フィールド日記

2013年01月

2013.01.11

中学1年生の冬の自然観察  お茶の種子  鹿と人間の足の大きさ比べ

  2013.01.11 Friday

  中学1年生が理科の授業で小野加代子教諭の指導のもと、校内の冬の自然を観察しました。

  
気温6.5℃の中、植物の冬越しのようすを観察することができました。写真はタンポポのロゼット葉です。


 

 秋の自然観察ではお茶の花を見ることができましたが、今回はお茶の種子を手にとってみることができました。不二聖心ならではの体験です。
     

  ソテツの様子も変化していました。

                  
  

 鹿の足跡を見つけました。みんなで足の大きさ比べです。これもまた不二聖心ならではの体験でしょう。


  

今日のことば

 If the primary theme of human life in the 21st century is living in harmony with other animals and plants then Kenji Miyazawa is the Japanese writer who can most thoroughly help us to understand and pursue this theme.
 Miyazawa died 75 years ago ; but his profound ideas, expressed in exquisite prose parables and philosophical poetry, speak to us as if he were our contemporary. He truly considered himself to be in total harmony with all creation.
                                                                               Roger Pulvers

2013.01.10

アラゲキクラゲ 食べられます

  2013.01.10 Thursday

 裏の駐車場から校舎に向かう道の途中でアラゲキクラゲを見つけました。アラゲキクラゲはキクラゲ科キクラゲ属のキノコで、食用にすることができます。日本では、食べられるキクラゲ科キクラゲ属のキノコとしてキクラゲとアラゲキクラゲの2種が見られますが、不二聖心にはその両方が自生しています。

 

今日のことば

 もし神様が私を長生きさせてくださるなら、私はつまらない人間で一生を終わりたくはありません。私は世界と人類のために働きます。

アンネ・フランク  

2013.01.09

不二聖心のコガネグモ、東京大学へ

 

 2013.01.09 Wednesday

 中学のクロークルームの窓にコガネグモが網を張っていました。日本に生息するコガネグモにはいくつか種類があり、写真のクモがどの種類にあたるのか専門家に同定を依頼したところ、静岡県では1回しか見つかっていないムシバミコガネグモかもしれないという回答を得ました。だとしたらたいへん貴重な発見になります。このクモは東京大学に送られ、さらに詳しく調べられることになりました。

 

今日のことば

うつくしいものの話をしよう。いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを、ためらわずに口にすることを、誰もしなくなった。そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。うつくしいものをうつくしいと言おう。過ぎてゆく季節はうつくしいと。さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。一体、ニュースと呼ばれる日々の破片が、わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。うつくしいものをうつくしいと言おう。何ひとつ永遠なんてなく、いつかすべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。 

長田弘  

2013.01.08

ビワの花の送粉者は誰か

 


2013.01.08 Tuesday

 高3の教室脇のビワの木が花をつけています。先日、この花を目にした時にこの寒い時期に咲く花の送粉者はいったい誰なのだろうと不思議に思いました。寒さに強い双翅目の昆虫もさすがに数を減らしています。
高3の担任をした時に、毎日眺めていたビワの実が、ある日、サルに食べられてがっかりしたのを覚えています。そのことを思い出してみても結実することは間違いないわけです。ならば送粉者は誰か。
その謎が今朝、解けました。たくさんのメジロが蜜を吸っていたのです。小鳥の存在をすっかり忘れていました。ビワの実はメジロが好む成分を多く含むように進化してきたという説もあるようです。

 

今日のことば

昨日の新聞から285  平成二十五年一月七日(月)

『レインツリーの国』(有川浩・新潮文庫)を読む
―― ひとみが伸行と会うのをかたくなに拒んだ理由とは ――

 年末に近くの書店に行ったら、文庫の棚に「今、読みたい新潮文庫」のアンケートでベストテン入りした本が並べられていました。その中の第2位の本に先ず目がいきました。その本とは有川浩の『レインツリーの国』です。「昨日の新聞から283」で紹介した『三匹のおっさん』の感動を思い出し、すぐに購入しました。
今、読みたい新潮文庫のランキングには時々、なぜ選ばれたのか首をかしげたくなるような作品もあるのですが、今回は納得の第二位でした。一読して大きな感動を味わいました。『レインツリーの国』は文句なしの傑作です。
今週は、この『レインツリーの国』を紹介しましょう。
主人公の向坂伸行は、自分が大好きだったライトノベルの作品についてネット上である女性(ひとみ)が批評を書いているのを見つけ、そのサイトの管理者である女性(ひとみ)にメールを送ります。そのあたりの箇所を先ず引用してみましょう。


