フィールド日記
2012.03.17
オオイヌノフグリ
2012.03.17 Saturday
裏の駐車場の縁にたくさんのオオイヌノフグリが咲いています。オオイヌノフグリの学名は、Veronica persicaと言いますが、Veronicaは聖書に登場するヴェロニカという女性の名前からとられています。その由来について述べた稲垣栄洋さんの文章を次に引用します。
春を彩る可憐な花と聖書の登場人物との思わぬつながりに目を向けてみてください。
オオイヌノフグリの学名は「ベロニカ」という。重い十字架を背負って刑場に向かうキリストの顔の汗を拭いてあげた女性のハンカチに、キリストの顔が浮かび上がるという奇跡が起きた。この女性の名がベロニカである。オオイヌノフグリの美しい花をよく見ると、花のなかにキリストらしい人の顔が浮かび上がっている。これがベロニカと呼ばれるゆえんである。
なんと高貴な名なのだろう。
花に浮かび上がったこのキリストの顔は、実はハチやアブを呼び寄せるための模様である。
四枚の花びらには中央へ向かって蜜のありかを示すガイドラインが引かれている。まさに迷えるハチたちを導いているのである。
『身近な雑草のゆかいな生き方』より
今日のことば
何もかも失った人に
みんなから見捨てられた人に
あなたの痛みにつながりたいと
そっと差し出す一本の手を贈ろう
その手を握ってくれた
あなたそのものが
わたしへの最高の贈りものだから
その瞳の奥で
目には見えないはずの贈りものさえ
一瞬ゆらめくから
晴佐久昌英
2012.03.16
キジムシロの奇形
2012.03.16 Friday
今年もキジムシロの写真を撮りました。バラ科キジムシロ属の植物のほとんどは花弁が5枚です。キジムシロも例外ではありません。ところが昨年の3月に撮影した2枚目の写真の場合、花弁が6枚になっています。これはキジムシロの奇形ですが、もしこの株から出ている花がすべて花弁6枚ということになると、キジムシロの変種ということになります。
この1週間、駐車場の奥の雑木林では、次々にキジムシロが咲き始めました。この春もキジムシロの変種を探してみようと思います。
今日のことば
成功した人びとは、失敗した人びとがやりたがらないことをやる。
E・М・グレイ
2012.03.15
ヒメリュウキンカ
2012.03.15 Thursday
春になると不二聖心の正門はヒメリュウキンカの花に彩られます。そこにはホソヒラタアブなどの虫もやってきて多くの命が活発に動き始めたことを感じさせます。以前、札幌聖心女子学院のシスターからエゾノリュウキンカの絵葉書をいただいたことがありました。今ごろ札幌もリュウキンカの花で彩られているのでしょうか。いつか姉妹校の校内の植物を比較してみるのも面白いかもしれません。
今日のことば
空のようにきれいになれるものなら
花のようにしずかになれるものなら
価値なきものとして
これも捨てようあれも捨てよう
八木重吉
2012.03.14
馬酔木
2012.03.14 Wednesday
職員室の横の庭で、馬酔木の花がしばらく前から咲き始めています。これは園芸種の馬酔木で、こちらの方が毎年早く花をつけます。これは不二聖心に限ったことではなく、裾野市より標高の高い御殿場のような地域でも園芸種の馬酔木は既に開花しています。
馬酔木は万葉の時代から日本で見られた植物ですが、なぜこの花を食べると馬が酔うのかという点について、『折節の花』(栗田子郎)という本に前川文夫の興味深い説が紹介されています。その説によると、4世紀に東北アジアから日本列島にもたらされた馬は大陸にはアセビが分布しないためにその有毒性を知らず、これを食べてしまった馬が中毒症状を起こしたのだろうということです。
