フィールド日記
2012.01.18
白い富士山 ホソガ科の絵かき虫
2012.01.18 Wednesday
今朝の富士山は山裾にかなり近いところまで山肌が白く変わっていました。

アカガシの葉に描かれた模様を手掛かりに葉の中に潜っている「絵かき虫」の種類を確定できないかどうか、専門家の方に同定の依頼をしていたのですが、今日その結果が届きました。潜っていたのは蛾の幼虫です。ホソガ科のAcrocercops group の種で、Acrocercops querci Kumata et KurokoかAcrocercops unistriata Yuan かAcrocercops vallata Kumata et KurokoかCryptolectica chrysalis Kumata et Kurokoのいずれかであろうということです。あの薄い葉の中で生活することがどうして可能なのか、不思議でなりません。

今日のことば
冬がきたら
冬のことだけを思おう
冬を遠ざけようとしたりしないで
むしろすすんで
冬のたましいにふれ
冬のいのちにふれよう
冬がきたら
冬だけが持つ
深さときびしさと
静けさを知ろう
坂村真民
2012.01.17
クヌギエダイガフシ
2012.01.17 Tuesday
今朝は、校舎の上にうっすらと雪が積もっていました。

不二聖心の雑木林のクヌギやコナラの枝にはクヌギエダイガフシという虫こぶがたくさんついています。これは、クヌギエダイガタマバチという小さなハチが植物の組織内に化学物質を注入し、その結果細胞が異常な発達をしてできるものです。虫こぶの中でハチの卵は幼虫となり、やがて外の世界に成虫となってでてきます。そのあとは、虫こぶは空き家となりますが、その空き家をさまざまな生物が越冬場所として利用しています。不二聖心の雑木林だけでもテラニシシリアゲアリやモリチャバネゴキブリなどが越冬している様子を今月に入って確認することができました。テラニシシリアゲアリは女王を中心としたコロニーを小さな虫こぶの中で形成していて、たいへん驚きました。
いくつかの生物の中でとりわけ目立つのがクモの幼体です。わずか数ミリの幼体を4種類ほど採集しましたので、クモの研究者の方に同定を依頼したところ、ネコグモとアマギエビスグモとアリグモとフクログモの幼体だということがわかりました。やがてこれらのクモは成長して樹木の害虫を食べるようになることでしょう。虫こぶとクモと植物の興味深い関係がそこから見えてきます。

今日のことば
私は現代の人間が、もっとも多く失った感情が尊敬の感情だと思うのである。あまりに安価で猥雑な知識の吸収になれて、人は、世界にはまだ自分の理解出来ぬ深い秘密が隠れているという感情を失ってしまったのである。
梅原猛
2012.01.16
ケンポナシ
2012.01.16 Monday
下の写真は1950年代に不二聖心にいらしたエデルマン神父様の写真です。(理科室の横の通路に飾られています。)神父様は地元の方ともたくさんの交流の機会を持ち、良寛さんのような方だと評する人もいたそうです。
2枚目の写真はエデルマン神父様が植えられたケンポナシの木の実です。裏門を出たところに落ちていました。一目見たら忘れられない特徴的な形をしています。樹皮もなかなか個性的で、歳月を経た太い幹のケンポナシの大木は、裏門の前の木々の中でも、ひと際、威容を誇っています。



今日のことば
いいんだよ。ねずみは、ねずみ一ぴきぶん、きつねは、きつね一ぴきぶん、はたらくのさ。だれのなんびきぶんなんかじゃないんだよ。おとうさんはくまだから、くまの一ぴきぶん。ウーフなら、くまの子の一ぴきぶんさ。みんなが一ぴきぶん、しっかりはたらけばいいんだ。
『くま一ぴきぶんは ねずみ百ぴきぶんか』(神沢利子)より
2012.01.15
クロスジヘビトンボの幼虫
2012.01.15 Sunday
今日は、牧草地から5分ほどのところにある谷を流れる沢を歩きました。湧水がしみ出る沢は水量こそ少ないものの水質はたいへん良く、石を裏返したらクロスジヘビトンボの幼虫が見つかりました。水質の良いところにしか棲めない昆虫です。手を入れられないほど冷たい水でしたが、水の中に放すとすぐに石の下に潜ってしまいました。



今日のことば
世界が如何にあるかではなく、そもそも世界があるということ自体が神秘的なことである。
ヴィトゲンシュタイン
2012.01.14
クリオオアブラムシの卵
2012.01.14 Saturday
2011年12月7日のフィールド日記で紹介したクリオオアブラムシはすべて産卵を終え、木肌は黒い卵で覆われてしまいました。卵は天敵に襲われることもなくこのままの状態で越冬し、3月の半ばごろには孵化し始めるはずです。


