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フィールド日記

2012.12.09

ヤブムラサキの黄葉

 

 2012.12.09 Sunday

 今日は、秋に高校1年生が間伐体験学習を行った森の中に久しぶりに入ってみました。
森の外は強風が吹き荒れていましたが、森の中は静けさが保たれていました。ムラサキシキブハケタマムシ
という貴重な虫こぶが発生しているヤブムラサキの葉の落葉を確認しました。いよいよ羽化に向けて最終段階
に入ることになります。そのヤブムラサキの黄葉の写真を撮りました。光の届きにくい環境に生息することが
多いヤブムラサキは枝葉を上手に広げることで効率よく光を吸収しています。

 

今日のことば

ありのままの人間は決して実在のかたちに触れることはできない。人間的努力の極限、それのみが揺るがない
形に我々を触れさせる。

                                          森有正

2012.12.08

サネカズラについての新発見の紹介

  2012.12.08 Saturday

 東名高速道路の近くの竹林の縁でサネカズラの実が赤く熟していました。サネカズラは、百人一首の「名にし負はば逢坂山のさねかづら人にしられで来るよしもがな」の歌でもおなじみの樹木で、日本人が長く親しんできた植物です。
栗田子郎先生(不二聖心の植物相の調査でたいへんお世話になっている先生です)のホームページ「草と木と花の博物誌」にサネカズラについてのたいへん興味深い記述が載っています。図鑑では、サネカズラは雌の株と雄の株は別々とされてきたのですが、雌雄同株の個体もあることを先生は発見なさったのです。
サネカズラについて、さらに詳しくお知りになりたい方は下記のURLをクリックしてみてください。

http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/nonohana.dayori.fuyu.html#hermapfrodite.sanekazura

 

 

                今日のことば

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

                               吉野弘

2012.12.07

ツマグロオオヨコバイの越冬  イロハモミジの紅葉

  2012.12.07 Friday

 駐車場の横の雑木林の斜面に生えているアブラギリの葉の裏で越冬しているツマグロオオヨコバイを見つけました。成虫で越冬する昆虫の中にはこのように群れを作って越冬するものが数多くいます。
アブラギリの周辺はイロハモミジの紅葉が今まさに盛りの時期を迎えていました。

 
 

               今日のことば


あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。

                                  矢嶋楫子

2012.12.06

メジロの亡き骸  不二聖心のすすき野原が希少種の宝庫である理由

  2012.12.06 Thursday

 昨日は忘れがたい光景に二つ出会いました。一つは、中学校校舎の入り口の窓ガラスにぶつかって息絶えたメジロの姿です。生徒が次々に職員室に報告に来てくれました。メジロの死を心から悲しむ子どもたちの姿を見て本当に心の優しい生徒たちだと思いました。


 

 昼休みにメジロを森の土に返しに行きました。そこで思わぬ光景に出くわしました。不二農園の関係者の方々が広いすすき野原の草をすべてきれいに刈りとっていたのです。生物多様性を脅かす要素は「開発の影響」と「外来種の移入」と「人間の手入れの不足」だと言われます。絶滅危惧種の宝庫である不二聖心のすすき野原は、十分な「人間の手入れ」によって守られています。
農園の方に、刈り取ったすすきの束をどうするのかうかがったところ、茶畑に敷くということでした。
すすき野原を健全に保つために刈られたすすきが、茶畑を健全に保つことに役立っているということです。
来年も、再来年も、そしてまた次の年も、枯れたすすきはおいしいお茶を作るために役立ち続けることでしょう。
不二聖心の中だけで一つの持続可能な関係が成り立っているというのは素晴らしいことだと思います。


 

