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フィールド日記

2013年04月

2013.04.30

ヒメハギと万葉集  名前のないヒメバチ



 

2013.04.30 Tuesday
動植物の世界で「ヒメ」が名前につくとその多くは「小さい」という意味を表します。今牧草地にたくさん咲いている紫の小さな花は「ヒメハギ」(東京都では絶滅危惧Ⅱ類に指定)です。萩に似ているので名前に「ハギ」とついていますが、萩はマメ科なのに対してヒメハギはヒメハギ科に属しています。よく見ると実に不思議な形をしている植物です。ヒメハギは古くから漢方薬の材料としても使われ、ヒメハギから作られた薬を「遠志」と言います。「遠志」はもともと中国から伝わってきた生薬です。天平勝宝8年(756)の聖武天皇崩御の時、冥福を祈願するために東大寺に収められた薬の中に「遠志」が含まれていたという記録が残っています。ところで、当時の人たちは「遠志」という字を何と読んでいたのでしょうか。読み方を考える一つの手がかりを万葉集の中に見つけました。万葉集に収められている山上憶良の挽歌の中に「伊能知遠志家騰」という万葉仮名の表現があります。「伊能知遠志家騰」は「命惜しけど」と読みます。このことから考えると薬の「遠志」も「おし」と読まれていた可能性があると言えるでしょう。「おし」は「命が惜しい」を連想させ、薬の名前としてもふさわしいように思います。 
 
蜂の世界で「ヒメ」がつくといったら、ヒメバチです。不二聖心にもたくさんのヒメバチが生息していますが、ヒメバチというのは科名であって種名ではありません。写真のハチは、第二牧草地に向かう途中で見つけたマルヒメバチ亜科のヒメバチですが、国内未記載種であることがわかりました。まだ日本語の名前がついていないハチということです。このように名前がつけられていない種は、ヒメバチに限らず自然界に無数に存在します。自然界に存在していながら、まだ種名がつけられていない生物は2万種を超えるという説もあるほどです。
 

今日のことば

生きがいなどというのはまだ世俗に未練のある人が求めるものであって、成熟しきった人はそのようなものは求めない。野に咲く一輪の花のように静かである。

柳澤桂子   

 お知らせ

今年も8月に小学4年生から6年生を対象として「夏休み子供自然体験教室」を不二聖心女子学院で開催します。申し込み方法など詳しいことをお知りになりたい方は下記のURLをクリックしてください。
http://www.fujiseishin-jh.ed.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=297

2013.04.29

生物の世界の不思議をのぞく キンランとギンラン ゼンマイとゼンマイハバチ

  2013.04.29 Monday

 5月2日に行われる高校生のオリエンテーリング大会のコースにキンランとギンランが咲いているのを見つけました。ともに、ブナ科の樹木と菌根菌と蘭で三者の共生関係を築いている不思議な植物です。雑木林があるからこそ生きられる植物ですので、むやみに摘んだりしては絶対にいけない花です。キンランもギンランも全国各地で絶滅危惧種に指定されています。

   下の写真が、キンランの写真です。


   下の写真が、ギンランの写真です。

 ギンランのすぐ近くでゼンマイがゼンマイハバチの幼虫に食べられていました。ゼンマイは葉を食べ尽くされると何とか子孫を残そうと再び芽を伸ばします。しかし十分に育ったところにゼンマイハバチの二代目が現れ、また幼虫に葉を食い尽くされてしまいます。ゼンマイはゼンマイハバチに操られているわけです。ゼンマイハバチとゼンマイの不思議な関係については日高敏隆の「蜂とゼンマイの春」というエッセイの中で詳しく紹介されています。下記のURLをクリックするとその全文を読むことができます。必読のエッセイです。
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/116473.html
 

 