今日のことば
生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも たいせつな宝物
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり
本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある
「いのちの歌」より
2012.01.13
柿本人麻呂の世界 韓国聖心との交流
2012.01.13 Friday
柿本人麻呂に「東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」という歌があります。今日の朝の不二聖心にはまさにこの歌の光景が広がっていました。東から昇る太陽の光をながめたあとで、振り返って陰暦二十日の有明の月の写真を撮りました。


夕方、韓国聖心の生徒のみなさんが不二聖心に到着しました。両校の生徒は夏以来の再会を喜んでいました。

今日のことば
神のごとくゆるしたい
ひとが投ぐるにくしみを
むねにあたため
花のようになったならば
神のまえにささげたい
八木重吉
2012.01.12
雪化粧した愛鷹山 プールのカルガモ サルトリイバラ
2012.01.12 Thursday
今年一番の冷え込みとなりました。雪に覆われた愛鷹の山には朝日がさし、昨日とは全く違う風景が広がっていました。

昨日まで 築山の池にいたカルガモの夫婦は、今日はプールに移動していました。

2011年4月28日の「フィールド日記」で、ホウセンカヒゲナガアブラムシを紹介しました。ホウセンカアブラムシが付いていた植物がサルトリイバラです。今は葉を落とし、独特の付き方をする赤い実だけが、冬の景色の中で小さな輝きを放っています。

今日のことば
あの人のようになりたくて
あの人の後を追っていたら
あの人の前に
キリストがいた
星野富弘
2012.01.11
コップの中のウラギンシジミ 築山の池のカルガモ
2012.01.11 Wednesday
2012年1月2日の「不二聖心のフィールド日記」で、越冬に失敗して落葉広葉樹の葉もろとも地面に落下してしまったウラギンシジミを保護した話を紹介し ました。そのウラギンシジミのその後の様子についてお伝えします。越冬状態を維持するために、外に置いて観察を続けていますが、今朝もしっかりと壁面(横 にしてある紙コップの底)にとまっていました。氷点下になることも珍しくない時期に、なぜ体液が凍ることもなく生き続けられるのか、不思議でなりません。

築山の池には今日もカルガモの夫婦がいました。朝日が水面を照らして光が反射する幻想的な光景が見られました。

今日のことば
人間はだれでも、他者から大切にされなければ、本当に自分を大切にしながら生きているという実感をもつことができない存在なのです。二十世紀前半 にアメリカで、生涯を人道的な精神医療に捧げたとも言われるH・S・サリヴァンは、そのことを見事に指摘しています。人間は自分の存在する意味や価値を、 人間関係のなかに見いだし、実感するのです。心を病んでいるすべての人に共通する問題は、人間関係の障害なのです。
ですから人間は、自分がだれか他者のために役立っていることを自覚することなしには、本当に安心して充実した生きかたはできないものなのです。人間の幸福は、自分がだれかを幸福にしているという実感のなかから生まれてくるものなのです。
佐々木正美
2012.01.10
築山の池のカルガモ
2012.01.10 Tuesday
下の写真に鳥が3羽写っているのがわかるでしょうか。1羽は本館の建物の十字架の上にいるカ ラス、あとの2羽は池で泳いでいるカルガモのつがいです。2枚目の写真にはその様子が拡大されて写っています。前を行くのが雌、後ろを行くのが雄です。ま だ学校がにぎわいを取り戻す前の休み明けの朝の静けさの中でしばらくゆったりと泳ぎ続けていました。


今日のことば
幼稚な人間とはIQが低いとか常識がないとかいうことではなしに、何が肝心かが分からぬ、そして肝心なことについて考えようとしない者だ。
福田和也
2012.01.09
マリアガーデンのソシンロウバイ
2012.01.09 Monday
ソシンロウバイの花が次々に咲き始めています。
ロウバイは「蝋梅」と書き、「蝋」は花が蝋細工のように見えることを意味しています。花に光があたると、その部分だけが蝋燭に火を灯したように明るさを 増し、まるで自ら光を放っているかのように見えます。姿の美しさと香の芳しさをそなえた蝋梅は、他にはない魅力を持った花と言えるでしょう。
香に誘われてでしょうか。たくさんの双翅目の昆虫が花を訪れていました。



今日のことば
人間は常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間は何かを知りつくしているものもいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
谷川俊太郎