一体何の拍子でそんなことを調べてみようと思ったのかは自分でも分からない。
後から思えばそれが運命だったのかな、なんて思う。
大学を卒業し、関西から上京して入社三年目――東京にも仕事にも少しは慣れて、余裕が出てきたことがそんなものを思い出させたのかもしれない。
中学生のころに読んだライトノベルのシリーズ。実家に戻れば「捨てるな」と厳命してきた蔵書の中に背表紙が日に灼けて色が抜けたその文庫本は眠っているはずだが、今でもその出版社からその本が出ているかどうかは知らない。何しろ十年以上も前の本だ。
当時は読書好きな友達がいなかったので、その本の感想を話す相手はいなかった。ただその結末を呆然と受け止めて、――ちょっとしたトラウマになった。
その後もそのシリーズを何度となく読み返した。だが完結巻だけは滅多に読み返せなかった。
俺以外の奴は、あのラストをどう受け止めてたんだろう?

 今更本当にどうでもいいことだ。本当にどうでもいいことをふと思い出して調べてみる気になった。それはやっぱり運命だったのかもしれない。
思いついたのが一年早くても一年遅くても駄目だった。その年でなければ。
そのときでなければ。
とにかくその夜、向坂伸行は初ボーナスで買って三年目のノートパソコンで、そのライトノベルのタイトルを検索したのである。
(中略)
その感想を見つけたのは検索結果を何ページか送った後である。
『……私にとっては忘れられない本です。
滑り出しはハチャメチャなSFアクション、しかも主人公たちは当時高校生の私と同じ高校生。おばかで開けっぴろげで同じクラスにいそうなフツーの男の子たち。
それが特殊工作員顔負けの大活躍! 謎の組織にさらわれたヒロインを取り返そうと敵地へ乗り込んで、ハチャメチャのムチャクチャを繰り返し、ついには取り返してハッピーエンド。
そんな感じで明るく楽しく始まったこのシリーズに、最後の最後で打ちのめされるとは思ってもみませんでした。
今までのハチャメチャが通用しない。隙のない大人たちの包囲網でどんどん主人公たちが追い詰められていく展開に、息苦しいような閉塞感を覚えました。
何をどう抗っても状況が打開できない無力感が、読んでいる私にもじっとりと絡みついて。もしかしたら……と浮かぶ想像を打ち消しながらページをめくりました。
きっと、最後は何とかなる。何とかなってくれる。
けれど、最後に主人公カップルは決定的に引き裂かれたのです。しかも、ヒロインの決断によって。追手から逃げ回る生活をヒロイン自身が拒否したのです。
どこまでも二人で逃げよう、と訴える彼に、どこまで逃げたって変わらないよ、と彼女は首を振ります。一生逃げ続けるの? と。
そして彼を含むクラスメイトは日常へ戻り、彼女は一人非日常へ旅立ちました。
彼女がまるで最初から存在しなかったように日常は動いていく。お互いに好きで、二人とも生きているのに、もう二度と会えない。
物語はそこで終わります。
恐い物を見たように急いで本を閉じました。何の救いもない終わりでした。
この本を好きだった友達も、みんなショックを受けていた。きっと、あの当時この本を読んでいた人はみんなショックだったと思います。
もっと言ってしまえば、傷ついたと思います。
作者に裏切られたと怒っている人もいました。もう二度と読まないと。子供っぽい身勝手な怒りかもしれませんが、それほどまでにあのラストは当時の私たちには衝撃が大きかったのです。
私たちはこの作品が好きで、この作品を書いてくれた作者が好きで追いかけてきたのに、何で作者はこんなふうに私たちを傷つけたんだろう? きっと私たちはそんなふうに思っていたのです。
私たちの好意を拒否されたように思っていたのです。
その結末が悲しくて、作者に拒否されたことが悲しくて、大好きだったその作品はなかなか読み返せない本になりました。