今日のことば

 いっさいが虫けらの中にあるーー ファーブルの言葉である。
南フランスの片いなか、セリニアンの村はずれに小さな谷がある。ある夏の朝、谷底の石に腰をおろし、かわいた地面の一点を見つめている男がいた。
三人のブドウつみの女が通りすぎていく。そして夕暮れどき、ブドウでいっぱいになったカゴを頭にのせて家路を急ぐ彼女たちは、また、その男を見かけた。
朝と同じ場所で、同じ石に腰かけて、熱心に地面を見つめている男……。
「お気の毒に……。頭が変なんだね……」
そうつぶやく三人の女は、十字を胸元できって去って行った。
私は、このエピソードが好きだ。彼こそ、私たちに有名な昆虫記十巻を残してくれた人、ファーブルその人である。彼の足もとの地面では、ひとりぼっちのカリウドバチ、ラングドスアナバチが巣づくりをしていたのだ。
彼はこうしてたくさんの虫と友だちになった。そして知れば知るほど、一匹のムシケラの中につきることのない新鮮なおどろきを発見した。彼は、花のパリに見むきもせず、いなかにひきこもったきりの生活を送ったが、その毎日は退屈とはまったく無縁だったという。
昆虫記のどの一巻でもいい。キミが開いたそのページからは、少年のようなファーブルの心の高鳴りが伝わってくるだろう。
神秘の扉は、あけ放たれているのだ。私が、そしてキミがただそこにふみこんでいきさえすればよいのだ。そこから開けている光景は限りなく変化にとんで、奥が深い。しかし、きっかけは簡単だ。たった一匹の虫に心をとめることである。

矢島稔  

2013.04.28

ハナミズキ  桐の花  ツチイナゴの鳴き声







2013.04.28 Sunday
一年の中でも4月の後半から5月にかけての新緑の季節は、とりわけ気持ちよく、過ごしやすい季節です。今日の不二聖心は、ハナミズキや桐の花が青空の青と新緑の緑に囲まれて美しく照り映えていました。一青窈は薄紅色のハナミズキを歌いましたが、不二聖心のハナミズキの花弁の色は純白です。桐の花は既に落花が始まっており、地上にはたくさんの花が落ちていました。地上に落ちた花の中には早速アリがもぐりこんでいました。
「共生の森」では成虫で越冬したツチイナゴが交尾をしていました。ツチイナゴは交尾の時にオスが後ろ脚をこすりあわせて音を出すことがあります。その瞬間を動画に収めることができました。動画をクリックすると、一瞬ですが、その音を聞くことができます。


 

 
 
今日のことば

高校3年生の短歌より

あざやかに空に舞う花見るために花筵の上にねころがりたい     
やわらかい朝の日ざしがはだに溶け坂のじゃり道ここちよい音    
大丈夫泣きたい時は泣けばいい私が君のそばにいるから       
何気ない笑った声がこだまするみんなとずっと一緒にいたい    
葉桜になりかけを見て思うのは一年後あるわれなき校舎      
薄紅にゆらりゆらりと染まる風あとに残るはやさしいみどり

2013.04.27

クロホシツツハムシとバラルリツツハムシ



 2013.04.27 Saturday
2種のツツハムシと出会い写真を撮りました。1枚目の写真は、クロホシツツハムシです。この虫は他に例をみないような面白い生態を持っています。卵を自分の糞で包んで産み落とすのです。糞で守られつつ成長した卵はやがて孵化し、幼虫もその糞ケースを背負って育ち、しばらくして糞の中で蛹となります。これを汚いなどと言ってはいけないのでしょう。どの生き物も生きていくためにさまざまな工夫を凝らしています。
2枚目はバラルリツツハムシです。名前の通り、バラの葉を食べるハムシですが、一方で栗の葉も食べます。薔薇しか食べない虫もいれば栗しか食べない虫もいて、薔薇と栗と両方食べる虫もいる。昆虫の食草の選び方も実に多様です。バラルリツツハムシは不二聖心初記録です。

今日のことば

もし誰かに言ってほしいことがあれば、男に頼みなさい。やってほしいことがあるときは女に頼みなさい。
"If you want something said, ask a man. If you want something done, ask a woman."

マーガレット・サッチャー  

2013.04.26

シャクナゲとネパールの国旗

 

2013.04.26 Friday
キャンプ場のシャクナゲが咲き始めました。ネパールの国花でありヒマラヤにも多くの種が自生するシャクナゲは、標高によって見られる種類が異なり、ネパールでの垂直分布についての研究もあります。ネパールの国旗の真紅はシャクナゲの花の色に由来しますが、不二聖心のシャクナゲは淡いピンクです。シャクナゲは、種類もさまざまで、花の色もいろいろです。

 


