フィールド日記
2013.04.05
クリの新芽 コブシの実
2013.04.05 Friday
週末に爆弾低気圧が近づいているとは思えないような穏やかな天気の一日でした。築山の枝垂れ桜も満開です。
栗畑の栗の新芽もだいぶ膨らんできました。
特別第8教室の窓から見えるコブシの木は花の季節を終え既に実が作られ始めています。これから実っていこうとする姿には花にはない美しさがあります。「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」という心境になります。
今日のことば
みみをすます
じゅうねんまえの
こじかのなきごえに
ひゃくねんまえの
しだのそよぎに
せんねんまえの
なだれに
いちおくねんまえの
ほしのささやきに
いっちょうねんまえの
うちゅうのとどろきに
みみをすます
谷川俊太郎
2013.04.04
貝母(バイモ)の花
2013.04.04 Wednesday
中里恒子に「貝母(バイモ)の花」という小説があります。約50ページの短編ですが、バイモの花にふれた部分はわずか数行です。その部分を引用してみましょう。
せまい庭に、貝母の花がいちめんに咲きひろがつてゐる。点点と、花はうなだれて咲いていた。
「よくふえましたね、」
「これだけは、大事にして、前の家から移しました。花は、たつた五日か七日咲くために、一年中埋もれてね……」
風にゆれて、つぼんだ花芯がゆらゆらゆらめくのを、わたしは、無心に眺めてゐた。
短いですが、忘れがたい印象を残す一節です。
今の時期の不二聖心では、まさにこの小説の描写にある通りの、花芯のゆらめく姿を東名高速沿いの道で見ることができます。
今日のことば
昨日の新聞から211 平成22年10月25日(月)
『不器用な日々』(清水眞砂子 かもがわ出版)を読む
―― あなたの心に火を灯す一冊のエッセイ集 ――
金曜日に静岡市にある私学会館に出張しました。私学会館から静岡駅に向かう途中に谷島屋という、個性的な品揃えの書店があります。帰りに店の中を覗いて見て一冊の本が目にとまりました。児童文学者の清水眞砂子さんの『不器用な日々』というエッセイ集です。手にとってページをめくり、すぐにこの本を購入することを決めました。長い間、探し続けていたエッセイが収められていることを知ったからです。それは「あこがれを手放すとき」というエッセイで、4年前に『婦人之友』という雑誌で読んだときの感動が忘れられず、何とかしてもう一度読みたいと思い続けてきた文章でした。次のような内容のエッセイです。
個人的な体験から語ろうと思う。小学校3年か4年のある日、私は同じ集落の子どもたちと缶けりをしていた。Kさんが鬼になった(当時私たちは子ども同士さんづけで呼びあっていた)。Kさんはみんなより少し動作がのろかったから、なかなか鬼からはずれなかった。私はKさんをこのままいつまでも鬼にしておいてはいけないと思った。自分がグループのリーダーであることは自覚していたのだ。が、同時に、Kさんがぐずだからいけないんだ、と別の声がささやいた。缶けりはそのまま小一時間も続いただろうか。どのように終わったかは憶えていないが、とにかく終わって、子どもたちはばらばらに家路についた。
この日のことがやがて私を苦しめることになった。大学3年のときだったと思う。私は半年ほどまともに外を歩けなくなった。授業にはとりあえず出ていたが、うわの空だった。人ごみの中を歩いていると、もし今、鎌をこの手にしたら、自分はすぐ前をいく人の首を掻き切るかもしれないと思った。悪が瞬間、私を支配したら、何だってやりかねないと思った。私は身をひそめて、本ばかり読んでいた。自分を肯定できる何物も見つからなかった。幼い頃のことも次々とよみがえってきた。その中に缶けりをしたあの日の風景があった。何てひどいことを! なんという意地悪を! しかし、それが自分だった。醜い自分。人でなしの自分。私はきりきりと自分を責めた。