作品の結末に疑問を感じていた伸行は、ラストに傷ついたと語るサイトの管理者にコメントを送り、返事をもらいます。ネット上でのやりとりがしばらく続き、伸行は、ラストのとらえ方だけではなく、ひとみの考え方・感じ方にも共感を覚える部分が非常に多いことに気付いていきます。伸行はひとみに会ってみたくてたまらなくなりました。勇気をもってその気持ちをひとみに伝えましたが、ひとみはかたくなにその提案を拒み続けます。何度か、気持ちを伝え続けようやく二人は会うことができましたが、なぜかネット上のようにコミュニケーションがうまく成立しません。伸行は徐々に戸惑いを隠せなくなっていきます。
映画を観ようという話になった時にも、ぎくしゃくした感じは続きます。


話題作のうえ雨だったので客がこちらに流れたのか、映画館は思いの外混んでいた。全席指定制のチケット売り場は窓口に長蛇の列が出来ている。
伸行たちの番が来たときは、字幕版で直近の上映回は全席売り切れになっていた。次の回までは三時間近くある。
吹き替え版ならまだ空いているという係員の説明に、伸行はひとみを振り向いた。
「吹き替えでもええ?」
投げた確認は一応のもので当然頷くと思っていたから、頭を振ったひとみに思わず怪訝な顔になった。
「え、でも……字幕やと次の回まで待たなあかんし。三時間くらいかかんで」
字幕にこだわるタイプがいることは理解しているが、こんな場合は譲ってくれてもと戸惑う。
「吹き替えでも内容は一緒やから」
「字幕じゃないなら別のがいいです」
別のと言われても、他に洋画ではあまりぱっとしたタイトルはない。
「なら邦画じゃあかんかな、俺これ観たかったんやけど」
時刻表から邦画のタイトルを指差すが、ひとみはそれも頷かなかった。
「洋画の字幕にしてください」
窓口でもたもたしていると後ろに並んでいる客が露骨に苛立ちはじめた。すぐ後ろのカップルは問答の内容が聞こえたのか「混んでるだから早くしろよな」「彼女のほうワガママー」などと聞こえよがしに嫌味を言いはじめたが、ひとみは一向に気にした様子はない。
伸行のほうがいたたまれなくなって、結局適当な洋画に決めた。「字幕なら何でもええんやね」とちょっとトゲのある確認をしてしまう。
入場がもう始まっていたので、お互いにトイレに行ってから慌ただしく館内に入り、あまり言葉も交わさないまま予告が始まった。
映画は封切り直後に少しCMが流れたきり話題にもならなかったB級アクションで、平坦な展開にあくびを噛み殺した。
ひとみのほうを窺うとひとみもあまり面白そうではなく、これなら自分が主張した邦画のほうがよっぽど評判もよくて面白そうだったのにと内心で不満が湧いた。
スタッフロールが始まるや客が我先に席を立つような出来で「面白かったね」などと話が盛り上がるわけもなく、観終わってからの空気はかなり微妙だった。
せめて洋画を譲らなかったひとみが楽しんでくれていたらまだ救われるが、ひとみも席を立ってからあまり口を開こうとしなかった。伸行が気を遣って話しかけても、返ってくるのは無難な相槌や頷きだけである。(中略)
もうお開きにしたほうがよさそうですね、とおずおずとひとみが切り出す。
「せやね、雨も夜から酷くなるって天気予報で言ってたし」
やや言い訳混じりの投げやりな返事になったのはひとみにも伝わったのか、ひとみも寂しそうな申し訳なさそうな微妙な表情になった。
多分、本当はもっと話したかったのだろう。
「じゃ、ここ払ってきますね」
最初からそういう按分だ。ひとみが会計を終わらすのを店の外で待ちながら、次はあるかなと何となく考えた。微妙に気まずく終わったので、こちらから振らない以上ひとみからは会おうとは言いださないだろう。とすると今後の展開はひとまず伸行の掌中だ。
エレベーターを待っている間ひとみは何か物言いたげで、「あの」「すみません」と小さな声で繰り返していた。
「私、ホントは……」
やっとの思いでそう切り出したタイミングでぎゅう詰め下りのエレベーターが来て、ひとみは思い切れない様子のまま半ば機械的に開いた扉の中に乗り込んだ。
あ、無理ちゃうかそれ。
伸行が思った瞬間、重量オーバーのブザーが鳴った。だが、ひとみはまったく頓着した様子もなくそのまま乗り続けている。
さすがに元から乗っていた乗客の視線が険しくなり、伸行の我慢も在庫が切れた。
「おい、何ボサッとしてんねん!」
むしろ乗客に聞かせるために怒鳴りながら、ひとみの腕を摑んで引きずり降ろす。動作が多少手荒になったのはやむを得ない。
すみません、と頭を下げるが乗客たちはいくつかの舌打ちや白い視線を残して階下へ去った。
「何やってんや君も、」
余計な恥をかかされた苛立ちも手伝って声はきつくなった。
「自分の代わりに誰か降りろみたいなみっともない真似すんなや! 君がそんな奴やなんて思へんかったわ! ネットであんだけ感じよう見せといてリアルであんまりみっともない真似せんといてくれや!」
人の気配に聡い伸行には、今自分が周囲からどう見えているかも自覚されている。しかし今ひとみを責める言葉をこらえることはできず、ひとみが言い返さないことも相まって言い募ってしまう。
だが、言い返さない相手を一方的に詰るのも結局は後味が悪く、すぐに伸行の沸騰も収まった。
ずっと黙って伸行の口元を見つめていたひとみは、伸行が黙ってから口を開いた。
「……重量オーバーだったんですね」
おい、俺の話を聞いた結論はそこか!? 脱力しかけた伸行に、ひとみは深々と頭を下げた。


