昨日の新聞から」でも、先ずは「組織とリーダー」というところに焦点をあてました。しかし新田次郎は次のように書いています。

装備不良、指揮系統の混乱、未曽有の悪天候などの原因は必ずしも(この遭難事件の)真相を衝くものではなく、やはり「                 」がこの悲惨事を生み出した最大の原因であった。

「        」の中に入る表現は、多くの国の歴史の持つ、ある普遍的な残酷さを抉り出す一節です。ぜひ本を手に取り、 「       」に入る言葉を確認してください。三二〇ページに答えがあります。

悲劇の原因が列挙されることからもわかるように、『八甲田山 死の彷徨』はさまざまな読み方が可能な小説であり、実にいろいろなことを考えさせられる小説です。良い本の条件の一つは、読者にいろいろなことを考えさせることでしょう。ぜひ『八甲田山 死の彷徨』を手に取り、さまざまなことを深く考えるという体験をしてみてください。

2013.02.24

与謝野晶子の「ぬか」 ミノゴケの別名「カギバダンツウゴケ」

 

2013.02.24 Sunday
  
今日の静岡新聞に掲載された今野寿美さんの「晶子百歌繚乱」に与謝野晶子の「あるかぎりよき夢を見てくれなゐの林檎は眠る糠(ぬか)の中にて」という歌が紹介されていました。歌のあとに今野さんの文章が次のように続きます。

かつて、りんごは産地から木箱に詰められて届いた。傷まないよう籾殻に埋もれていた。その籾殻を古来、糠ともいい、同じ言い方が残っている地域は今もあるらしい。

この文章を読んで、籾殻(もみがら)の中に林檎を探した懐かしい記憶がよみがえりました。驚いたのは与謝野晶子が「もみがら」を「ぬか」と表現していることです。

今日は物の名前でもう一つ驚いたことがありました。2月21日の「不二聖心のフィールド日記」で紹介したミノゴケの別名がカギバダンツウゴケであると知ったことです。葉先が鉤のように曲がっていて模様が緞通に似ていることから、「カギバダンツウゴケ」と名付けられたというのです。写真は顕微鏡写真です。顕微鏡のない時代によくこの名前を生み出すことができたものだと、古人の観察力に感心します。


今日のことば 

何て言うかな、ほら、あー生まれてきて良かったなって思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか。

寅さん