フィールド日記
2012.11.24
スッポンタケ
2012.11.24 Saturday
「共生の森」に接している竹林でスッポンタケを見つけました。食用にできるキノコですが、虫をおびきよせるために悪臭を放つことでも知られています。臭いによって集められた虫はキノコの胞子を運ぶ役目を果たします。写真のスッポンタケの周辺でさらに3つのスッポンタケを見つけました。虫たちはきちんと役目を果たしているようです。
今日のことば
ここ十五年ほどの間、われわれこの島々の住人は開発という名のもとにあまりにも無造作に、というよ
り狂ったように樹をきり倒し、いま、自然ともいえないような環境のなかで、自分たちが何をしてきたか
ということに茫然としている。われわれアジア人は、自然というものはアタリマエに存在するものと信じ
こみすぎてきた。民族としての練度が不足している証拠ともいえるのではないか。
太古、ギリシア地方は森林におおわれていたという。そこにギリシア文明が栄えたころ、ひとびとは文明
とそしてふえてゆく人口を養うために乱伐をくりかえした。このあと地面が乾き、山は衰えて石の肌をあ
らわにしたののになり、野の多くは砂漠同然になって、その文明がほろんだ。いまヨーロッパ人が森を大
切にし、町に樹を植え、樹の一つ一つの生命を介抱してその樹蔭で人間の生命を保とうとしているのは、
遠い先祖が失敗した記憶が牢固として生きているからであり、樹を伐ればヨーロッパは亡びる、という恐
怖心がヨーロッパ社会の基礎にあるからに相違ない。
かれらは本来自然の豊かな豪州北部やニュージーランドに社会を作ってもこの恐怖遺伝は消えることなく、
たとえ牧場をひらいても自然木をできるだけ残そうとつとめている。
その恐怖を、この日本列島に住むわれわれが、いまごろになって感じはじめた。しかしその恐怖が、まだ
社会が共有するところまではひろがっていないために、われわれこの島国に住む人間や他の生物の生命を
たすけてきた樹々が、日々伐られつつある。日本は自然の復元力があるという多分に迷信的な根拠に甘え
すぎているためなのか、それとも自然は人間をふくめた生物の共有のものであり、人間もまた自然物にす
ぎないという当然の思想が、この練度の未熟な民族に定着していないせいなのか。
司馬遼太郎
2012.11.23
イロハモミジの紅葉 モリオカメコオロギの鳴き声
2012.11.23 Friday
今日は第3回の学校説明会が行われました。あいにくの雨でしたが、たくさんの方にご来校いただき感謝しています。
雨模様の空の下で中庭のイロハモミジが美しく紅葉し始めていました。
昨日の夜、気温がぐんぐん下がっていくなかで、モリオカメコオロギの鳴き声を耳にしました。
今日はもう鳴き声を聞くことができませんでしたので、あれが今年最後の声だったのかもしれません。
「2012年11月22日に不二聖心でモリオカメコオロギが鳴いた。」これも大切な不二聖心のフィールドの記録です。
今日のことば
今日散れる葉にすら深き彩りを賜えるものを天と思うも
田井安曇
2012.11.22
背泳ぎの名人 マツモムシ
2012.11.22 Thursday
第2牧草地の池では今日もマツモムシが元気に泳いでいました。マツモムシは背泳ぎをする姿がとても特徴的な水生昆虫です。水生昆虫の多くは希少種となってきていますが、マツモムシも東京都では準絶滅危惧種に指定されています。
今日のことば
私たちが日ごろ、何気なく見過ごして平気で通りすぎていってしまうことどもに、子どもたちはごく
自然に感動する。空の光に、一片の雲に、垣根の小さな花に、風に舞う一枚の枯葉に、一匹の小さな虫に、
道ばたのただの石ころと思われる自然の一片に、動物に、絵本に、お話に、歌にーー。それぞれの場で、
それぞれの個性によってちがうけれども、計算や思わくなどなしに心を動かす。実にとうとい。
幼い子どもたちの感動しているおももち、顔つき、そのことば、手ぶり身ぶり。さらに「ねえ、ねえ。
……なの」と、共感を求めてくることばに接すると、私はいつもこの子らに深く心をゆり動かされ、圧倒
される思いがする。自分が失ってきた大きなものを嘆くいとまもない。
そんなことを忘れさせてくれるのが子どもの「ねえ、ねえ、見て、ほら」の一言だし、「なぜ」と問うこ
とばだ。そのとき私にとって、世界は新しい光のもとにその姿を私に示してくれる。
小塩節
2012.11.21
泡立ち始めたセイタカアワダチソウ
2012.11.21 Wednesday
晩秋から初冬にかけて草原の昆虫たちに最後まで豊かに栄養を与え続けているのが、悪名高きセイタカアワダチソウです。
不二聖心でもハチやハナアブなどいろいろな生き物がセイタカアワダチソウに頼って、命の最後を生きています。しかし、そのセイタカアワダチソウにも花の終わりの時期が近づき、アワダチソウという名前の通り泡立つような姿を見せ始めています。
今日のことば
宗教を持つ人は、絶海の孤島へ漂着したが何をしていても一刻も本国へ帰ることを志してやまなかった
あのロビンソン・クルーソーのような人だ。かれは孤島に茅屋を建て、黒人フライデーを僕(しもべ)
とし、山羊を捕えて乳をしぼり、名ばかりの畑を耕した。しかしかれは決してそれだけでは満足せず、
孤島はかれの安住の地ではなかった。何をしてもかれの心は、地平線の彼方なつかしい本国に向っていた。
今かりに孤島に安住して少しも本国へ帰ることは考えなかったとする。無宗教の人はそんなものだと。
なるほど現代の文化生活も、永遠の価値の前にはロビンソンの生活以上に評価されないでしょう。
わたしどもの生活に高い価値と意義を見いだすためには、どうしても永遠無限なるものとの関係において
生きなければならない。人間の生活はだいだいだれも同様で、三度食べて、働き、夜ねて、朝起きるだけ
である。しかし真に信仰に生きる人は、赤ちゃんのおむつのお洗濯をしていても、台所でお芋の皮をむい
ていても、心の眼は浮世の地平線のかなたはるかに高く神に向っている。このような人間の姿こそ実に貴
いものである。現代はあまりにも、孤島に漂着して本国に帰ることを忘れたロビンソン・クルーソーにみ
ちている。われわれは途中で沈没してもいい、孤島で犬死をするよりは、独木舟でもいいから作って故国
へ帰ろうという道心に燃えたい。またこうしてこそ、かえって日々の卑近な生活が高き目的への道程として、光栄に輝くものとなってくるのであります。
岩下壮一 1934.11.28
2012.11.20
水面を移動するハエ ミギワバエ
2012.11.20 Tuesday
11月18日に第2牧草地の池で撮影した、水の上を移動するハエが、専門家の方の同定によってミギワバエ科の1種で、Brachydeutera属の可能性が高いことがわかりました。
脚をよく見ると水の上を移動しやすい構造になっていることがわかります。
今日のことば
How wonderful life is while you are in the world.
君がいてくれるだけで、人生がどんなに素晴しくなるか。
Your Song(Elton John)より
2012.11.19
変形したヤブムラサキの実
2012.11.19 Monday
第2牧草地のヤブムラサキの木にたくさん美しい実がついていました。ヤブムラサキの実は通常、直径3ミリ程度の小さな球形ですが、第2牧草地では変形した実を見つけることができました。
なぜ変形したのかは、現在調査中です。
今日のことば
モンテ・セナリオは、フィレンツェの北にある海抜八百メートルほどの山で、その頂上に、セルヴィ・
ディ・マリア修道会をはじめた、七人の聖人の由緒ある、大きな森にかこまれた、古い修道院があります。
ジョバンニ神父さんは、その森に点在する、昔、修道士の住んでいた小さな家のひとつを仕事場にしてお
られて、一年のうちの何ヶ月かを、そこで祈りと書きものにすごされるのだということでした。
やっと春のきた杉の木立には、すみれが咲きはじめたばかりでした。ながい冬のあいだに、そこかしこい
たんだ山の家に着くと、神父さんはすぐに、持ってこられた大きな聖母の絵を、壁にかける仕事にとりか
かられ、私には、庭をみてくれないかといわれました。大分雨が降らなかったので、白いあらせいとうや、
ばらのうわった花畑の土は、すっかり乾いてひびわれていました。庭のすみの天井井戸から、私は何杯水
を運んだでしょうか。何時間たったか、一応全体に水をかけおわったとき、家のなかから神父さんが声を
かけられました。「今日はこれぐらいでいいでしょう。召しあがりませんか」。窓ぎわの新聞紙のうえに
は、いくつかのリンゴとオレンジが、灰色の空気のなかで、ふしぎなほどあかるくみえました。つめを立
ててオレンジの皮をむいていると、雨が降ってきました。ほねおって水をまいた庭は、見る見るうちに、
しっとりとうつくしく濡れてゆきます。屋根や木の葉にあたる音をききながら、神父さんは、ぽつりとこ
う云われました。
――音がする。わたし達は、あまりさわがしい中にばかり住んでいて、おと、ほんとうの音とはどんなも
のだったか、わすれているくらいだ――
なにか、奈良の田舎の古寺にでも春雨を聴くおもいで、私も耳をすませるのでした。
須賀敦子
2012.11.18
オナガグモの驚異の擬態
2012.11.18 Sunday
校舎の裏で松の葉に擬態しているオナガグモを撮影しました。
オナガグモはクモを食べるクモとして知られます。文一総合出版の『日本のクモ』には、「糸には粘性が無く、その糸を伝わって来るクモを捕える」と書かれています。
今日のことば
人間の自由は、諸条件からの自由ではなくて、それら諸条件に対して、自分のあり方を決める自由である。
ヴィクター・フランクル
2012.11.17
ヌルデの紅葉
2012.11.17 Saturday
不二聖心にはかつて京都から取り寄せたと言われるイロハモミジの木がたくさんあり、紅葉をたっぷり楽しむことができますが、モミジの紅葉の盛りにはまた少し時間がかかるようです。今の時期に紅葉の盛りを迎えているのはウルシ科の植物です。すすき野原ではウルシ科ウルシ属のヌルデが美しく紅葉していました。ヌルデは奇数羽状複葉で葉軸に翼があるので簡単に他の樹木と見分けることができます。
聖徳太子が残したエピソードに、味方が苦戦に陥った時にヌルデの木を刻んで四天王の像を作り、敵を滅ぼした暁には寺と塔を建立しますと願をかけたという話があります。ヌルデは長い間、特別な神通力を持った木であると信じられてきました。
今日のことば
一晩で
何億というお金を
あっちだこっちだと
動かす若社長より
北国の干潟で
泥に塗れ
黙々と何かを
捕っている
茶髪の青年の方が
美しい
と、思える人は
決して
負け組では
ありません
山城美奈子
2012.11.16
アシナガバチの巣 不二の自然63コアシナガバチ
2012.11.16 Friday
すすき野原でアシナガバチの巣を見つけました。もう子育てがすべて終わった巣です。
『不二の自然3』という冊子の中で以前に紹介したアシナガバチの記事を再録しておきます。
不二の自然63
コアシナガバチ
科名 ハチ目スズメバチ科
学名 Polistes snelleni
レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の中に次のような一節があります。
アシナガバチの雌は、受精卵をいだいて人もこない屋根裏の片すみにかくれている。その卵に彼女の
コロニーの未来のすべてがひそんでいる。ひとりさびしく冬をすごした彼女は、春になると小さな紙の
巣をつくり、そのなかに二つか三つ卵を産みつけ、働きバチを何匹か、大事に育てる。働き蜂の助けを
かりて、やがて巣は大きくなり、コロニーがひろがってゆき、働きバチは、暑い夏の日が続くかぎり休
むことなく餌をさがし集める。
レイチェル・カーソンによって描かれた自然の営みを不二聖心の中でつぶさに観察することができます。『アシナガバチ一億年のドラマ』(山根爽一)には「普通は約7割のコロニーがワーカーの羽化を待たず
に失われる」とあります。不二聖心に生息するコアシナガバチの巣作りが無事に成功することを願ってい
ます。
(平成22年6月12日)
今日のことば
地球は、ひとつの大きないのち。歌い手としての活動を始めて15年あまり、このごろ私の心には、
そんな思いがこだまするようになりました。この星の反対側で、1人のいのちが奪われるときその
悲しみのため息は、私たちの奥深くにきっと、小さな震えを起こす。
すべてのいのちは、つながっているから。
鈴木重子
2012.11.15
初霜 球技大会 ハラビロカマキリ コカマキリ
2012.11.15 Thursday
今朝7時の不二聖心の気温は3度でした。「共生の森」では初霜が見られました。
しかし昼間はよく晴れ、絶好の球技大会日和となり、生徒たちの生き生きとプレーする姿が
たくさん見られました。
今日は、ハラビロカマキリとコカマキリを校舎の裏のほぼ同じ場所で見かけました。
背中の白い点がハラビロカマキリの目印です。
キリンビール株式会社のホームページの中で、不二聖心の自然の写真が紹介されました。
ご覧になりたい方は以下のURLをクリックしてください。
http://www.kirin.co.jp/csr/env/special/suigen/forests/fuji/
今日のことば
高校3年生の短歌
気づいたら今週私の誕生日さよなら私の十七歳(セブンティーン)
壮大な秋の絵画が美しい窓という名の巨大なキャンバス
将来はやりたいことが多すぎて収拾つかない頭のノート
覚悟して離れた道を選んでもさよならなんてまだまだ言えない
平和への一歩を担う大統領核なき世界へ新たな四年
繰り返し間違うことの何が悪い七度転んで八起きればいい
噛み締める間もなく日々を駆け抜けて全てが最後の実感沸かず
肩寄せる友に感じるぬくもりが心に積もる憂いを溶かす
ありきたりだけどみんなに伝えたい泣かずに言えるかこの「ありがとう」を