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フィールド日記

2013.03.17

三椏の花とビロウドツリアブと『どくとるマンボウ昆虫記』





2013.03.17 Sunday
第二牧草地へと向かう道の途中に三椏の木があります。咲き始めた黄色い花にビロウドツリアブが来ていました。三椏の花ほど春を迎えた喜びを感じさせてくれる花は少なく、ビロウドツリアブほど一年の時のめぐりを強く実感させる春の虫はありません。今この時しか味わえない不二の自然の風景を愛おしみたいものです。
 

今日のことば

 幸か不幸か、それからほどなく私は腎臓病にかかった。かなり重いらしく半年間寝ていなければならなかった。腎臓病という病気は何にも食べられない。蛋白も塩気もいけないのだ。これは子供の身にとっては大変なことである。カレーライスの匂いのする日には涙がこぼれた。私の血の中には意地汚い血はあまり流れていなかったにもかかわらず、それから私はイジキタナクなった。みんなさすがに気の毒がって『昆虫図譜』の正篇を買ってくれた。
退屈さが私をいっそうその本に惹きつけた。私はくりかえしくりかえし、表紙がすりきれるまで『昆虫』をながめた。原色写真の形態をあらかた見覚えてしまった。名前もおぼえた。さらにラテン語の学名までをかなり暗記した。私はその横文字を読むことができなかったが、大人がよんでくれた。それで私は、クロアゲハはパピリオ・プロテノール・デメトリウスといい、カブトムシはアロミリナ・ディコトムスということを覚えた。それは何が何やらわからないだけにいっそう面白かった。学問というものだってみんな初めはそんなものだ。何が何やらわからないから人々はオヤオヤと思う。ところが、少したって少しわかったような気がするともう飽きてしまう。いつまでたっても何が何やらわからないと、これもやっばり飽きてしまう。永久に何が何やらわからないのが一番面白いことなのに。
何月か『昆虫図譜』と寝ていたおかげで、私は虫の名を覚えた。何かを覚えるということはそれほど大したことではない。それでも、ようやく起きられるようになって縁側まで出てみたとき、私はその効果を知った。もう春であった。その春の陽光の中に、一匹の虻が宙からつりさげられたようにじっと浮んでいた。綿毛のかたまりのような可愛らしい虻である。一目見て私にはその名称がわかった。ビロウドツリアブ。彼女とははじめて出会った筈だのに、私はずっと以前からの旧知のような気がした。むこうではそんなふうに思わなかったらしく、アッというまにどこかへ消えてしまった。しかし私にとっては、自分の住んでいる世界がいささかなりとも広くなったように感じられたのである。

『どくとるマンボウ昆虫記』(北杜夫)より