フィールド日記

2013.01.29

朝のすすき野原  イスノフシアブラムシの赤ちゃん

  2013.01.29 Tuesday

 今朝のすすき野原の風景です。すすき野原の向こうには昨年の8月に「夏休み子供自然体験教室」で「生き物探しゲーム」を行った牧草地が見えます。不二聖心で見られる広大な自然の風景です。
日が長くなったために早朝でもこれだけ明るい写真が撮れるようなりました。

 

 イスノフシアブラムシが1ミリの子供を生みました。イスノフシアブラムシは今の時期は卵ではなく子供を生みます。つまり胎生ということです。大きさは1ミリ程度でした。不二聖心で見られる小さな命の姿です。
この小さな命がやがて成長して、「ひょんなこと」という言葉の語源となった虫こぶをイスノキに作ります。


今日のことば                         
   

 十八歳の頃だった。北方の自然に憧れていた。シベリアでもアラスカでも、北海道でもよかったのかもしれない。子どもが夢を託すような、説明のつかない、漠然とした憧れだった。
ある日、神田古本屋街の洋書専門店で見つけた一冊のアラスカの写真集。次のページの写真がめくる前にわかるほど、僕はこの本を読み尽くしてゆく。アラスカに関する情報がなかった当時、その本が、自分の現実をつなぎとめていた。その中に小さなエスキモーの村の空撮の写真があった。夕陽がベーリング海に沈もうとする、逆光のいい写真だった。僕はこの写真の持つ不思議な光線に魅かれていた。そして、どうしてこんな荒涼とした場所に人間の生活があるのかと、写真の持つ背景に心を奪われていった。
この村を訪ねてみたいと思った。写真のキャプションにShishmarefと書いてある。地図の中にその文字を見つけた。しかし訪ねようにも方法がわからない。手紙を書こうにも住所がわからない。辞書でmayorという単語を見つけた。「代表者」……きっと村長のような意味だ。これでいこう。

      Mayor
      Shishmaref
      Alaska  U.S.A

 それから半年がたち、何の返事もないまま、僕は手紙を出したことさえ忘れかけていた。ある日、家のポストに、外国郵便の封筒が落とされた。

      Cliford  Weyiouanna
      Shishmaref
      Alaska

遠いアラスカがすぐそこで、自分の憧れを受け止めていた。
そしてこの村で過ごした一九七一年の夏。
この旅は、僕にひとつのことを教えてくれた。それは、こんな地の果てと思っていた場所にも人の生活があるというあたり前のことだった。人の暮らし、生きる様の多様性に魅かれていった。どんな民族であれ、どれだけ異なる環境で暮らそうと、人間はある共通する一点で何も変わらない。それは、だれもがたった一度のかけがえのない一生を生きるということだ。世界はそのような無数の点で成りたっているということだ。シシュマレフ村でのひと夏は、時がたつにつれ、そんな思いを自分に抱かせた。

星野道夫