フィールド日記

2012年01月

2012.01.10

築山の池のカルガモ

  2012.01.10  Tuesday

 下の写真に鳥が3羽写っているのがわかるでしょうか。1羽は本館の建物の十字架の上にいるカ ラス、あとの2羽は池で泳いでいるカルガモのつがいです。2枚目の写真にはその様子が拡大されて写っています。前を行くのが雌、後ろを行くのが雄です。ま だ学校がにぎわいを取り戻す前の休み明けの朝の静けさの中でしばらくゆったりと泳ぎ続けていました。


今日のことば

 幼稚な人間とはIQが低いとか常識がないとかいうことではなしに、何が肝心かが分からぬ、そして肝心なことについて考えようとしない者だ。

                                  福田和也

2012.01.09

マリアガーデンのソシンロウバイ

  2012.01.09 Monday

 ソシンロウバイの花が次々に咲き始めています。
ロウバイは「蝋梅」と書き、「蝋」は花が蝋細工のように見えることを意味しています。花に光があたると、その部分だけが蝋燭に火を灯したように明るさを 増し、まるで自ら光を放っているかのように見えます。姿の美しさと香の芳しさをそなえた蝋梅は、他にはない魅力を持った花と言えるでしょう。
香に誘われてでしょうか。たくさんの双翅目の昆虫が花を訪れていました。

 


今日のことば

人間は常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間は何かを知りつくしているものもいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で

人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども

どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
                                                           谷川俊太郎

2012.01.08

ナンテン

  2012.01.08 Sunday

 1月6日の「不二聖心のフィールド日記」で紹介したフユシャクについて専門家の方に種の同定の依頼をしていたのですが、その同定結果が今日届きま した。「ナミスジフユナミシャクOperophtera brunnea」でした。これは冊子『不二の自然2』で紹介した「コナミフユナミシャク」と同じ種です。名前が違う理由は和名・学名が変更されたことによ ります。以前は、「ナミスジフユナミシャクOperophtera brunnea」は、コナミフユナミシャク(Operophtera brunnea)とオオナミフユナミシャク(Operophtera variabilis)の2種に分けられていましたが、同一種の個体変異であることが分かり、再び元の学名・和名に戻されたそうです。一つの種を確定する ことの難しさを感じます。
さて、今日は2枚の写真を掲載しました。
1枚目の写真は本館前で撮影したナンテンの写真です。「ナンテン」は「難を転ず」に通じるところから縁起のよい植物としてよく玄関先などに植えられます。今の時期は、葉が美しく紅葉し赤い実をつけています。
2枚目は何かわかるでしょうか。実はこれもナンテンなのです。こちらはポンプ小屋の道で撮りました。樹林下のため陽が当たらず紅葉することができなかったのです。日光を浴びるか浴びないかで植物の姿には大きな違いが生じます。
同じものを同じと判断すること、違うものを違うと判断すること、いずれもなかなか困難な作業です。

 

 今日のことば

 自分の中を見つめているような遠い目をしている人がときどきいる。
   もっとも遠いものとは自分なのかもしれない。
                                 舟越桂

2012.01.07

牧草地の鹿

  2012.01.07 Saturday

 今日は帰りに8匹のフユシャクを見かけて驚きました。しかし、もっと驚いたのは朝の牧草地での鹿との出会いです。5、6頭の群れで動いていましたが、なぜか雄の姿が目立ちました。写真に写っているのもすべて角が生え始めて数か月の雄ばかりです。

 

今日のことば

 作曲をすることは誰にでもできるんだろうと思うんですよ。でも作曲家は作曲をするんじゃなくて、まずいちばん最初の聴衆じゃなきゃいけないんだろう と。つまり作曲家にとっていちばん大事なのは聴くことだって思うんです。音楽を聴くだけじゃないんでよ。命っていうか生きてるものとか、自然とかすべて、 それを聴くってということが大事なんですよ。