                今日のことば


私は人間的な感動が基底に無くて、風景を美しいと見ることは在り得ないと信じている。風景は、いわば人間の心の祈りである。私は清澄な風景を描きたいと思っている。汚染され、荒らされた風景が、人間の心の救いであり得るはずがない。風景は心の鏡である。庭はその家に住む人の心を最も良く表すものであり、山林にも田園にもそこに住む人々の心が映し出されている。河も海も同じである。その国の風景はその国民の心を象徴すると言えよう。
日本の山や海や野の、何という荒れようであろうか。また、競って核爆発の灰を大気の中に振り撒く国々の、0何という無謀な所業であろうか。人間はいま病んでいる。
母なる大地を、私達はもっと清浄に保たねばならない。なぜなら、それは生命の源泉だからである。
自然と調和して生きる素朴な心が必要である。人工の楽園に生命の輝きは宿らない。

                                      

                                  東山魁夷

2012.12.05

ササキリモドキ科ヒメツユムシ  ヒヨドリの声の聞き比べ

 

2012.12.05 Wednesday
「共生の森」のキャンプ場の水溜りに虫の死骸が浮いていました。ササキリのようだと最初は思いましたが、調べてみたらササキリモドキ科のヒメツユムシのメスであることがわかりました。
ササキリとよく似ていますが、全く違う種類の昆虫です。生態も異なり、例えばササキリが草食であるのに対し、ヒメツユムシは肉食です。自然界には「似て非なるもの」が数多く存在します。
その「非なる」ことを見抜いていくことで生物の多様性がより明らかになっていきます。

 不二聖心にはクスノキの巨木がたくさん生えていますが、晩秋の頃に実が熟してくるとたくさんのヒヨドリがクスノキの周辺に集まり、にぎやかに鳴き交わすようになります。その声はすっかり耳になじんでいますが、先日、竹林の中で全く別の鳴き方のヒヨドリの鳴き声を耳にしました。
鳥の鳴き声の多様性に驚きます。ぜひ聞き比べをしてみてください。

  

今日のことば

高校3年生の短歌

寒空に満天の星を眺めむればちょっぴり淋しい冬の始まり        
みんなとの一日一分一秒を大切にしたい大好きだから          
黄昏に紅く燃えるもみじばよ我が青春は秋にありき           
みんなとの出会いや刻んだ思い出は私の人生のスペシャルです      
いつまでも現実逃避したいけど逃げてばかりもいられないよね      
ありふれた日々も終わりに近づいて貴き時を友と味わう         
六月につく枇杷の実にもう会えない窓の木が旅立ち告げる

2012.12.04

世界中で見られるスエヒロタケ  イノシシに荒らされたスッポンタケ

  2012.12.04 Tuesday

「共生の森」でスエヒロタケの写真を撮りました。
スエヒロタケ(Schizophyllum commune)は世界中で見られるきのこでウィキペディアの英語版
には次のように書かれています。


Schizophyllum commune is a very common species of mushroom in the genus Schizophyllum.
It is the world's most widely distributed mushroom, occurring on every continent except Antarctica.


つまり南極大陸以外ではどこでも見られるきのこということです。
スエヒロタケは、猫の足先のようにも見えるところからネコノテとも呼ばれます。


 

 今年はイノシシが例年以上に多く、あちこちにイノシシが土を掘り起こしたあとが見られます。
「共生の森」ではスッポンタケが荒らされて一か所に集められていました。その中には幼菌もまじっ
ていました。手当たり次第という感じです。


 
 

              今日のことば


高校3年生の短歌

誘惑の多いなかでどっちが勝つの私の中の天使と悪魔          
いくら私が元気なふりをしていても君にはわかる無理してること     
ありふれた日々の出来事を振り返り今溢れ出す幾筋の涙         
我慢せず泣きたい時は泣けばいい泣いたあとには笑えばいいから     
帰り道「おかえりなさい」の一言であたたかくなる夕方六時       
寒空に心をふるわす冬が来る嬉しいようで寂しいようで

2012.12.03

リンドウの花  ハエトリグモの幼体



 

