フィールド日記
2012.10.25
ササキリのメス ツマグロヒョウモンの幼虫 ヒノキ林のお茶の花
2012.10.25 Thursday
第2牧草地の鳴く虫の声はすっかり小さくなりました。しかし虫たちが姿を消したわけではありません。
今朝もエンマコオロギやササキリを目にしました。エンマコオロギは脚を2本失ってしまっています。
夏を生き抜いてきた証と言えるでしょう。
写真に写っているエンマコオロギとササキリは産卵管がはっきりと確認できます。
メスは鳴くことはありません。
蕎麦畑の脇をツマグロヒョウモンの幼虫が移動していました。もともと南の地方に生息する
ツマグロヒョウモンにとって、ここ数日の朝の寒さはさぞ身にしみることと思います。
第2牧草地の近くのヒノキ林の中でお茶の花が咲いていました。不二聖心の20万坪の土地は
さまざまな土地利用の変遷を経て今日を迎えています。ヒノキ林の一角もかつては茶畑だった
のかもしれません。
今日のことば
建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から
敗北者である。それに反して、何人であれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、
すでに勝利者なのである。
サン・テグジュペリ
2012.10.24
雪化粧した富士山 芙蓉の花とフタトガリコヤガの幼虫
2012.10.24 Wednesday
昨日に比べて今朝は気温がかなり下がりました。富士山も雪化粧です。
「共生の森」に一つだけ芙蓉の花が咲いていました。この写真に蛾の幼虫が写っているのがわかる
でしょうか。
フタトガリコヤガの幼虫です。フタトガリコヤガは、芙蓉の仲間のオクラの害虫としても知られています。
芙蓉の葉を食べ尽くしたところで、何とか成長をし終えることができました。葉を食べ尽くされた芙蓉も
何とか花を咲かせることができました。両者の間に絶妙のバランスを感じます。
今日のことば
You are called to do something beautiful for God with your lives.
Sr.Helen McLaughlin
2012.10.23
雨風をしのぐチョウセンカマキリ フタオビオオハナノミ
2012.10.23 Tuesday
雨の一日となり、予定されていた、秋のつどい(文化祭)に向けてのテントの移動もできませんでした。
朝は南風が強く吹いていましたが、校舎の裏の北側の壁について、暴風をしのいでいるチョウセンカマキリ
の姿が見られました。
10月14日に牧草地で撮影した昆虫について、専門家の方に同定の依頼をしていましたが、その結果が
届き、フタオビオオハナノミであることがわかりました。不二聖心初記録となります。フタオビオオハナ
ノミはジガバチに寄生することで知られるようですが、牧草地は確かにジガバチの多く見られるところです。フタオビオオハナノミは京都府で絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。
今日のことば
人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、
ものを考えるばねになる。
司馬遼太郎
2012.10.22
今朝の「共生の森」 ヒキオコシ アザミとカマキリ
2012.10.22 Monday
今朝の「共生の森」の様子です。
すすき野原のヒキオコシ(シソ科の多年草)はまだ花を咲かせ続けていますが、その葉は、長い間、
強い陽射しにさらされて、だいぶ変色していました。シソ科の葉は必ず対生で鋸歯があります。
4枚目の写真は「共生の森」の赤紫蘇の葉です。
アザミの中には花の時期を終えたものも目立ち始めました。そんなアザミの一つにカマキリが
来ていました。花の盛りの記憶が消えないのでしょうか。カマキリは獲物をじっと待ち続けていました。
今日のことば
じっくり生きてみたくて、人生の本質をなす事にだけ目を向け、その教えを学び取れないものか
どうか確かめたくて、ぼくは森へ行ったのだ。いざ死ぬ時になって、本当は生きてなどいなかった、
という思いをしたくなかった。
『森の生活』(ソロー)より
2012.10.21
ナンバンギセル 鹿の糞を運ぶオオセンチコガネ
2012.10.21 Sunday
「共生の森」でナンバンギセルがまだ咲いていました。植物の観察は、いつ咲き始めたかという点と
ともにいつまで咲いていたかという点も重要なポイントになります。
昆虫についてもいつまで見られたかということは大切な観察のポイントになりますが、今日は