今日のことば

あなたがこの世の偉大なものとともに、ささ
やかなものにも歓びを見出すことをわたしは願
っています。
一輪の花、ひとふしの歌、あなたの手のひら
にとまる蝶にも。

エレン・ラヴァイン

2013.04.25

ヤマギシモリノキモグリバエとスミソニアン博物館



2013.04.25 Thursday
高校1年生が間伐体験学習を行う校内の森の一角にアラカシとシラカシの交雑種と思われる樫の木が生えています。なぜかその木には他の樫の木以上にさまざまな生き物がやってきます。先日はヤマギシモリノキモグリバエを確認しました。ヤマギシモリノキモグリバエについて詳しく知るためには、1983年に出た上宮健吉博士の英文の著書を読むしかないと言われています。この本はアメリカで出版され、当時はスミソニアン博物館に購入を申し込むことができました。それから30年経った今でもスミソニアン博物館は上宮博士の著書を所蔵しているだろうかと思って問い合わせたところ、本は今もあることを教えてくださり、さらにその本のコピーを送ってくださるという返事が来ました。コピーを入れた荷物は今朝、スミソニアン博物館を出て日本に向かったそうです。上宮博士の著書が、不二聖心の生物相の一面をどのように照らしてくれるのか、今から楽しみにしています。

今日のことば

著者上宮健吉博士は本研究をほぼ2年も前に完成し、その出版刊行費の補助を申請するなど日本での出版に努力されたが、それは遂に実現されなかった。いうまでもなく、農業環境の生態構造の解明には分類学の進歩が不可欠であるが、巷には軽薄短小な出版物が氾濫している反面、こういう優れた基礎的研究成果の出版が困難になった日本の現状を、何とか改善できないものであろうか。

西島浩(上宮健吉博士の著書の書評より)  

2013.04.24

成虫で越冬したツチイナゴ



 2013.04.24 Wednesday
 今の時期に草原を歩いていてトノサマバッタのような飛び方をしているバッタを見つけたらそれはツチイナゴです。この時期に力強く飛ぶことができるのは成虫で越冬したあかしです。「共生の森」では今の時期、少し歩けば必ずツチイナゴに出会うことができます。あの寒い冬を乗りこえて、よくこれだけの力が残っているものだと感心するほどの力強い飛翔力です。よく似たバッタは他にもいますが、目の下の黒い模様がツチイナゴの大きな特徴だと覚えたら一目で見分けられるようになるでしょう。

今日のことば

Life is sacred,at every stage;and in suffering we can find the truth.(人生はどの段階においても尊く聖なるものである。そして、私たちは苦しみのなかにおいてこそ真実を見出す。)

ヨハネ・パウロⅡ世  

2013.04.23

史前帰化植物キツネアザミと人をだまさなくなったキツネ

  2013.04.23 Tuesday

  キツネアザミが「共生の森」に咲いています。キツネにだまされるほどアザミによく似ているから「キツネアザミ」と名付けられたと言われていますが、見れば見るほどアザミにそっくりだと感じます。キツネアザミは史前帰化植物です。農耕の伝播とともに東南アジアからやってきたと言われています。最近大きく取り上げられている外来種の大先輩と言えるでしょう。「共生の森」が2年目に入り、さっそく姿を現しました。その移動能力は相変わらず健在のようです。
哲学者の内山節は1965年頃を境にキツネが人をだますという話が急速に消えていったと分析しています。だますキツネの名残りの植物名を大切にしたいものです。

 
今日のことば

If the bee disappears from the surface of the earth, man would have no more than four years to live. No more bees, no more pollination, no more plants, no more man.

もしハチが地球上からいなくなると、人間は4年以上生きられない。ハチがいなくなれば受粉ができなくなり、植物は育たず、人間は滅びる。

アインシュタイン  

2013.04.22

ハルジオンの花畑  都忘れと順徳院

  2013.04.22 Monday

 今日は、学校は代休でした。休日にはなぜか動物たちの動きが活発になります。「共生の森」では猛禽類の飛ぶ姿を見ることができました。
4月も後半に入り、咲いている花の種類がますます増えてきました。「共生の森」にはハルジオンの花畑ができ、そこにはハナアブやコガネムシなど、たくさんの虫たちが集まってきています。