 2012.12.03 Monday
 雑木林の林床にリンドウの花が落ちていました。下草狩りの時に一緒に刈られてしまったものと思われます。花の中には越冬中のハエトリグモの幼体が潜んでいました。体長は3ミリ程度ですが、ハエトリグモの特徴ある目の様子が写真からもよくわかります。ハエトリグモは昼行性のクモであるために夜行性のクモよりも目が発達しています。


 
                                               今日のことば

 人間は一生、人間の愛憎の中で苦しまねばならぬものです。この俗世間を愛惜し、愁殺し、一生
そこに没頭してみて下さい。神はそのような人間の姿を一番愛しています。
「竹青」(太宰治)より

2012.12.02

ヤツデの花  トゲハネバエ

 

 2012.12.02  Sunday

 校舎の裏の林の中でヤツデの花が咲き始めました。12月に入ると花の数はめっきり少なくなりますので、冬に活動する生物にとっては、ヤツデの花の花粉や蜜は貴重な栄養源となります。
写真に小さく写っている昆虫は双翅目の昆虫で、専門家の方に同定を依頼したところ、まだ標本や文献の整理の進んでいないトゲハネバエ科の仲間であることがわかりました。「複眼沿いの剛毛が1本で肩瘤に剛毛が無いのでSuillia属の可能性が高い」との推測でした。


 
今日のことば

 集会の翌週、外来でお会いした患者さんが、ニューヨークタイムズ紙のある連載を紹介してくださった。彼と同じ病気を患う記者によるエッセイである。『精神の恢復を待ちつつ家で憂慮する日々』と題した十月二十日付の紙上には、病に対処しようとする作者の心の内が認められていた。
「憂慮は私の友である」。「スターバックスでの気ぜわしい一時間の会話はもう沢山だ」。
「この期間を通して意識的、無意識的に、私は自分の生活を単純化させてきた」。
「私は自分の所有物に所有されるのではなく、それらを切り捨てることに深い喜びを覚えるようになった。私は取りつかれたように古いEメールのメッセージを排除していった。まるでそれらががん細胞であるかのように」。引き込まれるように一文、一文を読みながら、先の集会の一室でスピリチュアリティの話を伺ったことを思い出した。(中略)
あらゆるメディアに人の目を引く文字が氾濫する昨今、虚飾のない言葉に触れることは稀になった。
めまぐるしい日常から一歩身を引いた時、そうした言葉が私たちの中にすっと入ってくる。
一番星の光が強まってきた。森の音、川の音が上流より聞こえる。バーモントは冬に入った。
川辺の木々は何に抗うことなく葉を落とし続ける。大地が雪や氷に覆われるまで、その営みは続く。
虚飾のない言葉は、自然の営みに似ている。語り手の心を離れた言の葉は、読み手の心の中を降り、そっと積もっていく。そしていつしか土になるだろう。読み手に何ができるわけでもない。それでも自然の中にいるように、心から舞ってきた言葉には、静かに心を開いていたいと思う。

                          「アメリカ便り」(森雅紀)より

2012.12.01

カラスウリ  名随筆「からすうり」(宮柊二)

 

2012.12.01 Saturday

「共生の森」でカラスウリの写真を撮りました。カラスウリは夜間に絹糸のレース編みのような花を咲かせることで知られています。その花の受粉を夜行性であるスズメガ科の蛾などが助け、やがて写真のような実に姿を変えていきます。
今日の「今日のことば」では、歌人の宮柊二の名随筆「からすうり」を紹介します。
 