「共生の森」で糞虫のオオセンチコガネが2匹一緒に飛んでいるのを目にし、そのあとで鹿の糞を
運ぶ様子も観察しました。甲虫が徐々に姿を消していく中でオオセンチコガネはまだまだ元気に活
動を続けています。糞を運ぶのを見ていて、まるでファーブルの世界にいるような気分になりました。
オオセンチコガネは地域によって、さまざまな色彩変異が見られますが、不二聖心で見られるオオセ
ンチコガネはほぼすべて赤紫色をしています。
今日のことば
所 謂『文明』を嫌ったヘルン(ラフカディオ・ハーン)は、反対にあらゆる自然を深く愛した。特に
虫や鳥やの小動物を愛し、蛇、蛙、蝉、蜘蛛、蜻蛉、蝶などが好きであった。それらの小動物に対して、
彼はいつも『あなた』という言葉で呼びかけ、人間と話すようにして話をした。そうした彼の宇宙的博
愛主義は、草木万有の中に霊性が有ると信じられているところの、仏教的な汎神論にもとづいて居た。
それ故彼は、動物を始め植物に至るまで、すべて生物を虐めたり殺したりすることを非常に叱った。
女中が蛇を追ったといって叱られ、植木屋が筍を抜いたといって怒られ、はては『おババさま』の姑で
さえが、枯れた朝顔をぬいたというので『おババさま好き人です。しかし朝顔に気の毒しました』と叱言
を言われた。
「小泉八雲の家庭生活」(萩原朔太郎)より
2012.10.20
モリオカメコオロギの2種類の鳴き声
2012.10.20 Saturday
「共生の森」でモリオカメコオロギを見つけました。同定のために採集し鳴き声を記録してみたところ、
モリオカメコオロギはさまざまに鳴き分けることがわかりました。たくさんの鳴き声から2種の鳴き声を
紹介します。
今日のことば
夜の歌い手である蟋蟀(こおろぎ)には、多くの種類がある。蟋蟀という名前は、「キリキリキリキリ、
コロコロコロコロ、ギイイイイイ」という鳴き声から由来している。その変種の中にエビ蟋蟀というのが
いるが、これはまったく鳴かない。しかし、馬蟋蟀、鬼蟋蟀、閻魔蟋蟀はいずれもみな、立派な音楽家で
ある。色はこげ茶か黒で、この歌の上手な蟋蟀たちの翅には、変わった波形模様がついている。
蟋蟀に関する興味深い事実は、八世紀の中頃に編纂された日本最古の『万葉集』という歌集に、この虫の
名が出ていることである。次の歌は、優に一千年以上も昔の読み人知らずによる作である。
庭草に村雨ふりてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり
(にわか雨が、庭草に降り注いだ。こおろぎの鳴く声を聞けば、秋がやって来たこと が知れることだ)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
2012.10.19
メナモミとアブラムシ 襲われた子ウサギ
2012.10.19 Friday
牧草地にメナモミの花が咲いています。メナモミは、筒状花が舌状花に包まれるキク科独特の構造
をしています。メナモミの総苞片にはたくさんの柄のついた腺がありますが、写真のメナモミの総苞
片にはアブラムシがついていました。粘り気のある腺の上をどのようにして移動しているのか、
不思議に思います。
今朝、牧草地で既に息絶えた子ウサギを見つけました。猛禽類に襲われた可能性が高いと
思われます。見るのがつらい姿でしたが、これもまた自然界の一つの姿です。
今日のことば
私の住む大牟田から車で一時間ほどいった八女郡上陽町では、ムササビが植林を食い荒らす害獣として
銃で撃たれている。殺したムササビは利用価値が少ないからなのかどうかわからないが、教材として欲
しいというと何頭でもゆずってもらえた。剥製標本や頭骨標本づくりとあわせて中学校で解剖実習をや
ってみた。解剖がすすむにつれて体中のいたる所から散弾の小さな鉛がでてきた。筋肉にくいこみ、内
臓をえぐり、胃を砕いていた。解剖をしていた生徒は、「思わず目をつむりたくなりました」と解剖後
の感想文に書いている。そして、さらに次のように書いている。「杉の新芽を食べるから殺したという
ことですが、これは絶対にまちがっている。人間が山を開いて木を切るから、ムササビの食べ物がなく
なるので、しかたなしに杉の新芽を食べるのだと思う。ムササビにしてみれば、エサも住み家もなくなり、
そのうえ、殺されるなど、こんな迷惑な話があるものか。(中略)農家の人になってみなければ、作物を
荒らされ怒りなどはわかりませんが、やはり、すべての人が動物の身となって一度考え、『真の開発』
とは何かを、口先だけでなく、本気で考えてみる必要があると思います。このままでは、丸裸の、汚れて
冷えきった地球になるのはわかりきっていることですから」。