ここで、なぜひとみが伸行と会うことをかたくなに拒んだのか、その理由が明らかになります。それが、この物語の本当の始まりでした。そこから特別な二人の関係がスタートします。しかし作品のテーマは極めて普遍的です。それは、人の気持ちを思いやりつつ自分の気持ちを言葉にすることの難しさと大切さ、そして美しさとでも要約すればいいでしょうか。
解説の山本弘さんは『レインツリーの国』の感動を「鳥肌が立つほどの」という言葉で表現しています。作品を読めばこの言葉が誇張ではないことがきっとわかるはずです。

2013.01.07

生物の種数を基準にした日英比較とノミバエ

 

 2013.01.07 Monday

 C.W.ニコルさんが1月6日にジャパン・タイムズに発表したエッセイの中に興味深い記述を見つけました。

When I was a boy growing up in Britain, snakes fascinated me, although in the wild I only ever saw two kinds :the harmless grass snake and the venomous viper(or adder).
As far as I know, including sea snakes, there are 47 species of snakes in Japan.

 

 生息するヘビの種数がイギリスと日本では大きく異なることをうかがわせる文章です。
実際に、日本とイギリスの生物の種数はそれぞれのグループにおいて約3倍の違いがあり、日本の方が生物の多様性に富むと言われています。この説を利用すれば、分類学の進んでいるイギリスのデータをもとにして未解明の日本の動物の種数を予測することができるわけです。
写真のハエは12月29日に、「共生の森」で採集しました。約3ミリの小さなハエです。ノミバエ科のハエであることは明らかですが、種の同定までにはいたりませんでした。ノミバエはイギリスに約300種いることがわかっています。そうすると日本にはその3倍の約900種がいることになります。同定の困難さがこの種数からおわかりいただけると思います。


   
今日のことば

動物なくして、人間とは何なのか。すべての動物たちが消えてしまうなら、人間は心に非常なさびしさを感じ、それで死んでしまうだろう。なぜなら動物たちに起こることは、やがて人間にも起こるのだから。すべては結ばれているのだ。

アメリカ先住民の酋長シアトルの言葉

2013.01.06

なぜ光の少ない環境でグミは生きられるのか

 

 2013.01.06 Sunday

 12月27日に不二聖心で行われた植物調査で、高校1年生が間伐体験学習を行った森の中にグミ類がたくさん生えていることがわかりました。ナツグミは以前から確認できていたのですが、今回はツルグミという種類も確認できました。ナツグミに比べてツルグミは葉裏が金色に輝くのが特徴です。その色合いがよくわかるように陽にかざしてみました。
針葉樹の森の中は薄暗く、植物にとって太陽の光をたくさん受けられる環境ではありません。一説によると、森を形成する高木の樹冠が受ける光の量を100%とするとその地表の光の量は0.5%だそうです。そのような環境の中でたくさんのグミが成長を続けているのには理由があります。グミ類は根に根粒菌を持っていてその菌類が窒素固定の役割を担い、植物の成長を助けているのです。

 

今日のことば

生命の形の多様さ、それはこの惑星での最大の驚異だ。生命圏はさまざまな形の命が複雑に縫い合わされたタペストリーのようなものである。一〇億年以上にわたって多様な形の生命を育んできた環境をわれわれが急激に変え、破壊していることに対する緊急の警告を伝えたい。

『バイオダイバーシティ』(エドワード・ウィルソン)より  

2013.01.05

トガリヒメバチ亜科のヒメバチ 

 

 2013.01.05 Saturday
「共生の森」のカシの木の樹皮にとまっていたヒメバチを採集しました。ヒメバチは世界中で23500種が確認されている寄生バチです。写真は拡大してありますが、体長約4ミリです。専門家に同定の依頼をしたところ、「写真のヒメバチですが、トガリヒメバチ亜科までは間違いありません。おそらくGelis属の有翅型ですが、属や種の同定は実物を確認する必要があります。」という回答をいただきました。Gelis属の有翅型だとすると、静岡県の初記録ということになります。
たまたま昨日読んだ1922年の岩手日報の記事に、その年に見られた毒蛾の大発生の原因についての盛岡高等農林学校門前弘多教授の意見が載っていました。以下のような内容です。 

(毒蛾の大発生の)もう一つの原因は昨年の冬昆虫につく所謂『寄生蜂』が非常に死んだ為にすべての昆虫が多くなったのかも知れない。寄生蜂は一匹の毛虫つまり幼虫に二十匹から三十匹位寄生して遂にその幼虫を殺してしまふのである。

これを読むと、1920年代には既に寄生バチの生態系に占める重要な位置について認識されていたことがわかります。


 
今日のことば

ぶつかり稽古で、根も力ももう是れ限りと思ふと、いつともなく不思議に新しい力が湧いてきます。

大錦卯一郎  

2013.01.04

「ひょんなこと」という言葉はイスノフシアブラムシから生まれた

 

 

 2013.01.04 Friday

 第二牧草地入口近くのアラカシの木からイスノフシアブラムシ(Nipponaphis distyliicola Monzen)が見つかりました。今年の不二聖心初記録1種目です。日本語に「ひょんなこと」という表現がありますが、この言葉はイスノフシアブラムシの作る虫こぶに由来するという説があります。岩波新書の『ことばの由来』(堀井令以知)の中に「ひょんなこと」の語源についての次のような文章があります。

 予期しないこと、意外なさまを「ひょんなこと」というが、この語の語源はどうであろうか。ヒョンナは室町時代のことばを集めた『日葡辞書』には「服装ややり方などが奇異で突飛な」とある。

江戸時代初期の俳人であった安原貞室による、京ことばを集めた『かたこと』(1650年刊)にも「ひょんなこと」が出ている。当時の京都ではヒョンナコトを「ひょがいなこと」「ひょうげたこと」などといった。「是はひょんという木の実の、えもしれぬ物なるよりいへること葉」ではないかとある。ヒョンノキからという説である。ヒョンノキはイスノキ・ユスノキといい、マンサク科の常緑高木で、庭木として栽培され、その材は柱・机に使用する。この木がどうして予期せぬという意味になったかは説明がないが、「ひょんの実」というのはこの木の葉を虫が食ったあとにできる虫こぶのことである。子供の遊びでこの虫こぶの穴を吹くとひょうひょうと鳴るところから木の名も「ひょん」となったのかも知れない。 

 この中に出てくる「虫」がイスノフシアブラムシです。イスノフシアブラムシはイスノキとアラカシの間を行ったり来たりするアブラムシです。


 
今日のことば

箱根駅伝より

優勝した日本体育大学の7区高田選手のことば
「去年、中途半端な順位だったら今年も同じだったと思う。19位だったから優勝できたんです。」

東日本大震災で姉を亡くした、青山学院大学8区高橋選手のことば
「僕が箱根を走るのは姉の夢の一つだった。それをかなえることができて良かった。」

2013.01.03

シャクナゲの品種改良はなぜ遅れたのか

 

 2013.01.03  Thursday

 栗畑のシャクナゲの花芽が少しずつふくらみを増してきました。シャクナゲには多数の園芸種がありますが、栗畑のシャクナゲも園芸種の一種です。週刊朝日百科『植物の世界65号』にはシャクナゲの園芸種についての興味深い記述があります。その一部を以下に引用します。

 シャクナゲの本格的な園芸品種の改良は1800年代に始まり、キクやバラなどの花卉に比べてその歴史はたいへん短い。しかし、品種の数は急速に増加し、現在約1000の品種があるといわれ、北半球を中心に広く世界中で栽培されている。品種改良の始まりが遅かったのは、シャクナゲの自生の中心が中国やヒマラヤなどの山岳地帯の辺境であり、プラント・ハンターの活躍によってそれらがヨーロッパに紹介されたのが、1800年代になってからだったためである。


今日のことば

落ちてきたら 
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように

           「紙風船」(黒田三郎)

2013.01.02

イヌマキと井上靖の「あすなろう」

 

 2013.01.02 Wednesday

 高校1年生が「共生の森」に植えたイヌマキが冬の寒さに耐えて成長を続けています。井上靖の『あすなろ物語』で知られるアスナロというヒノキ科の樹木がありますが、伊豆地方ではイヌマキのことをアスナロというそうです。全く違う名前の樹木かどうして同じ名前で呼ばれているのか、不思議なことです。
伊豆で育った井上靖も、「アスナロ」は言えばイヌマキのことを指すと思っていたらしいことが、「あすなろう」(『あすなろ物語』ではありません。)という小説を読むとわかります。

 

今日のことば

 大学の三年の時、私は高等学校時代からの不規則な生活が祟ってやむなく卒業を一年延ばし、その年の秋から
翌年の春にかけて、半カ月余りを郷里の伊豆で養生専一に送らねばならなかった。
読書は許されなかったので、時には梶井基次郎の「檸檬」の中に出てくるあの渓合の雑木林の道を歩くこともあったが、大抵は二階の自分の居間から硝子戸越に天城の山々を終日眺めて暮すことが多かった。
その頃、夜になると、村の小学校のIと言う若い先生がよく話しにやって来た、痩せぎすで長身で――のっぽと言う感じがよく当てはまる何処か間延びのした所のある男で、眼尻に皺をよせ乍らぽつりぽつりと話し出すと、いつまでも腰を上げなかった。
「あすなろうという木を知っていますか」
その晩もIは私の所へ共同湯帰りの濡れ手拭をぶら下げたまま訪ねて来て、十二時近くまで話し込んでいた。
中学校の植物の教師の検定試験を受けるというので、植物は随分勉強しているらしく、また植物の話になると彼の訥弁も見違える様に生彩をおんでくるのが常であった。
「あすなろうって、槇(マキ)の木のことでしょう」
私が答えると、Iは、さにあらずと言う様に得意な時いつもする人のよい微笑を浮べて、
「伊豆ではそう言いますが、そりゃお誤りですよ。ほんとはあすなろうと言えば羅漢柏の事です。
   マツ科の植物で――」
と、あすなろうの説明を始めた。羅漢柏は大変よく檜に似ている木で、そのあすなろうという別名も「あすは檜になろう、あすは檜になろう」と言う言葉が詰まって、あすなろうとなったと言うのである。「それが証拠にはあすなろうと言う字も翌檜と書きます」
とIは畳の上に字を書いてみせた。

「あすなろう」(井上靖)より