それから6、7年して、結婚し、人の子の母となったKさんが私の家に遊びにきてくれたとき、――Kさんは中学校を卒業して以来別の道を歩いていたのに、会うと気さくに声をかけてくれていたーー、私はあの缶けりのときの自分の非をわびた。Kさんは忘れているようだった。あるいは忘れたふりをしてくれたのだったか。
Kさんのことだけではない。大学生のあの頃、私は自分が家族を含め周囲の人たちにしてきた行為のひとつひとつを思い出し、こんな自分がこの世に生きていていいのだろうかと毎日自分を責め、自殺を考え続けた。が、自殺もできない自分がそこにいた。どうしたらいいか。私はこれまでの己の言動をわび、この世にいることを許してくださいと、見えないものに向かって、ひたすら頼むほかなかった。神がいてくれるなら神にと思ったが、そのときも、そして、今に至るまで、私は神に出会えていない。いじめたのはあの缶けりの日のKさんだけではない。同じ頃、私は時折妹に意地悪をした。幼いなりに、自分がなぜそうするのかはわかっていた。私は我慢していたのだ。家族の誰に言われたのでもないのに、我慢していた。家が苦しいのがよくわかっていた。私はごはんにかけるふりかけも始末しなくては、と自分に言い聞かせた。ところが三つ下の妹は好き放題にかけている。こちらはこんなに我慢しているのに。そんなとき、私はちくりちくりと妹をいじめた。このことでも、私はのちに自分を責めた。幼い妹に何がわかっていたというの。ただ食卓のものをたのしんでいただけなのに。
たかがわずかなふりかけのことで勝手に我慢し、我慢しない妹に意地悪したことを私は今もすまなかったと思っている。私は我慢して「いい子」「いい人」をやっている人が、そうしていない人をいじめたくなる気持ちがわかる。わかるが、それは何とも貧しい、情けない行為だ。(中略)
おまえのは小さないじめだと人は言うかもしれない。が、いじめに大きいも小さいもない。いじめは、いじめである。(中略)
今、小中学生の間で起こっていると報道されるいじめの話を聞くと、先にいじめに大きい小さいはないといったものの、私が体験したものとは質も規模も異なってきているように思われる。子どもの私はなぜ、あの時点で引き返せたのか。今もなお引き返すことのできる子どもはいるはずだし、そもそも、いじめに手を染めない子どもも大勢いるはずである。阪神大震災のあとは、しばらくいじめが起こらなかったとも聞く。それは何によってか。
二年ほど前、どうしたらいじめがなくなるか、と学生たちと話し合っていたとき、ひとりの学生がさらりと言ってのけた。「授業が面白かったら、いじめなんて起きませんよ」。ああ、本当だ、と私は思った。今思えば、あれはいじめだったのかもしれないと思うものにも、子どもの私はでくわしている。だが、私は自分を加害者として責めはしても、被害者と思ったことがない。私はいじめとは意識しないまま、つらいときは普段以上に勉強し、本を読んだ。そうやって自分を支えていた。自分の自尊心を支えていた。学生時代、自分を責めて責めて責め続けたのだって、自尊心あってのことだったかもしれない。人間として恥ずかしいとの思いがなければ、あれほど苦しむことはなかったに違いない。そして、そう、私には憧れがあった。子ども時代も今も。
学生が言うのは本当だ、と改めて思う。授業が面白かったらいじめなんて起こらない。ならば、その面白い授業とは?
それは、はるかなものへの憧れを私たちの中にはぐくんでくれる授業であり、己の内深くおりてゆけるはしごを差し出してくれる授業である。この学生と付き合っていると、それがよくわかる。彼女の視野にはいつもはるか遠くのものが入っている。小中学生には無理だなどとは決して言うまい。はるかなものとは、手の届かない遠いところにばかりあるとは限らない。神秘は日々のくらしの中にある。身近な草木や石が、雨や風が、色や形が、ことばや物語が、人々の生活技術が、私たちをはるかなものへと誘ってくれる。私たちに遠くを見せ、深みをのぞかせてくれる。学生が言うのは、日々の授業が、この世界の不思議への扉を開けてくれるものになっているならば、子どもたちは、くだらないいじめなどにうつつをぬかしているはずはない、ということだ。それなのに、今、子どもたちは傲慢にこそなれ、自尊心を奪われ、気がつけば「憧れ」はほとんど死語になっている。はるかなものへのまなざしなど、大人も子どもも、とうにどこかに置き忘れ、「ふつう生きる」などという、ありもしない幻想を追うことにやっきとなっている。よりよき人間に憧れ、そこに一歩でも近づこうとする真面目さも、私たちの先を生きた人々がずっと大切にしてきた自由への憧れも、さまざまな不思議に驚くことも、「ふつう」からはずれたものに見える。憧れを手放したとき、人は「ふつう」を標榜するようになるのだろうか。となれば「ふつう」はすさみであり、いじめの最大の温床になりうる。いや、すでになっていると人々は気づきながら、さらに「ふつう」を目指そうとしている。
成果主義も「ふつう」だと政府はさらに追い打ちをかけ、教育現場にさらに「ふつう」を持ち込もうとする。このままでは、いじめは増えこそすれ、減ることはないであろう。
このエッセイを読み、「はるかなものへのあこがれ」を生徒の心に育てる授業をしたいと強く思ったことを昨日のことのように記憶しています。その思いは、ぼくのなかにずっとあり続け、この年の終わりにその思いを詩にして曲をつけ、卒業式の日のホームルームで、生徒へのはなむけの言葉として歌ったことも覚えています。それは次のような歌詞でした。
はるかなものへの憧れを
はるかなものへの憧れを あなたは忘れないで 育ててください
どんなときも それはあなたの 希望になる
遠い国 遠い昔 はるかな未来 広い空
あなたはまだ人生を歩みはじめたばかり
はるかなものへの憧れを あなたは忘れないで 育ててください
どんなときも それはあなたの 希望になる
つらい時 楽しい日々 忘れられないあの思い出
すべての先に新しくきっと何かが生まれる
この曲を心に蘇らせつつ、「あこがれを手放すとき」を再読し、さらに他の文章も読んでいきました。その中で、とりわけ印象深かったのは、2010年1月29日に青山学院女子短期大学で行われた最終講義の内容でした。清水眞砂子さんは、学生たちに最後に一つのお願いをします。
今日は最後に、特に学生さんにお願いしたいことがあります。この人に出会えたから自暴自棄にならずにすんだと、そう思われるひとりにいつの日かなってほしい。この人に会ったから、この人に出会えたから生きられたという、そういうひとりになってほしいということです。何とか食べていければ、社会的地位などというものはどうでもいいものです。あなたがいてくれてよかった、おかげで人間なんて、どうせ、と言わずにすんだという、もっと言えば、子どもの本がしてきたような仕事、そういう子どもの本の一冊に、皆さんおひとりおひとりがなってくれたら、と願っています。
この一節を読んで、何かが自分の中で変わったと感じました。そして、「先生」について語った次の言葉を思い出しました。
普通の先生は、よくしゃべる。
よい先生は、何かを説明しようとする。
優秀な先生は、教えたことを自分自身が模範となって示す。
そして偉大な先生は、出会う人の心に火を灯す。
ぼくの中で何かが変わったと思った瞬間は、ぼくの心に一つの火が灯った瞬間だったのでしょう。清水眞砂子という児童文学者は一人の偉大な教師でもあったのだとこの本を読んで改めて思いました。
2013.04.03
オオシマザクラの花びらの黒い点の正体
2013.04.03 Wednesday
裏の駐車場のオオシマザクラの花が満開となりました。写真にも無数の花の一つが写っていますが、花びらに黒い点がついているのがわかるでしょうか。自然観察ではこのような小さな印に目を向けることが大切です。これは何かのフンではないかと思って花の中をのぞいてみました。中には赤茶けた色をした小さなイモムシがいました。キリガ類の蛾の幼虫のようです。