学校法人聖心女子学院のFacebookで「共生の森」を紹介しました。
http://www.facebook.com/SeishinNetwork
 


今日のことば

 私は毎朝早く家を出て勤務にむかうが、家を出て竹藪沿いに舗道に出るまでのあひだ小径約200メートル、小径のおしまいの30メートルほどを没し隠して草叢があり、草叢の右側は人の邸の石塀、石塀のなか側に杉の木が立っており杉の木の幹に攀縁している烏瓜(からすうり)が見える。
烏瓜はそこにのみあるわけではないが、その杉の木に攀縁している烏瓜は特に美しい。何故なら私が其処をとほるときは一日の時刻の早いころでまだ浄い静かな朝日が一杯に当っており、その中で烏瓜の紅熟した果がそれこそ光っているのである。そんなとき、ふっと憶うことがある。
語っていいのかどうか少し臆するが、実は私は只今の家を移らなくてはならぬことになっている。
人の言葉のままに住居を移さなくてはならぬ寂しさに、自分の家を持ちたい欲望にかられ、夏ごろから駆け廻って、或る一戸を漸く捜し得た。しかし、殆ど約束が決まったとおもった瞬間に崩れてしまった。理由は他にもあるが強いて言へばもうすこし金を用意してあったらと思われる節もあった。
この話を或る友人にある席で案じられて問われるままに話したら、翌日電話がかかってきた。
その足らない十何万円は用立てるからその家を手に入れたらいい、その十何万円は使途あって用意して置いたのだが提供するから遠くに去らないでくれ、という言葉だった。その家は、友人と只今の私の家の中間にあった。しかし、事は済んでしまって再び元に還らないまま私の妻は友人の家へお礼の言葉のみを述べにおとづれた。そして帰ってきて告げるに「帰りの道に烏瓜が一杯なっていて、美しくて」とあった。友人の言葉のかなしさに、妻は烏瓜を見る自分の心を育くんだのだろうか。
烏瓜は一名「たまづさ」と言う。歌の上で枕詞「たまづさの」は「妹」につづくが、これはからすうりのこの麗しいところから出ているのだという一説がある。燦々として赤くかがやく烏瓜を朝光の中に見ると、私は以上の一挿話を憶い出すのである。

 道の辺に生ふる烏瓜又の名を玉づさといふと聞けばゆかしく  子規

                                      

                                   宮柊二

2012.11.30

イロハモミジ  不二聖心の紅葉の由来

 2012.11.29 Thursday

 不二聖心の紅葉も、ようやく盛りを迎えました。不二聖心には、かつて関西の財界人として名を馳せた岩下清周氏が裾野に移り住んでのち関西の紅葉を懐かしんで京都から取り寄せたイロハモミジがたくさん生えています。
   不二聖心の前身である温情舎小学校を創立した岩下清周氏については、星新一の 『明治の人物誌』(新潮文庫)や小島直記の『日本策士伝―資本主義をつくった男たちー』(中公文庫)で詳しく知ることができます。
以下のURLをクリックすると、中島久満吉の『岩下清周伝』の一部を読むことができます。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/kansai/iwasita.htm

 
 

                              今日のことば

 ヒトは、あまりに大きな危険に直面したときは、むしろ危機意識が薄れて、恐怖心がまひしてしまう。
そのような心理状態に陥ると、危機を回避するための適切な行動がとれない。さらにそれが高じると、
自殺行為ともいえるような行動をとることもあるという。
地球環境の危機がこれほど深まり、科学的にもその実態が明らかになっているにもかかわらず、いまだ
その解決を最重要課題にすることができていない人類は、集団的にこのまひ状態に陥っているともいえる。
昨今、地球温暖化や外来種問題に関して、必ずしも十分な専門的知識をもたない「専門家」の危機の否定
・軽視の発言がもてはやされる傾向がある。人々がそれらに同調しがちなのは、まひした心に、それらが
気持ちよく響くからだろう。だれもが、自分や子どもや孫たちの未来に大きな危機が待ち受けているとは、
考えたくはない。
しかし、「甘い現状肯定論」に弱い自らの心の特性を自覚し、厳しい現状から目をそらさないことが、
危機を克服し、持続可能性を確保するためには、何にも増して重要である。

                                  鷲谷いづみ