武満徹

2012.01.06

フユシャク

  2012.01.06 Friday

  昨日の夜、家に帰る時には気温は既に3度まで下がっていました。校舎の裏に停めてあった車に乗りライトをつけた瞬間、目の前を一匹の蛾が横切り ました。フユシャクです。冬季にのみ活動する蛾です。お茶畑の横を走っていた時にまた一匹のフユシャクが前を横切りました。さらに正門をくぐりぬけようと した時、また一匹横切りました。その三匹目を採集して、その姿をカメラに収めました。それが下の画像です。フユシャクは口が退化しています。彼らが飛ぶの はメスを求めてであり、彼らの生きる目的は次の世代を残すことです。メスは翅が退化していて飛ぶことができません。フェロモンによってオスに居場所を知ら せています。きっと昨晩は、不二聖心の中にフユシャクのオスだけがわかるフェロモンが漂っていたことでしょう。人間の五感でとらえることのできる世界だけ が世界のすべてではないことを覚えておきたいものです。

 

 

  今日のことば

  ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである。
                                                                アルフォンス・デーケン

2012.01.05

セイタカアワダチソウ ギングチバチ

  2012.01.05 Thursday

 要注意外来生物として長年、悪者扱いされ続けてきたセイタカアワダチソウは漢字で書くと「背高泡立ち草」となります。その花穂の泡立つ様子は花の時期が終って種子をつけるようにならないと観察できません。今の時期はまさに「泡立ち草」です。
昨日の朝日新聞の夕刊に「さらばセイタカアワダチソウ ―― 農環研 除草剤使わず駆除成功 ―― 」というタイトルの記事が載りました。次のような内容です。

 

 農業環境技術研究所(茨城県つくば市)が、全国に広がっている外来植物のセイタカアワダチソウを駆除する新たな手法を開発した。
同研究所は、セイタカアワダチソウが土壌のPHが低い(酸性度が高い)土地にはほとんど広がらないことに注目。セイタカアワダチソウなどの茂みを刈り取っ たあと、塩化アルミニウム剤を1平方メートルあたり1.2キロ散布して土壌のアルカリ度を下げると、チガヤなどの在来植物は復活するが、セイタカアワダチ ソウは2年間観察を続けてもほとんど生えなかった。
この土壌処理を、道路わきや農地周辺などで行えば、除草剤を使わずに効率的に駆除できるという。山口県内の果樹園の跡地を使って行った駆除実験では、セイ タカアワダチソウが減り、在来植物の種数が増えた。土壌処理をしなかった場所は5平方メートルあたりの在来植物は22種だったのに対して、処理した場所は 2年後に31種に増えていた。
今後、土の中にすむミミズや細菌などに対する塩化アルミの影響を調べ、他の外来植物の駆除にも役立つかも探る。


在来植物の増加を可能にするうれしいニュースですが、少し複雑な思いもあります。これだけセイタカアワダチソウが幅をきかせるようになるまでに、日本の 生態系はセイタカアワダチソウを組み込むかたちで調和できるように変化してきました。例えばセイタカアワダチソウから供給される多量の花粉や蜜によって活 動時期を秋遅くまで延ばすことになった生物もいたはずです。その生物たちが、人為的な植生の変化によって再び翻弄されることになります。
2枚目の写真のセイタカアワダチソウの花の上にいるハチは、ギングチバチという比較的珍しい種類のハチです。この写真は、11月に裏の駐車場で撮りまし た。(顕微鏡で見ると本当に口の周りが銀色の毛で覆われています。)このハチもセイタカアワダチソウに何らかの形で依存している可能性があります。セイタ カアワダチソウの減少によって少なからぬ影響を受けることになるかもしれません。

 

   今日のことば

    新しき光を揺りて
                       湧く水の如きおもひに拠りて生きむか
                                                                     菊地新

2012.01.04

茶畑の富士 石蕗の花

 2012.01.04 Wednesday

 お茶畑から見る富士山が美しい朝でした。


晩秋から咲き始めた石蕗(ツワブキ)が今も校舎裏のクスノキの大木の脇で咲き続けています。地味な花ですが、不思議と心ひかれる花で、眺めているとその 寂しい風情に冬の心が静まっていくのがわかります。網野菊は「冬支度するもひとりや石蕗の花」と詠み、高浜虚子は「静かなる月日の庭や石蕗の花」と詠んで います。石蕗の花の風情が名句を生み、名句は石蕗を見るまなざしを深めます。