オオシマザクラは葉柄についている赤い蜜腺から甘い蜜を出して虫を呼び寄せ受粉に一役買ってもらいます。受粉を助ける虫もいれば、花を食べる虫もいて、桜と虫との関わりもさまざまです。
今日のことば
散る花は数かぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
上田三四二
2013.04.02
生物農薬としての可能性を秘めたネコグモ
2013.04.02 Tuesday
裏道に生えているカシの木の葉の中に葉先が丸くなっているものが何枚かあることに気づきました。葉を伸ばしてみたところ、中からネコグモのオス(頭から生えている、触覚のような触肢の先端がふくらんでいて複雑な構造を持っていることからオスであることがわかります。赤丸参照。)が出てきました。
このクモは茶畑にもよく生息していて、チャノミドリヒメヨコバイなどの茶の害虫を食べてくれることが調査で明らかになっています。2001年には静岡県茶業試験場の研究員の方が「茶園におけるネコグモ、アサヒエビグモのチャノミドリヒメヨコバイ捕食率の推移」という論文も発表なさっています。不二農園のお茶が減農薬で生産できているのは、不二農園の方々の努力とともに、周囲の豊かな生態系の中にネコグモのような自然の生物農薬が豊富に生息しているからかもしれません。あのレイチェル・カーソンもクモが果たす生態系の中での役割の大きさを強調していました。クモのおかげで若葉が守られている樹木は、お茶の木も含めて決して少なくはないと思います。
今日のことば
学校は、授業の内容を生徒たちに学ばせるための場と思われているかもしれないが、学ぶ側からはそれは学校に来るきっかけの一つにすぎない。教えるのが上手ということであれば、やがてコンピュータを使ったティーチングマシンのほうが上手ということになっていくだろう。塾や予備校だって同じようになっていくと思う。でも、生徒はそれで満足するわけではない。そこには生身の、教えたいという願いをもった、自分自身の人生を生きてきた、先輩としての人間がいるのだ。生徒はたまたまであるかもしれないが、そこで出会った人生の先輩である教師の人間性そのものとつきあいたいのだ。授業や学活や部活で、教師はもっと自分を語ってほしいとみな願っている。どんなことに感動したのか、何に怒っているのか、若いころどうして教師になろうと思ったのか、等々、教師自身の人間性をそのまま出してほしい、そう強く願っている。そのことをぜひ忘れないでいてほしい。生徒たちは「人間」と出会うことを心から欲しているのだ。
汐見稔幸
2013.04.01
クサボケとウグイス 木瓜と夏目漱石
2013.04.01 Monday
牧草地のクサボケがしばらく前から咲き始めています。昨年は4月12日にフィールド日記でクサボケが咲き始めたことを書いていますから、サクラと同じように、今年は花の咲くのが早いようです。ちなみにクサボケもサクラもバラ科に属しています。
フィールド日記 2012.04.18 クサボケ ズアカシダカスミカメ
漱石に「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」という句があり「才人群中只守拙(才人の群れの中にただ拙を守る)」という詩があります。器用に立ち回るより愚直に生きることをよしとした漱石の心をうかがわせる句であり詩です。大作家漱石もすばらしいですが、木瓜を愛し菫を好んだ漱石になぜか心ひかれるものを感じます。
画像をクリックすると3月28日に録画した動画が見られます。背後にウグイスの鳴き声がかすかに聞こえます。クサボケは12の県で絶滅危惧種か準絶滅危惧種に指定されています。
今日のことば
努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真のよいものである。
幸田露伴
2013.03.31
コナラの赤い新芽 ゴミに擬態するゴミグモ
2013.03.31 Saturday
「共生の森」に昨年高校1年生が植えたコナラの新芽が開き始めました。コナラの葉は開き始めた時には赤い色をしています。春の雑木林が全体に赤茶けて見えるのことがあるのはこのためです。早速ゴミグモがコナラの枝に巣を張っていました。ゴミに擬態しているゴミグモの姿が識別できるでしょうか。クモがいるということは、新芽を食べようとすでに虫が集まり始めているということです。
今日のことば
青春期の悩みにぶつかったおいの満男が質問した。
「人間は何のために生きてんのかなあ」
寅さんはこたえた。
「何て言うのかなあ、ほら『あー生まれてきて良かったなあ』って思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか」