馬が日本にいなかった時代から馬酔木は日本の春を彩り続けてきたということです。
今日のことば
学んだことのたった一つの証は、変わることである。 林竹二
2012.03.13
ヒメクモバチの巣
2012.03.13 Tuesday
すすき野原の木の根につくられたヒメクモバチの巣を見つけました。すでにハチは巣立ったあとでしたが、巣の中には、ハチの親が子に与えたクモの死骸が残っていました。親は子にクモを与える時、脚をすべてとってしまいます。脚をとると血が流れますが、ハチが傷口をなめると血は止まるそうです。ハチの唾液に止血作用があるというのです。驚異の世界としか言いようがありません。
今日のことば
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。
須賀敦子
2012.03.12
ジャゴケの雌器托 ノミハニワゴケの蒴
2012.03.12 Monday
今朝は7時35分にキツツキのドラミングの音を確認しました。リズミカルな音が春の空に響き渡り、それに呼応するかのようにシジュウカラが鳴き交わしていました。春の朝の平和なひとときでした。
講堂の裏に生えているジャゴケの雌器托が柄を伸ばしていました。ジャゴケの雌器托は早春に柄を伸ばすことで知られています。
裏の駐車場で見つけたノミハニワゴケにも蒴がしっかりとついていました。これも早春の風景です。2月25日のフィールド日記で紹介したノミハニワゴケと比較するとその成長ぶりがわかります。
コケたちもまた静かに春を告げています。
今日のことば
ひとりでいられるという能力は、愛する能力を持つことへの条件である。
エーリッヒ・フロム
2012.03.11
河津桜 メジロ
2012.03.11 Sunday
東日本大震災から一年の今日、新聞各紙はさまざまな震災関連の記事を載せていました。
その中で朝日新聞の天声人語が心に残りました。その後半を引用してみましょう。
被災地ばかりでなく日本全体にとって、「3・11以前」はもはや戻れぬ対岸になってしまった。振り向けば橋は消えて、隔てる川の流れは深い。だれもが心細い肩を寄せ合いながら、「絆」という焚火に心の手をかざしてきた1年だったように思う。
その「絆」の文字も過剰な使用に摩耗気味だ。井上ひさしさんが健在なら「つるつる言葉」と呼ぶかもしれない。便利に使われすぎて意味も実体もすり減ってしまう言葉を、そう称していた。
スローガンで何が片づくわけでもない。だが私たちの社会がこれほど他者を思ったのも、史上まれなことではなかったか。ともに悲しみ、「絆」の一語に魂を入れ直す日としたい。
同じ朝日新聞の書評欄では、震災を論じる言葉の貧困の問題が取り上げられていました。
この1年は、私たちの語る「ことば」が改めて問われた1年であったように思います。
さて、不二聖心は、校内のあちらこちらで春の花々を楽しめる季節を迎えています。プールの近くの河津桜も徐々に花が開き今は三分咲き程度になっています。河津桜は、1955年に静岡県賀茂郡河津町田中で飯田勝美氏が偶然発見した原木がその後、新種であると認められ、河津桜と命名されたものです。不二聖心でも毎年、美しい花を咲かせ春の訪れを告げています。今日はメジロが来て花の蜜を吸っていました。3枚目の写真には、小さくですが、目の回りが白いメジロの姿が写っています。
今日のことば
そうだ うれしいんだ
いきる よろこび
たとえ むねのきずがいたんでも
なんのために うまれて
なにをして いきるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!
いまをいきる ことで
あつい こころ もえる
だから きみは いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
いきる よろこび
たとえ むねのきずがいたんでも
やなせたかし
2012.03.10
ネコノメソウ
2012.03.10 Saturday
朝のNHKのニュースでクチバシカジカの話題をとりあげていました。南三陸町に生息するクチバシカジカは震災以後、全く見られなくなっていましたが、先日ようやくその姿が確認され、復興のシンボルとされるようになったということでした。生き物の健気に生きる姿は不思議と人に生きる力を与えます。
今朝は東京で雪が降り、裾野市も冷たい雨の朝となりましたが、その中でもタゴガエルの声は崖の穴の奥からはっきりと聞こえてきていました。穴の近くにはたくさんのネコノメソウが生えています。ネコノメソウは希少種で県によっては絶滅危惧種に指定しています。
貴重な動物の周囲には貴重な植物もまた多いということなのでしょう。
今日のことば
作家にはトリックも仕掛けも必要ではない。それどころか、作家になるには、とびっきり頭の切れる人間である必要もないのだ。たとえそれが阿呆のように見えるとしても、作家というものはときにはぼうっと立ちすくんで何かにーーそれは夕日かもしれないし、古靴かもしれないーー見とれることができるようでなくてはならないのだ。頭を空っぽにして、純粋な驚きに打たれて。
レイモンド・カーヴァー
2012.03.09
ミツバアケビ
2012.03.09 Friday
ミツバアケビの冬芽が、日々少しずつ姿を変えています。上の写真は冬芽の今の姿、下の写真は2月20日に撮影したものです。ミツバアケビは、春たけなわになると、濃い紫色のユニークな形の花を咲かせます。
アケビ科の植物については、前川文夫博士が実に興味深いことを『植物の進化を探る』
(岩波新書)の中に書いています。以下に引用してみましょう。
アケビ科は日本からヒマラヤ、さらに南にかけてかなりの種類があります。それからひどくはなれて南米チリの南部の辺にほんの少し二属二種が分布しています。この分布はこれまた不思議な分布です。なぜ太平洋の全く反対側に生えているのかという疑問を禁じえません。
前回の調査の折に、中部チリの山の中でこれに出会いました。まさにミツバアケビとムベのちょうど合の子のような形の葉が付いていて、それまで一度も生品はもちろん、標本さえ見たことがなかったのに一目見てすぐわかりました。ということは東アジアのアケビ科との間に非常に血が濃いということを膚で感じとったからでしょう。それがこんなふうに飛び離れて分布しているのは、やはりこれはかつて古い赤道にずっと沿って分布していたのだけれども、赤道の移動に伴ってだんだん条件が悪くなり、多くのところでは絶滅してしまい、結局ヒマラヤ、日本、南アジアの一地域とチリの局所とにだけ残されたのであるとみるよりほかには理解ができないのです。
この文章は、アケビ科の植物が大陸移動の生き証人であることを伝えています。一つの植物をじっくり見つめることは、時として地球の歴史に思いを馳せることにもつながるのです。
今日のことば
この一日一日を
大切に過ごしなさい
人生とは
この一日のことです
いのち、とは
この一日のことです
今まで沢山あるし
これからも沢山ある
と思って
何も考えず
ただ漫然と
同じことを繰り返しては
いけません
葉祥明
2012.03.08
タチツボスミレ
2012.03.08 Thursday
裏の駐車場から奥へと続く道では春の草花をたくさん目にすることができます。今朝は、今年初めてタチツボスミレの開花を確認しました。春になってこの花を目にすると、決まって夏目漱石の「菫ほどな小さき人に生まれたし」という句を思い出します。司馬遼太郎は「漱石の人と生涯と作品が、この一句でわかるような気がする」という意味の文章を書き残しました。
漱石はなぜ「小さき人に生まれたし」と思ったのか。司馬遼太郎はこの句のどこに漱石という人間の全体を見たのか。長い時間をかけて考え続けていく価値のある問いだと思います。
今日のことば
あなたの心のなかの未解決のものすべてに対して、忍耐強くなってください。たとえば錠のおりた部屋のように、あるいは外国語で書かれた書物のように、問いそのものを愛するように努めるのです。いますぐ答えを探さないでください。あなたはまだ答えをみずから生きていないのですから、いま、答えを与えられることはありません。すべてを経験することが大切なのです。今は、問いを生きる必要があります。そうすればいつの日か、徐々に、知らず知らず、答えを経験している自分に気づくことでしょう。
ライナー・マリア・リルケ