 
図書館の入り口近くには、ハルジオンと同じキク科のミヤコワスレが咲いています。後鳥羽院が起こした承久の乱によって、息子の順徳院は佐渡に流されました。順徳院はミヤコワスレの花を眺めて、都への思いを忘れようとしたと言われます。そこから「都忘れ」という名前がつけられたわけです。承久の乱は歴史にさまざまな物語を残しましたが、現代の小説の中にも『後鳥羽伝説殺人事件』(内田康夫)という、承久の乱に関係のある素晴らしい小説があります。
 


今日のことば


昨日の新聞から188 平成22年2月22日(月)
『後鳥羽伝説殺人事件』(内田康夫 角川文庫)を読む
――  一億冊売れた作家の代表作 ――

 2月13日の朝日新聞に内田康夫の「追憶の風景」についての記事が載っていました。その記事自体も面白く、内田康夫の父親についてや父親と名探偵浅見光彦との関わりについてなど、新しく知ることも多かったのですが、内田康夫の紹介の文章にいっそう興味をひかれました。次のような文章です。

 うちだ・やすお 1934年生まれ。作家。80年に自費出版した『死者の木霊』が話題になり、デビュー。82年『後鳥羽伝説殺人事件』で
初登場した名探偵・浅見光彦のシリーズがヒット。著作は累計1億部を超える。

最後の一文には驚きました。1億部売れるということは、単純に計算してミリオンセラーを100回、出さなければならないという計算になります。これは想像を超える離れ技です。早速、内田康夫の作品を読んでみたくなりました。先ず選んだのは、紹介文にも出てくる『後鳥羽伝説殺人事件』でした。『後鳥羽伝説殺人事件』の「後鳥羽」の文字にひかれたのです。百人一首の成立にも深く関わった後鳥羽院のことは、授業でもたびたび取り上げてきたので親しみがあります。後鳥羽院と言ったら承久の乱ですが、僕の家の近くに承久の乱に加担して捕らえられた貴族、藤原宗行の処刑された場所があります。言わば、僕は日々、承久の乱や後鳥羽院のことを思いながら生活していると言えるわけです。『後鳥羽伝説殺人事件』はそんな僕の知的好奇心を満足させてくれる作品ではないかと期待しました。
読み終えて思うことは、『後鳥羽伝説殺人事件』はその期待に十分に応えてくれたということです。プロローグを読んだ段階で、この作品は間違いなく面白くなると感じました。その部分を作品の冒頭から紹介してみたいと思います。

 「あら……」
美也子はつい、小さく叫んでしまった。
(この本、どこかで見たことがあるーー)
その書棚には古い学術書や専門書ばかりが集められていて、店に入ってきた時から多少の期待感は抱いていたのだけれど、こんなに胸のときめく出会いになるとは思ってもみなかった。
旅先でずいぶん沢山の書店を覗いたが、地方の書店は全部と言っていいほど新刊書専門で、たまに古書買入の看板を掲げているような店があっても、並べられているのはせいぜい文学の全集物がいいところだ。東京の神田あたりに軒を連ねる古書専門店とは無論、較べようがないにしても、地元に関する歴史書の類ならあるかもしれないと思っていただけに、美也子の失望も大きかった。
それが、旅の終わりになって、心に描いていたのとピッタリの書物がみつかった。それどころか、金箔があらかた剥げ落ちてしまって、黒ずんだ痕跡のようになった背文字にも、なぜか心の琴線にビンビンとひびいてくる懐かしさを覚えるのだ。
『芸備地方風土記の研究』と書かれた背文字を胸のうちで読んでみると、失われた記憶の断章が、甘酸っぱい青春の香りに包まれて、いまにも甦ってきそうな気がする。
美也子は、精一杯、腕を伸ばして、書棚から本を引き抜いた。
(ああ、この手ざわりーー)
くすんだグリーンの布表紙(クロスカバー)の質感と、どっしり手ごたえのある重量感。心の記憶は信用できないというのなら、皮膚感覚に刻み込まれたこの記憶は本物だわーーと、美也子はワクワクする昂奮で、かえって全身から血の気が引いてゆくような想いであった。
(それにしても、なぜかしら。なぜ、こんなにも心が揺り動かされる「記憶」をこの本に感じるのかしらーー)
つとめて冷静に立ち返って、美也子は表紙を開いた。目次のひとつひとつに言い知れぬ懐かしさが湧いてくる。そしてーー、目次に『後鳥羽法王伝説』とあるのを発見した瞬間、ふいに美也子は頭痛に襲われた。眠っていた記憶の殻が壊れ、「過去」がひとつ甦る時は決まってこうなるのだ。
ゆっくりと気息が整うのを待ってから、今度は裏表紙を開いてみた。そこに現れたさらに衝撃的な事実に対して、しかし美也子は今度は心の準備ができていた。
裏表紙には四角い大型の朱印で『正法寺家蔵書』と捺されてあった。
「あの……」
美也子は、書棚の谷の底から眼鏡越しにジロジロと疑わしい視線を投げつけている店番の老人に向き直った。
「なぜ、この本が、ここに?……」
「なぜいうて……、売るためですがの」
「いえ、そうじゃなくて、どうして……、どこから、ここへ来たのかです」
「そりゃ、あんた、わたしが仕入れてきよりましたがの」
「どこから……」
「どこからって、言えませんがな」
「なぜですの」
「なぜかて、仕入れ先を言うてしもうたら、元値が知れますやないか」
「あ、ごめんなさい、そういうことじゃないんです。あの、このご本はいただきますから、お幾らでしょうか」
老人は奥付の上に書き込んである数字を確かめた。
「八千二百円じゃけど、八千円にしときます」
美也子が一万円札を出すと、へえーーという顔になった。
「お客さん、歴史に興味ありんさるの?」
「ええ、ですから、このご本を持っていらした方に、いろいろお訊きしたいのです。教えていただけません?」
「そりゃ、お教えせんこともないが、けど、本の値段のことは言わんでくださいよ」
「そんな失礼なこと、しません」
美也子がムッとした顔をつくると、老人は照れたように笑いを浮かべながら、『芸備地方風土記の研究』を包装紙代わりの紙袋に詰めた。袋には不粋な大きさで『尾道譚海堂』と印刷されていた。