生きもの教育のなかでは、子どもたちにやさしい心を育てることを忘れてはならない。生きものは「もの」
ではあるが、ただの「もの」ではない。やはり生きものである。麻酔をせずに生体解剖をしたり、大人の
研究者が交通事故の研究のためにとしてサルをつかった生体実験をしていたという話を聞くにつけ、生き
もの教育のゆがみの深刻さをあらためて考えさせられる。
植物は身のまわりにどれだけでもある。子どもに家の庭の草とりをやらせれば、それだけで植物のよい勉強
になる。草のしぶとさがわかり、季節による草の種類の変化にも自然に気づく。
教育は時間のかかる営みである。焦ってはならない。非能率的にみえるかもしれないが、具体的な地域の
自然のなかで生(なま)の生きものたちにふれることによって、子どもたちの生物観は大きく豊かになっ
ていく。そのような機会を子どもたちにつくってやるのは大人の責務である。教師はトラの巻指導案を見
て授業をするのではなく、生きものを通して子どもたちにむきあうことが重要だ。
尾形健二(『生きものを教える 九州生物学研究グループ』(農文協・1987)より)
2012.10.18
ホバリングをしながら交尾をするアタマアブ
2012.10.18 Thursday
牧草地でアタマアブがヘリコプターのようにホバリングをしながら交尾をしている様子を観察
しました。アタマアブは頭が大きく、しかも頭の大半を複眼が占めているという特徴的な形態を
持った双翅目の昆虫です。アタマアブの仲間は日本に100種以上いますが、これだけ種の同定が
進んでいる理由は、稲の害虫に寄生する益虫としてアタマアブが注目されているからだと思われます。
今日のことば
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証しだ。
マハトマ・ガンジー
2012.10.17
鳥の羽根 鳥の巣 マツムシの声
2012.10.17 Wednesday
理科の平本政隆教諭が鳥の羽根と鳥の巣を校内で発見しました。羽根と巣の画像を専門家の方に見て
いただいたところ、以下のような回答を得ました。
画像のみでの同定では私はあまり自信がございませんが、羽の方はトビの次列風切、巣の方はつくりの
粗さからヒヨドリまたはオナガなどではないかと思います。巣の大きさが分かりませんので、もう少し
大きなものでしたらまた使用者が異なるかもしれません。
羽は、平面に置いた時に横から見てカーブしていましたら風切羽(飛ぶための羽)、ペタンと平行にな
る羽は尾羽(バランスをとるための羽)です(ただし体羽は除きます)。画像を拝見しますとこの尾羽
の方の印象も受けます。もしそうだとしたら、トビの尾羽にしては暗食味が強く、バンドの入り方も異
なりますので、また他の選択肢かもしれません。
画像のみでこれだけの推測ができる、専門家の方の同定力に驚きました。学ぶということは、物事の
うしろ側に隠れているものまで見えるようになることだと改めて思いました。
マツムシの声を裏の駐車場で録音しました。マツムシの声が聞ける地域はどんどん少なくなっている
と聞きます。この秋の虫の美しい声を聴くと、私たちはこの声を失って、代わりに何を得たのだろうと
いう思いになります。
今日のことば
人はいつも、それぞれの光を捜し求める、長い旅の途上なのだ。
星野道夫
2012.10.16
中学1年生の秋の自然観察 フヨウの実 お茶の花
2012.10.16 Tuesday
中学1年生が理科の授業で小野加代子教諭の指導のもと、校内の秋の自然を観察しました。
1枚目の写真は、中学校校舎の中庭近くでナンテンを観察する生徒の様子です。「ナンテン」は
「難を転ずる」に通じ、建物の近くによく植えられます。紅葉の美しい植物ですが、葉の色づき
始めている様子が写真からもわかります。
2枚目の写真はフヨウの種子を観察する生徒の様子です。初秋の不二を彩ったピンクの美しい花
もあっという間に結実してしまいました。
フヨウの花の近くにはお茶畑が広がっていますが、今の季節はたくさんのお茶の花を目にする
ことができます。
今日のことば
高校3年生の短歌
秋空は近いとばかりに手を伸ばす赤子の瞳も分かっているのか
気がつけば道別れるまであと少し時間よ止まれと寒空見上げる
ゼイゼイと苦しみながらこなしてく2回続いた反復横跳び
楽な方選ぶの簡単それでもね努力してこそ価値が生まれる
早朝の冷たい空気と夕焼けにようやく実感秋の訪れ
秋風が遠い記憶を呼びさます金木犀の香りを運ぶ
もう足りない一日一人と話しても卒業までのカウントダウン
先日の体力テストはりきって悲鳴をあげる私の筋肉
帰り道夕暮れ時に香り立つ金木犀の黄色い小花
山中氏ips細胞でノーベル賞 先端医療に期待広がる