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フィールド日記

2013年01月

2013.01.01

グレープフルーツの木

 

2013.01.01 Tuesday
1988年のある日、寄宿舎の食事のデザートとしてグレープフルーツが出ました。その時の一粒の種が土に
植えられ、それがこんなに大きくなりました。25年の時が経ったわけです。樹木が私たちに教えてくれる
ことは数知れずありますが、ゆっくりとした育ちこそ確実な育ちであるということもその中の一つだと感じます。
リルケは「樹木のように成長しなさい」という言葉を残しました。新しい1年が不二聖心に関わるすべての人に
とって、着実な成長の1年となりますようお祈り申し上げます。

  
今日のことば

私の人生を劇的に変える言葉というのはなかなか思いつかないが、ゆるやかに変えた言葉で大好きな言葉がおぼしめしである。
おぼしめしを国語辞典で調べると、「思い」の尊敬語でお考え、お気持ちとある。私の場合、おぼしめしとは、上に神さまのとつけるのがふさわしいと思っている。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中で、登場人物が「ただいちばんのさいわいに至るために、いろいろのかなしみもみんなおぼしめしです」としゃべるシーンがある。
宮沢賢治は法華経の信者であったが、この言葉は、そのままカトリックでも通じると思う。
ただいちばんのさいわいとは天国であり、この世でいろいろのかなしみもみんな神さまのおぼしめしですと私は理解している。
私はトルストイの民話が好きで三、四の民話は暗記するほど読んでいる。『ふたりの老人』の最後の章にやはりおぼしめしという言葉が出てくる。
隣家同士の老人ふたりが聖地巡礼へ旅立つが、ひとりの老人は一年かけて目的を達するが、もうひとりの老人は旅の途中で喉が渇き、一軒の家へ入ったところ、一家中が病気で、食べる物もなく、亡くなる寸前であった。
見捨てることができず、食べ物を買い与え、馬を買い与え、はては畑まで買い戻してやると、手許には旅を終えるだけのお金がなくなり、途中でふるさとの村へ引き返すのであったが、それを老人は、旅から無事に帰った隣の老人に、「何事も神さまのおぼしめしだよ」と四回にわたっておぼしめしという言葉を使っている。何と美しい言葉だろうか。
若い頃から宮沢賢治やトルストイの民話には親しんできたが、五十歳を過ぎた頃より、おぼしめしという言葉が私の心にしみじみとしみとおるようになった。
神さまのおぼしめしを素直に受け止められる人間でありたい。

今井美沙子  

 
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