「寅さんの伝言」(朝日新聞)より
2013.03.30
『じかきむしのぶん』 羽化したスイカズラハモグリバエ
2013.03.30 Saturday
福音館書店から出ている『じかきむしのぶん』はいわゆる「絵かき虫」(潜孔虫)を主人公にした珍しい絵本です。きわめてシンプルな作りの本でありながら、ハモグリバエの幼虫が糞をしつつ進んでいく様子なども丁寧に描かれていて、児童への「絵かき虫」入門としての役割を果たし得る貴重な絵本となっています。このような絵本が出版されているのは世界でもあまり例のないことではないでしょうか。不二聖心にもたくさんの「じかきむし」(字書き虫)がいますが、その中の一つ、スイカズラハモグリバエが羽化しました。スイカズラという植物がなければ絶対に生きていけない生物です。生態系は、このような目に見えにくい、たくさんのつながりによって成り立っています。
今日のことば
わが国は世界でももっとも優れた多くの図鑑を出版している国と言ってもいい状況にある。それは植物、キノコ、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚、昆虫、エビ・カニ、貝類その他多くの生物群や岩石鉱物にわたり、現代の写真術を駆使した素晴らしいカラー写真によって印刷されている。
ヨーロッパ、アジアなどの外国の書店を覗いてみると、蝶、鳥、大型の甲虫、ランなど大型で美麗 な動植物の図鑑は多く置いてあるが、わが国で出版されている一般の関心がそれほど高いとは思えないクモ、ダニ、蛾、土壌動物、蘚苔類、海藻などの図鑑はほとんど見当たらない。このことは、日本におけるナチュラルヒストリーの広範囲な発展の下地が整っていることを示しているような気がする。
青木淳一
2013.03.29
雑木林を歩くキジ
2013.03.29 Friday
今朝、裏の駐車場の近くでキジと出会いました。不二聖心のキジはだいぶ人に慣れていますので、すぐ逃げ出すようなことはありません。こちらの様子をうかがいながら静かに雑木林の中に消えていきました。その時の様子は動画で見ることができます。しばらくは「ケーン、ケーン」というキジの声が林の中から響いていました。高3の教室で授業をしていると時々この声が聞こえてきます。「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を生んだ昔話のキジはこの声が災いして猟師に撃たれますが、不二聖心は禁漁区ですのでいくら鳴いても撃たれる心配はありません。悠然と歩くキジの姿が校内のあちこちで見られます。
今日のことば
父母のしきりに恋し雉子の声
松尾芭蕉
2013.03.28
蕨
2013.03.28 Thursday
教頭の田中正延先生がお撮りになった写真を見て驚いてしまいました。野の一面にワラビが生えていたのです。春の命があふれる風景の写真に、しばし仕事を忘れて見入ってしまいました。今年はなぜか春の植物の育ちが例年よりも早いように思います。
今日のことば
まっ黒い ぞうきんで
顔はふけない
まっ白い ハンカチで
足はふけない
用途がちがうだけ
使命のとおとさに変わりがない
ハンカチよ 高ぶるな
ぞうきんよ ひがむな
河野進
2013.03.27
コブシの花と「辛夷の花」(堀辰雄)
2013.03.27 Wednesday
3月24日の産経新聞の「朝の詩」に次のような詩が載りました。
かたくりの花 藤田桂子
華やかな櫻の木の下で
ひっそりと咲く
うすむらさきの花
風にかすかにゆれる
つれあいは
櫻を見に行こうとは
決して言わない
かたくりを見に行こう
と言うのだ
めだたなくとも
その可憐な花を
愛でる人もいる
今の時期の不二聖心にも「めだたなくとも可憐な花」がたくさん咲いています。その中から今日はキャンプ場の辛夷の花を紹介しましょう。堀辰雄の随筆「辛夷の花」にも、目立たない辛夷の花を見つけるのに作者が苦労する場面が出てきます。
今日のことば
「春の奈良へいつて、馬酔木の花ざかりを見ようとおもつて、途中、木曾路をまはつてきたら、おもひがけず吹雪に遭ひました。……」
僕は木曾の宿屋で貰つた絵はがきにそんなことを書きながら、汽車の窓から猛烈に雪のふつてゐる木曾の谷々へたえず目をやつてゐた。