 このあとプロローグは2章に移り、富永という男性の視点を借りて、電車の中での美也子の様子が描写されていきます。

 富永が乗り込むのを待っていたようにドアが閉まり、電車は動きだした。車内は空いていて、ドアが閉まり、電車は動きだした。社内は空いていて、ドア付近のベンチシートも、奥の方のボックスシートも、客の数より空席の方が多い。富永はベンチシートの端にアタッシュケースを置き、腰を下ろした。
(中略)
その富永の目の前に、好奇心の対象とするに足るものがあった。向かい合わせの座席に座っている女である。
年齢は二十八、九歳か、ピンクのテニス帽を被り、細いブルーのストライプが入ったトレーナー、ベージュのキュロットスカートという格好は、ごく気軽な独り旅を想像させる。傍らには大ぶりなボストンバッグが、優に二人ぶんの座席を占領していた。
醜女、なのである。そのことが富永の眼を惹いた。それほどにーーということだ。丸く突き出た額。その下に小さく埋め込まれたような目。低い鼻と、その両脇をガードするような盛りあがった頬。受け口。どれひとつを取っても、なかなか見飽きるということはない。それらのすべてが、ひどい不調和な状態で迫ってくる有様は、圧巻でさえあった。
その「醜女」が、似つかわしくない、妙にうっとりした表情で天井のあたりに視点を置いている。何か、遠いことに想いを馳せているといった風情だ。その内に、バッグのファスナーを開けて大事そうに紙袋を取り出した。『尾道譚海堂』と大きく印刷されている。袋の中身は緑色の表紙の分厚い本であった。よほど古い本なのか、金文字はほとんど剥げ落ちてしまって、富永の位置からでは判読できない。
女は、聖書でも見るように、ますます恭しい態度になって、本をひろげた。どのページを読むという目的があるわけではなく、ただなんとなくその本を繙いた、という印象であった。その証拠に、何枚かページを繰っただけで、読むでもなく、女は本を閉じ、紙袋に入れて、元のようにバックの中へ蔵った。
ところが、それからものの五分も経たないうちに、女はまたぞろ本を引っ張り出して先刻と同じように、無意味な動作を繰り返したのだ。今度の場合も読むという目的はなく、ただ単に本の布表紙の感触を愉しむ、といった感じが見えた。いかにも、何やらいわくありげなのである。
富永はかなりの時間、女の動作を眺めつづけていたことになるのだが、女は結局、その無遠慮な視線に気づかずじまいであった。

 この「女」が美也子で、このあとすぐに美也子は殺害されてしまいます。

 読んでわかるようにこの作品の中で一冊の本がたいへん重要な役割を果たしています。この本のありかを探っていく過程で新事実が明らかになり、美也子を殺害した犯人も徐々に追いつめられていきます。この本はどのような本なのでしょうか。
先ず、後鳥羽院に関する伝説について詳しく書かれています。承久の乱のあと後鳥羽院は隠岐に流されるのですが、京都から隠岐までのルートにこれまで考えられてきた説とは異なる説があるというのです。今まで史実とされてきたルートは実は影武者が通ったルートで、本人は隠れてもう一つのルート、伝説のルートをたどっていたというのがその説の具体的な内容です。そして、美也子はかつて、その伝説のルートの方を友人と旅していたということがわかってきます。その時、実は『芸備地方風土記の研究』を携帯していたのですが、その本は事情があって長い間行方不明になっていました。そして八年後、プロローグを読むとわかるように、『芸備地方風土記の研究』の所在がわかり、八年前の事件の全容が明らかになっていきます。
エピローグで浅見光彦は次のように言います。

 「運命としかいいようがない。正法寺美也子さんが尾道であの本をみつけさえしなければ、八年前の事故の謎も永遠に埋もれたままで終わったのですからね。そうしてみると、この世界には人為の及ばない何かの力が働いていることを信じたくなります。(中略)もしかすると後鳥羽法皇の怨念かもしれない。僕はほんのしばらくの間だが、この土地に暮らしてみて、この人たちか共有して持っている、一種の敬虔な生き方に何度も接したような気がするのです。一見、明るくて素朴なようだけれど、心のどこかに絶えず何かに対する虔れを秘めながら、慎ましく生活している。これは僕は、到るところに顔をのぞかせている古墳群や無数の神話、伝説と無縁ではないと思うのです。子供の頃からそういう環境に育ち、この世には犯してはならない何かが存在していることを膚で感じているような気がします。」

 遠く伝説の世界に思いを馳せつつ、謎解きの面白さに酔い、後鳥羽院ゆかりの地の人々の暮らしに自らの生き方を顧みるチャンスをいただく、こんなお得な本はそうはないでしょう。
一億冊も売れる作家、内田康夫の本の魅力はこのあたりに存在しているのかもしれません。

2013.04.21

アカガネサルハムシと構造色



2013.04.21 Sunday
「共生の森」のブルーベリーの葉にアカガネサルハムシがとまっていました。人によっては「虹色のハムシ」と呼ぶくらい美しい色をしたハムシです。もちろん意図して美しく装っているわけではありません。この色はいわゆる構造色(structural color)で、キラキラする輝きを嫌う鳥から構造色によって身を守っていると考えられています。翅の表面を拡大すると複雑な構造を持つことがよくわかります。
4月16日には栗の葉にとまるアカガネサルハムシを見つけました。葡萄の害虫として知られるアカガネサルハムシですが、「共生の森」のアカガネサルハムシは食べ物の好みが少し違うようです。あるいは、かつて「共生の森」が葡萄園であったころの子孫が仕方なく他の植物を食しているのかもしれません。

今日のことば

タマムシの羽は、微細なナノ構造をしていて、光をさまざまに反射したり、散乱させたりする。そのため、見る角度によって反射される光の波長が異なり、特定の光が重なって強調される。このしくみによって、さまざまな色に見えるのである。
タマムシが、このような不思議な構造色をしているのには理由がある。
鳥よけに、いらなくなったCDを吊り下げている光景をよく見かけるが、これは、鳥がキラキラした金属色におびえる性質があるため、鳥よけに利用しているのである。
じつはCDの裏面がキラキラと虹色に輝くのも、タマムシの羽と同じしくみである。CDの裏面は、細い溝が無数に並んでいる。そのため、光がさまざまに反射してキラキラと複雑に輝くのである。
タマムシもキラキラと輝く羽で、鳥から身を守っている。コガネムシの仲間はピカピカの宝石のような色をしたものや、金属色をしたものが多いのも、同じように鳥から身を守るために、タマムシと同じ羽の構造を持っているためである。また、コガネムシの場合はピカピカの体がまわりの風景を映しこんで保護色になる効果も知られている。

稲垣栄洋