 

 今日のことば

 私達の魂の故郷は静寂の国である。魂の孕むすべての美しいものは、この寂しさから生れ出て来るのだ。

薄田泣菫

2012.01.03

沢の調査 サワガニ

  2012.01.03 Tuesday

  今日は茶畑の奥の谷の沢を調査してみました。短時間の調査でしたが、沢の水質はたいへんきれいであることがわかりました。短時間の調査でなぜ水 質がきれいであることがわかるのでしょう。それは、指標生物であるサワガニがたくさん生息していたからです。(サワガニの親子にも出会うことができまし た。)環境省は水質調査の実施を全国に呼び掛けていますが、その指導書には「サワガニがいたら水質はたいへん良いと判断していい」と書かれています。
写真のサワガニは青みを帯びていますが、これは静岡県東部に生息するサワガニの体色の特徴です。カニの体の色にも地域の特性が反映しているのです。

 


谷から上ってきた時、空の青さが目にしみました。

 

 

 今日のことば

 浜口神父様の紹介で私は、長崎教区が運営する高校の教師になり、国語教師の深堀勝さんを知りました。
父、妻、妹と静かに暮らしていた深堀さんは原爆に遭う。爆心直下にあった自宅は壊滅。がれきの中で三人の運命を予感し、思わず口ずさんだ。「主与え、主 取り給う。主の御名は賛美せられよかし」。満たされても、奪われても神を信じるという旧約聖書ヨブ記の一節です。妻は亡くなり父の骨は見つからず、妹も一 カ月して亡くなる。死の直前まで妹は、細い呼吸の中で長いラテン語の歌を歌い続けた。その後も信仰に生きた深堀さんの姿に、私はその後の人生に大きく影響 を受けたのです。

本島等(元長崎市長)

2012.01.02

正月の富士 鹿の足跡 ウラギンシジミ

  2012.01.02 Monday

  グラウンドから見える正月の富士山です。美しい山容を眺めていると故西山民雄先生の「富士の冴え祈りの心諭しけり」の句が思い出されました。
グラウンドには鹿の足跡がたくさんついていました。休暇中は鹿の遊び場となっているようです。
2011年8月20日のフィールド日記でウラギンシジミの幼虫の驚異的な擬態について紹介しました。あの時期の幼虫は今は成虫となってツバキなどの常緑 広葉樹の葉裏で越冬しています。と普通は書くのですが、今日、ポンプ小屋の道で地面に落ちているウラギンシジミを見つけました。よく見ると落葉広葉樹の葉 裏につかまったまま横たわっています。落葉する葉の裏についたら落下することは目に見えています。雨が降ればそのまま死んでしまったことでしょう。無事保 護することができましたが、あの驚異的な擬態の技を持つウラギンシジミが越冬場所を間違えるとは、何とも不思議な話です。 

 

 


今日のことば

 人が何かに出会い、感動する。その感動の元をたどっていった時、その核のところには、こういった肯定の光景があるのではないだろうか。肯定の感情が世界を覆う、そのことを感動というのではないだろうか。

太田省吾

2012.01.01

コウヤボウキ

2012.01.01 Sunday
あけましておめでとうございます。
今年も不二聖心の自然のすばらしさをこの「フィールド日記」を通してお伝えしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 10月30日に撮影したコウヤボウキが結実している様子を観察しました。下の写真が10月30日に撮影したものですが、ここに写っているクチナガ ガガンボが受粉昆虫として活躍したことがうかがわれます。この近辺はコウヤボウキが少しずつ数を増やしていますが、そのために受粉昆虫の活躍は欠かせませ ん。希少種であるコウヤボウキは花の形が筒状をしており、受粉に関われる昆虫は限られています。ふだん注目されることも少ないガガンボが大切な役割を自然 界の中で果たしているのです。多くの生物は他の生物とのつながりよって支えられています。今年も生き物のつながりにしっかりと目を向けていきたいもので す。

 

 下の写真が結実したコウヤボウキの写真です。

 

 


今日のことば

生命は   吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべが仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえ許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない