フィールド日記
2011.10.16
お茶畑の池周辺の生き物たち -- オタマジャクシ・キボシカミキリ・ポポー --
平成23年10月16日 日曜日
昨日の嵐が嘘のような気持のよい秋晴れとなりました。
お茶畑の池ではオタマジャクシがたくさん浮かんでいました。もう脚が生え始めています。
何ガエルのオタマジャクシか、調べてみようと思います。
池の縁に生えているイチジクの木にはキボシカミキリがいて、木の幹をかじっていました。
キボシカミキリはイチジクの木を食害するカミキリです。
不二聖心のキボシカミキリは何代にもわたってこの木で世代交代を繰り返しています。
池の近くのポポーの木は先日の台風で大きな被害を受けました。残り少ない実を理科の平本先生が
ネットで保護していたところ、先週ネットの中に実が落ちました。職員室で観察していたところ、
部屋中にポポーの香が広がりました。
今日のことば
まだ、今すぐみなさんにできることがあります。まず自分の意識レベルを上げるような勉強をして下さい。
いい芸術に触れることをお勧めします。特に優れた文学を読みよく考えて下さい。
あなたの周囲の人の意識レベルを上げるような会話をして下さい。
私の生涯の残り時間は少なくなりました。神経も若い頃のように活発には働きません。
これからますます悪くなるでしょう。私の人生の終わりに際して、これから地球に生きる生物に、
これから生まれて来るものたちに幸せに暮らしてほしいと祈らずにはいられません。
まして私たちが木を切り倒し、地面を砂漠化し、たくさんの高レベル放射性物質を残してこの世を去る
などということはとても悲しいことです。私は病気でほとんど寝たきりですので、
病床で本を書くことしかできません。元気な皆さん、どうか力を貸して下さい。
『いのちと環境』(柳澤桂子)より
2011.10.16
お茶の花・オオスズメバチ・オオヒメノカサ
平成23年10月15日 土曜日
しばらく前からお茶の花が咲き続けています。不二聖心の農園ではおそらく何十万という数のお茶の花が
咲くのだと思います。その一つ一つが何らかの生命を養っています。下の写真は朝7時過ぎに撮影しました。
まださすがに訪れる生き物は少なかったで すが、オオスズメバチだけは活発に活動していました。
中学2年生が本館と寄宿の間の中庭で見つけてくれたキノコを専門家に同定していただいたところ、
オオヒメノカサというキノコであることがわかりました。芝生に生えることが多い仲間だそうです。
カサの真ん中に裂け目ができて穴が開いたようになるのもオオヒメノカサの特徴です。
今日のことば
生きること「辛し辛し」という君に甘栗をむきそっと差し出す
柳澤桂子
2011.10.14
オオセンチコガネとムネアカセンチコガネ --不二聖心の糞虫たち--
平成23年10月14日 金曜日
高校3年生が、わざわざ職員室まで、つかまえたオオセンチコガネを持ってきてくれました。
姿の美しさにひかれたようでしたが、糞虫であると伝える と少々がっかりしたようすでした。確かに、
草食獣の糞を食べて生きる虫がなぜこんなにも美しい姿になるのか、不思議でなりません。
静岡高校出身の作家の三 木卓は「糞のような素材を用いてそこに燦然たる美が生み出されるというのは、
生が高度な秩序の創造というすばらしい営為であることをはっきりと示してい る。」といささか大げさな表現で、この不思議を表現しています。
オオセンチコガネがたくさん見られるということは、
それだけ多くの草食獣が不二聖心に生息していることを示しています。
今週は、高校1年生の教室のベランダでムネアカセンチコガネの死骸も見つけました。
こちらは県によっては絶滅危惧種に指定している希少種です。
昨年も理科室から本館への渡り廊下で採集しており、2年続けての発見となりました。
今日のことば
飢えた子の前で、文学は可能か。
サルトル
2011.10.12
アオダイショウ・ニホントカゲ
平成23年10月11日 火曜日
不二聖心では今日から後期が始まりました。
今日は校舎内に幼体のアオダイショウが迷いこんできました。成体のアオダイショウは写真のような
模様がありません。不二聖心で最もよく見られるヘビはシマヘビとアオダイショウですが、
シマヘビと比較するとアオダイショウは性格的にはずっと大人しいヘビです。
昨日は裏門の近くでニホントカゲを見かけました。
不二聖心ではたくさんの種類の爬虫類を目にすることができます。
今日のことば
祈りを唱える人でなく、祈りの人になりなさい。
マザー・テレサ
2011.10.11
サネカズラ・キンケハラナガツチバチ
平成23年10月10日 月曜日
今日も裏門の外に立つケンポナシの木のあたりからアブラゼミの鳴き声が聞こえてきました。
今週も気温は比較的高いということですから、明日も鳴くかもしれません。
希少種のサネカズラが東名高速の近くで咲いていました。もう既に実もなっていました。
最近、急にキンケハラナガツチバチのメスの数が増えてきたように思います。
今日は腹部の大きく膨らんだメスを何匹か見かけました。産卵の季節を迎えているのかもしれません。
10月7日にフィールド日記で紹介したアカガエルはヤマアカガエルで間違いないだろうという
メールが専門家の方から今日届きました。そのメールには、同定結果に添えて
「校内でヤマアカガエルが生息しているのはすばらしいですね」と書かれていまし た。
ヤマアカガエルが見られるのは普通のことではないことを忘れないでいたいものです。
今日のことば
いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが嬉しかった
星野富弘
2011.10.11
アブラゼミ・アオドウガネ・ツマグロヒョウモン
平成23年10月9日 日曜日
今日の静岡新聞の1面に「CO2 20年間で45%増 インド、中国が急伸」という見出しの記事が載りました。
記事の冒頭の1文は次のようになっています。
2010年の世界全体の二酸化炭素排出量は、1990年に比べて45%増え、過去最高の約330億トンに
達したとの報告書を、欧州連合の研究機関などが8日までにまとめた。
45%という数字に背筋の寒くなる思いがします。地球温暖化についての議論をさらに活発にしていかないと
非常に深刻な事態を招きかねないでしょう。
不二聖心では興味もセミが鳴いていました。ツクツクボウシに加えてアブラゼミまでもが裏門のところで
鳴いていました。午後にはヒグラシも鳴きました。
アブラゼミが鳴いていた木の近くにはアオドウガネが2匹いました。アオドウガネは暖地系の昆虫です。
もともと西日本でしか見られなかった甲虫が10月の静岡でまだ活動を続けています。
お茶畑ではツマグロヒョウモンの繁殖行動を観察しました。
ツマグロヒョウモンは最も有名な温暖化指標の昆虫です。今も温暖化によって北上を続けていると言われます。
これらの小さな生き物たちが私たちに伝えようとしていることはなんなのでしょうか。それに対して
私たちはどう行動すべきなのでしょうか。それぞれが真剣に考える必要のある問いかけだと思います。
今日のことば
今はあなたは問いを生きてください。
そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、
答えの中へ生きて行かれることになりましょう。
リルケ
2011.10.08
ホタルガ・イヌタデ・ツマグロコシボソハナアブ
平成23年10月8日 土曜日
今日は不二聖心でツクツクボウシに加えてミンミンゼミの声まで聞くことができました。
どうやらセミはまだしばらく鳴き続けるつもりのようです。
ヒヨドリバナの上にホタルガがいたのにも驚きました。通常は5月~6月と9月に見られるマダラガ科の蛾です。
よれよれの状態で生き残っているという感じ ではなく、活発にヒヨドリバナの花の蜜を吸っていました。
どうも季節がずれてしまっているように感じられて仕方がありません。
イヌタデ(赤まんま)が温情舎の跡地のあちらこちらに咲いています。
この花を見ると中野重治の「歌」という詩を思い出します。次のような詩です。
歌 中野重治
おまえは歌うな
おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものをはじき去れ
すべての風情を擯斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸郭にたたきこめ
中野重治がどれほどイヌタデ(赤まんま)を愛していたかを逆説的に伝える詩です。
イヌタデを見ると「歌」の詩を思い出し、自分にとっての「ぎりぎ りのところ」とは何かと繰り返し
自分自身に問いかけた高校時代が懐かしく甦ってきます。中野重治は「赤まんまの花を歌うな」と
詩に詠みましたが、ツマグロ コシボソハナアブがとまる赤まんまの美しい姿に思わず歌わずにはいられない
心境に今日はなりました。
今日のことば
ひとりの子どもの涙は人類すべての悲しみより重い。
ドストエフスキー
2011.10.07
ツクツクボウシ・アカガエル・ミイラの火口、ツリガネタケ
平成23年10月7日
物事の始まりは注目されますが、終わりはそれほどでもないということがよくあります。
富士山の初冠雪は大々的にニュースになっても、富士山にいつ 最後の雪が降ったかはあまり話題にならない
というようなことです。しかし、物事の終わりにももちろん大きな意味があります。
今日、不二聖心ではツクツクボウシの声が聞かれました。この時期に聞かれるのは極めて珍しいことです。
学研のワイド原色図鑑のツクツクボウシの説明にも「7月中旬より9月末まで見られ、とくに8月中旬、
下旬に多い」とあります。もしかしたら今日の声が今年最後のツクツクボウシの声かもしれず、
この声が気候の重大な変化の予兆を示して いるのもしれません。
昨日、ヤマアカガエルのことを書きましたが、今日も森の中でたくさんのアカガエルと出会いました。
その中で、この20年間で最も大型の個体を見つけました。不二聖心の自然の豊かさを語るのに多くの言葉は
いらず、この1枚の画像を示すだけで十分なのかもしれません。
キャンプ場のツリガネタケがいつの間にか2つになっていました。ヨーロッパの氷河で発見された
約5000年前のミイラの「アイスマン」がこのツリガネタケを火口として携帯していたというのは有名な話です。
今日のことば
数年間、毎年こうやってクモの網づくりを調べることは、正直言ってわたしには、たいしてめんどうなこと
ではありません。でも、こんなことをしていて金持ちになるはずはないのです。それでもわたしはかまいません。
お金持ちになるよりも、もっともっと たくさんな精神の満足を、こうした生活はわたしにあたえてくれる
のですから。
アンリ・ファーブル
2011.10.07
イヌショウマ・ヤマアカガエル
平成23年10月6日 木曜日
絶滅危惧種のイヌショウマの花が今年も咲き始めました。先日の台風の影響か、数が激減してしまった
のが気がかりです。撮った写真を眺めてみて初めて、花の近くにアリがいたことに気づきました。
見ているようで実は見ていないことの何と多いことかと思います。
絶滅危惧種のヤマアカガエルに出会いました。土の色にすぐに同化してしまうため見つけにくいカエルです。
かつての普通種が次々に絶滅危惧種となっている時代です。気がついたら絶滅していたということにならない
ようにしていかなくてはならないと思います。
今日のことば
私たちの目を、見えるものから
あなたの見ておられる見えないものへ導いてください。
目に見えない存在、目に見えない生命、
目に見えない行い、目に見えない愛へ
大切でないものにまどわされやすい私たちが
真に価値あるものを理解し
それを望むことができますように。
聖心会 第9代総長 マザー ドレスキューの祈りより
2011.10.05
ヤマトシジミ・ヨモギクキワタフシ
平成23年10月5日 水曜日
今日の日中の気温は11月下旬並みだったということです。寒い一日でした。
ヨモギの花にヤマトシジミがとまっていました。茎のところにはヨモギクキワタフシという虫こぶが
ついているのが見えます。ヨモギワタタマバエがあ る種の化学物質を植物の組織内に注入することによって、
このような虫こぶができあがりました。虫こぶの形成過程のメカニズムにはまだ明らかになっていない
ことがたくさんあります。
今日のことば
渚に満ちあふれる生命をじっと見つめていると、私たちの視野の背後にある普遍的な真理をつかむことが
並大抵の業ではないことをひしひしと感じさせ られる。夜の海で大量のケイ藻が発するかすかな光は、
何を伝えようとしているのだろうか? 無数のフジツボがついている岩は真っ白になっているが、
小さな生命が波に洗われながら、そこに存在する必然性はどこにあるのだろうか?
そして、透明な原形質の切れはしであるアミメコケムシのような微少な生物が無数 に存在する意味は、
いったい何なのだろうか? かれらは、岸辺の岩や海藻の間に一兆という数ですんでいるが、
その理由はとうていうかがい知ることはできな い。これらの意味は、いつまでも私たちにつきまとい、
しかも私たちは決してそれをつかまえることはできないのだ。しかしながら、それを追究していく過程で、
私たちは生命そのものの究極的な神秘に近づいていくだろう。
レイチェル・カーソン
Contemplating the teeming life of the shore, we have an uneasy sense of the communication of some universal truth that lies just beyond our grasp. What is the message signaled by the hordes of diatoms, flashing their microscopic lights in the night sea? What truth is expressed by the legions of the barnacles, whitening the rocks with their habitations, each small creature within finding the necessities of its existence in the sweep of the surf? And what is the meaning of so tiny a being as the transparent wisp of protoplasm that is a sea lace, existing for some reason inscrutable to us ---- a reason that demands its presence by the trillion amid the rocks and weeds of the shore?
The meaning haunts and ever eludes us, and in its very pursuit we approach the ultimate mystery of Life itself.