春のなかばだといふのに、これはまたひどい荒れやうだ。その寒いつたらない。おまけに、車内には僕たちの外には、一しよに木曾からのりこんだ、どこか湯治にでも出かけるところらしい、商人風の夫婦づれと、もうひとり厚ぼつたい冬外套をきた男の客がゐるつきり。――でも、上松を過ぎる頃から、急に雪のいきほひが衰へだし、どうかするとぱあつと薄日のやうなものが車内にもさしこんでくるやうになつた。どうせ、こんなばかばかしい寒さは此処いらだけと我慢してゐたが、みんな、その日ざしを慕ふやうに、向うがはの座席に変はつた。妻もとうとう読みさしの本だけもつてそちら側に移つていつた。僕だけ、まだときどき思ひ出したやうに雪が紛々と散つてゐる木曾の谷や川へたえず目をやりながら、こちらの窓ぎはに強情にがんばつてゐた。……(中略)
そんなふうで、三つ四つ小さな駅を過ぎる間、僕はあひかはらず一人だけ、木曾川に沿つた窓ぎはを離れずにゐたが、そのうちだんだんそんな雪もあるかないか位にしかちらつかなくなり出してきたのを、なんだか残り惜しさうに見やつてゐた。もう木曾路ともお別れだ。気まぐれな雪よ、旅びとの去つたあとも、もうすこし木曾の山々にふつてをれ。もうすこしの間でいい、旅びとがおまへの雪のふつてゐる姿をどこか平原の一角から振りかへつてしみじみと見入ることができるまで。――
そんな考へに自分がうつけたやうになつてゐるときだつた。ひよいとしたはずみで、僕は隣りの夫婦づれの低い話声を耳に挿さんだ。
「いま、向うの山に白い花がさいてゐたぞ。なんの花けえ?」
「あれは辛夷の花だで。」
僕はそれを聞くと、いそいで振りかへつて、身体をのり出すやうにしながら、そちらがはの山の端にその辛夷の白い花らしいものを見つけようとした。いまその夫婦たちの見た、それとおなじものでなくとも、そこいらの山には他にも辛夷の花さいた木が見られはすまいかとおもつたのである。だが、それまで一人でぼんやりと自分の窓にもたれてゐた僕が急にそんな風にきよときよととそこいらを見まはし出したので、隣りの夫婦のはうでも何事かといつたやうな顔つきで僕のはうを見はじめた。僕はどうもてれくさくなつて、それをしほに、ちやうど僕と筋向ひになつた座席であひかはらず熱心に本を読みつづけてゐる妻のはうへ立つてゆきながら、「せつかく旅に出てきたのに本ばかり読んでゐる奴もないもんだ。たまには山の景色でも見ろよ。……」さう言ひながら、向ひあひに腰かけて、そちらがはの窓のそとへぢつと目をそそぎ出した。
「だつて、わたしなぞは、旅先きででもなければ本もゆつくり読めないんですもの。」妻はいかにも不満さうな顔をして僕のはうを見た。
「ふん、さうかな」ほんたうを云ふと、僕はそんなことには何も苦情をいふつもりはなかつた。ただほんのちよつとだけでもいい、さういふ妻の注意を窓のそとに向けさせて、自分と一しよになつて、そこいらの山の端にまつしろな花を簇がらせてゐる辛夷の木を一二本見つけて、旅のあはれを味つてみたかつたのである。
そこで、僕はさういふ妻の返事には一向にとりあはずに、ただ、すこし声を低くして言つた。
「むかうの山に辛夷の花がさいてゐるとさ。ちよつと見たいものだね。」
「あら、あれをごらんにならなかつたの。」妻はいかにもうれしくつてしやうがないやうに僕の顔を見つめた。
「あんなにいくつも咲いてゐたのに。……」
「嘘をいへ。」こんどは僕がいかにも不平さうな顔をした。
「わたしなんぞは、いくら本を読んでゐたつて、いま、どんな景色で、どんな花がさいてゐるかぐらゐはちやんと知つてゐてよ。……」
「何、まぐれあたりに見えたのさ。僕はずつと木曾川の方ばかり見てゐたんだもの。川の方には……」
「ほら、あそこに一本。」妻が急に僕をさへぎつて山のはうを指した。
「どこに?」僕はしかし其処には、さう言はれてみて、やつと何か白つぽいものを、ちらりと認めたやうな気がしただけだつた。
「いまのが辛夷の花かなあ?」僕はうつけたやうに答へた。
「しやうのない方ねえ。」妻はなんだかすつかり得意さうだつた。「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」
が、もうその花さいた木々はなかなか見あたらないらしかつた。僕たちがさうやつて窓に顔を一しよにくつつけて眺めてゐると、目なかひの、まだ枯れ枯れとした、春あさい山を背景にして、まだ、どこからともなく雪のとばつちりのやうなものがちらちらと舞つてゐるのが見えてゐた。
僕はもう観念して、しばらくぢつと目をあはせてゐた。とうとうこの目で見られなかつた。雪国の春にまつさきに咲くといふその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくつきりと立つてゐる姿を、ただ、心のうちに浮べてみてゐた。そのまつしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のやうにぽたぽたと落ちてゐるにちがひなかつた。……
「辛夷の花」(堀辰雄)より