フィールド日記
2012.12.18
幻の紅茶「ただにしき」と多田元吉
2012.12.18 Tuesday
12月16日の朝日新聞に「育て国産紅茶の芽 カフェに登場 上品な味わい」という記事が載りました。記事の冒頭は以下のようになっています。
各地で紅茶を作る取り組みが広がっている。老舗和菓子店のカフェでは国産紅茶をメニューに加え、茶どころ静岡県では生産技術を学ぶ施設がオープンした。「地紅茶」「和紅茶」とも呼ばれる国産紅茶。緑茶の消費量が減る中で茶生産者の関心も高まるが、定着には話題性だけでなく、際だった個性が必要とも指摘されている。
不二聖心の茶畑にも紅茶の木がたくさんありますが、不二聖心の紅茶は個性の面で十分に際立っているということができます。不二農園の紅茶用の品種「ただにしき」は日本でここだけでしか栽培されていないと言われる「幻の紅茶」だからです。「ただにしき」の「ただ」はこの品種をインドから持ち帰った多田元吉に由来しています。
『日本人の足跡(三)』(産経新聞社)という本の中に茶業近代化の功労者として、その多田元吉が紹介されています。多田元吉の章は全編興味深い記述にあふれていますが、とりわけ印象に残ったのは「明治維新と世界の茶業」と題された短いコラムでした。そこには「茶は絹とともに、明治日本が世界の列強と伍していくための二大産品だった。いや、実情は絹と茶しかなかった。」とあって、輸出品としての紅茶の研究が明治初期から盛んであったことが書かれています。
明治政府の期待を担った多田元吉は、日本の茶業の近代化のためにインドに派遣されて多くのことを学び、いくつかの品種を日本に持ち帰ります。多田の功績によって紅茶は大量生産されるようになり、最盛期は年間8000トンも輸出されるようになっていきました。しかし、輸入自由化によって日本の紅茶産業は決定的な打撃を受け、多田によって持ち帰られた紅茶用の品種も茶畑から姿を消していきました。それらは「幻の」と形容されるまでに数を減らしましたが、その「幻の紅茶ただしにき」が不二聖心に残っているのです。希少な「ただにしき」が不二聖心の茶畑にあることが6年ほど前に確認されて生産が始まり、和紅茶のブームの影響もあって多くの人に愛飲されるようになりました。今では年間、約400キロを生産しています。
不二聖心のホームページからも「ただにしき」を購入することができます。(銘柄一覧の中で「聖心の紅茶」として紹介されているのが「ただにしき」です。)
不二農園のホームページのURL
http://www.seishin-fujinouen.jp/
秋に咲き始めた「ただにしき」の花は、今日も不二聖心のお茶畑で寒さに耐えつつ咲き続けていました。
今日のことば
人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、
瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な
時の単位だ、ということだった。
長田弘
2012.12.17
オキザリス・セルヌア
2012.12.17 Monday
保護者の方々の協力のおかげで、図書館周辺では四季を通じて美しい花々を鑑賞することができます。今見られる花の一つにオキザリス・セルヌアがあります。オキザリスにはいろいろな種類がありますが、オキザリス・セルヌアの特徴は花弁の黄色と葉上の黒い斑点です。
オキザリスの花言葉は「輝く心」ですが、花自体が実に美しい輝きをはなっています。
今日のことば
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことは言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
吉野弘
2012.12.16
アメリカでマークになったツルウメモドキ
2012.12.16 Sunday
今日は久しぶりに温かい一日となり、不二聖心では日中気温が16度まで上がりました。
高校3年生の教室の横の坂道では、冬の陽射しを受けてたくさんのツルウメモドキの実が輝いていました。
日本のツルウメモドキはアメリカ東部で外来種の扱いを受けており、なんとニューイングランドでは外来種をまとめたウェブ・サイトのマークにまで使用されています。マークをご覧になりたい方は下記のURLをクリックしてみてください。
今日のことば
普通選挙で全国到る所騒擾を極む。自分も選挙権を与えられて如何にして之を使用せんかとて苦心する。清き一票は有るも之を与ふべき清き政治家は無い、故に棄権する。悧巧者は箒で掃く程ある、然れども人物は一人も無い、故に名誉の棄権と肚を決めた。これが今日の純なる日本人の声である。大いに考えさせられる。
内村鑑三の日記(1928.2.16)より
2012.12.15
新種候補のアブラムシの卵の色が変わりました
2012.12.15 Saturday
12月12日の「不二聖心のフィールド日記」で、新種候補となっているムラサキシキブアブラムシ(新称)とその卵を紹介しました。それ以後も卵の観察を続けたところ、卵の色が黄色から黒色に変化しました。命がつまった卵は常に成長を続けており、わずか1ミリの卵の変化からも時間の経過を感じ取ることができます。
下記のURLをクリックすると卵の色が変化したことがよくわかります。
フィールド日記 2012.12.12 ムラサキシキブアブラムシ(新称)
今日のことば
小生まだ丈夫で働いています。明日は十二年間世話をしてやった姪を嫁にやります。自分の娘は天国に送りて他人の娘を結婚させる。是が人生であります。しかしどうでもよいのです。
神を知るための人生であります。万事が善き学課であります。
内村鑑三の手紙(1928.11.7)より
2012.12.14
テイカカズラと藤原定家の愛
2012.12.14 Friday
テイカカズラの種がヤブムラサキの枝にひっかかっていました。テイカカズラは木にからまって伸びる蔓性の植物で種には白い冠毛がついています。写真に写っている種も冠毛の浮力でここまで飛んできたものと思われます。
藤原定家が、愛する式子内親王のことが死後も忘れられず、蔓性の植物となって内親王の墓に絡みついたという伝説があります。その植物がテイカカズラ(定家蔓)です。不二聖心では自生しているテイカカズラをたくさん目にすることができ、林道を歩けば必ず種を拾うことができます。
伝説を意識して見ると、美しい白い冠毛はまるで定家の思いの化身のように感じられます。
今日のことば
久し振りにてウードワード著『軟体動物学摘要』を開いて見て面白かった。博物学研究は平均せる
判断力を養成する為に最も必要である。単に蝸牛やなめくじについて知るばかりではない、之を知る
の途がまた宇宙の真理を探るの途として非常に貴いのである。
内村鑑三の日記(1924.1.22)より
2012.12.13
冬の到来を告げるニトベエダシャク
2012.12.13 Wednesday
今朝、7時30分の不二聖心の気温は-1度でした。いよいよ冬本番の感じがします。
昨日、ニトベエダシャクの写真を撮りましたが、これは冬の到来を告げる蛾で、寒い季節になると発生します。
「ニトベエダシャク」の「ニトベ」は命名者の新渡戸稲雄から採られていています。新渡戸稲雄は新渡戸稲造の従兄弟で、青森県の県農事試験場で研究者として働いていた人物です。
今も行われているリンゴの袋かけの方法は、新渡戸稲雄の考案ですので、私たちが今の季節においしいリンゴが食べられるのは、写真の蛾の命名者のおかげと言えます。
新渡戸稲雄について、さらに詳しく知りたい方は、十和田市立新渡戸記念館のホームページをご覧ください。
http://www.towada.or.jp/nitobe/event/event2009.htm
今日のことば
幸運は誰に一番美しい棕櫚の枝を差しのべるだろうか。喜んで事をなし、またなした事を喜ぶ人に。
ゲーテ
2012.12.12
ムラサキシキブアブラムシ(新称)
2012.12.12 Wednesday
12月9日に第1牧草地の横の森でアブラムシとその卵と思われるものを採集しました。
これらを宇都宮大学の高橋滋先生に同定していただいたところ以下のような回答を得ました。
写真のアブラムシはまだ学名がない新種候補のAphis属のアブラムシです。和名はムラサキシキブアブラムシとしましょう。この和名を使用するときには新称との但し書きをつけてください。
多くの人が使えば、標準和名となります。
写真はアブラムシの卵です。産卵直後は黄色で時間経過とともに灰色を経て光沢のある黒色となります。卵の付近に見られるアブラムシは秋から冬に出現する産卵雌虫と呼ばれる卵を産む生活型です。春から夏に見られる生活型は胎生雌虫と呼ばれる子供を産む型です。
不二聖心の森で出会ったアブラムシに和名をつけていただき感激しました。
約1ミリの、肉眼では認識しづらいほどの卵ですが、それぞれがしっかりとした形を持ち光沢を放っていることに感動を覚えます。維管束痕に上手に卵を産み付ける工夫にも感心しました。
黄色い卵がどれくいの時間で黒く変化するのか、これからも観察を続けていきたいと思います。
今日のことば
よくみればなづな花咲く垣根かな
これは芭蕉の俳句だが、いままで何もないと思っていた垣根の下に、なずなの花が白々とつつましく咲いているのを発見して驚いている。ほんとうによく見れば、どこにでも真実なものはあり、美しいものはある。こういう発見をし、驚きをつぎつぎとしていくことによって、人間は、たえず自分をあたらしくし、新鮮にしていくことができるのである。
そうして、そういう人間は、人間をみる場合も、形式的にみたり、常識的にみたり、一般的にみたりしなくなる。いままで何もないと思った人のなかに美しいものをみたり、暖かいものをみつけ出したりするようになる。そしてそういうところから、ほかの人間を大切にしたり、ほかの人間と、しみじみと心を通い合わせたりすることもできるようになっていく。
そういうことからまた、自分自身をゆたかに成長させることができるようになっていく。
だから自然のなかにはいりこみ、自然と心を通い合わせ、自然から学ぶということは、人間性を回復するということでもある。日常のいそがしい生活のなかで、驚きをなくしたり、不遜になったり、あらあらしくなったりした人間が、自然の摂理から学んで、自分をよみがえらせたり、あたらしく自分を発見したりして、自分を人間的にしていくということでもある。
斎藤喜博
2012.12.11
マンリョウの赤い実
2012.12.11 Tuesday
第1牧草地から第2牧草地に向かう途中に生えているマンリョウの実の写真を撮りました。
週刊朝日百科の「植物の世界61号」にはマンリョウについての次のような記述があります。
花は前年に伸びた短枝の先端につくので、果実が赤く熟すと、濃い緑の葉を背景によく目立つ。
しかし果実がまずいためか、鳥はなかなかこの果実を食べてくれない。そのため、冬を越し、春になり、夏を迎えてもまだ赤い果実が残っていることがある。それだけ長い期間、果実を楽しむことができるが、動物散布を必要としながら半年以上も食べられるのを待っている植物も珍しい。
この果実を子どもたちは紙鉄砲の玉にしたり、雪でつくるウサギの目玉にして遊んだものである。
校内のあちこちに自生するマンリョウには、今の時期、ビニールの袋がかけられているものが目立ちます。これは、クリスマス・キャロルの午後のチャリティ・セールで販売する手作りリースの飾りにするために鳥から実を守っているのです。袋かけは例年の経験に基づいてなされていることでしょうから、不二聖心のマンリョウは一味違うのかもしれません。
今日のことば
人はかの樹木の地に生えている静けさをよく知っているであろうか。ことに時間を知らず年代を超越したような大きな古木の立っている姿の静けさを。自然界のもろもろの姿をおもう時、常に静けさを感ずる。なつかしい静寂を覚ゆる。中でも最も親しみ深いそれを感ずるのは樹木を見る時である。また森林を見かつおもう時である。樹木のもつ静けさには、何やら明るいところがある。
柔かさがある。あたたかさがある。森となるとややそこに冷たい影を落してくる。そして一層その静けさがふかまってくる。かすかにかすかに、もろもろの鳥の声が私の耳にひびいてくる。
若山牧水
2012.12.10
コガネグモ科のクモの卵のう 宣教師の見たクモ
2012.12.10 Monday
校舎の裏の道でヤブムラサキの葉についているコガネグモ科のクモの卵のうを見つけました。
いつ見ても不思議な形をしていると思います。12月9日に読売新聞に載った「まちかど四季散歩(菅野徹)」というエッセイの中に、ポルトガル人宣教師がコガネグモ科のクモについて「日葡辞書」に記していると書かれていました。宣教師の幅広い観察眼に驚きますが、さすがの宣教師もコガネグモ科のクモの卵のうがこのような形をしているとは思いもしなかったことでしょう。
今日のことば
この辞書(「日葡辞書」)は、徳川家康が江戸幕府を開いた1603年、長崎でポルトガル人宣教師によって刊行された。当時の自然や風俗も窺える貴重な辞書であり、筆者は邦訳版を常に手もとに置いている。(中略)
日葡辞書には、ジョロウグモも、黄色いしまのある大きなクモとして登場する。ジョロウグモは、体長2~3センチ。本州以南や中国などに分布する。もっとも、九州などでは、もっと太めのコガネグモをジョロウグモと呼ぶから、ポルトガル人宣教師が見たのはコガネグモだったかもしれない。
写真のジョロウグモは1日の夜、破れた網だけ残して生命を終えた。しかし、中には、横浜で年明けまで生き続ける個体もある。地面に対し垂直となるように網を張るこの種類のクモは、普段は頭を下にして餌が掛かるのを待っている。
上臈グモとも女郎グモとも書かれるが、今の日本では、身分の高い女性をさす「上臈」も、遊女をさす「女郎」もなじみのない言葉だろう。むろん400年前のポルトガル宣教師の知らぬことだが。
「まちかど四季散歩」(菅野徹)より
2012.12.09
ヤブムラサキの黄葉
2012.12.09 Sunday
今日は、秋に高校1年生が間伐体験学習を行った森の中に久しぶりに入ってみました。
森の外は強風が吹き荒れていましたが、森の中は静けさが保たれていました。ムラサキシキブハケタマムシ
という貴重な虫こぶが発生しているヤブムラサキの葉の落葉を確認しました。いよいよ羽化に向けて最終段階
に入ることになります。そのヤブムラサキの黄葉の写真を撮りました。光の届きにくい環境に生息することが
多いヤブムラサキは枝葉を上手に広げることで効率よく光を吸収しています。
今日のことば
ありのままの人間は決して実在のかたちに触れることはできない。人間的努力の極限、それのみが揺るがない
形に我々を触れさせる。
森有正