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フィールド日記

2013年03月

2013.03.01

キジムシロの奇形 2年連続の発見

  2013.03.01 Friday

 3月になるのを待っていたかのようにキジムシロが開花を始めました。掲載した2枚の写真はいずれもキジムシロの写真ですが、1枚目と2枚目を比較して違いがわかるでしょうか。上の写真は花弁が6枚ですが、下の写真は5枚です。上の写真はキジムシロの奇形なのです。昨年もほぼ同じ場所で同じ奇形を見ていますので2年続けての奇形の発見となりました。

今日のことば

昨日の新聞から45  平成17年7月11日(月)

『村田エフェンディ滞土録』を読む
――私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもないーー    

今年の4月にクラスの生徒に「中学3年生になって」というプリントを配り、中3になっての抱負を書く時間をつくりました。その中に愛読書について書く欄を設けたところ、ある生徒はその欄に次のように書いていました。

好きな作家は梨木香歩さんです。「西の魔女が死んだ」すっごいオススメです。泣けます。図書館にあります。ぜひ読んでください。

「西の魔女が死んだ」というタイトルからファンタジーのような作品だろうかと思いましたが、それはまるで見当違いでした。新潮文庫の裏表紙には次のようにあらすじが要約されています。

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変わるひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。

これを読んで「魔女」が主人公のおばあちゃんであることがわかりました。物語はこの「西の魔女」と呼ばれるおばあちゃんが亡くなるところから始まります。


西の魔女が死んだ。四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。まいは事務のおねえさんに呼ばれ、すぐにお母さんが迎えに来るから、帰る準備をして校門のところで待っているようにと言われた。何かが起こったのだ。
決まりきった退屈な日常が突然ドラマティックに変わるときの、不安と期待がないまぜになったような、要するにシリアスにワクワクという気分で、まいは言われたとおりに校門のところでママを待った。
ほどなくダークグリーンのミニを運転してママがやってきた。英国人と日本人との混血であるママは、黒に近く黒よりもソフトな印象を与える髪と瞳をしている。まいはママの目が好きだ。でも今日は、その瞳はひどく疲れて生気がなく、顔も青ざめている。
ママは車を止めると、しぐさで乗ってと言った。まいは緊張して急いで乗り込み、ドアをしめた。車はすぐ発進した。
「何があったの?」
と、まいはおそるおそる訊いた。
ママは深くためいきをついた。
「魔女がーー倒れた。もうだめみたい」
突然、まいの回りの世界から音と色が消えた。耳の奥でジンジンと血液の流れる音がした、ように思った。

このように物語は始まりますが、13ページからは時間が一度二年前に戻り、おばあちゃんとのさまざまな思い出が語られていきます。思い出の中で語られるおばあちゃんは「魔女」というよりも「哲学者」か「思想家」か「教育者」という感じで、心に響く言葉を次々に口にします。例えば次のような言葉です。

「おばあちゃんは、人には魂というものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやって来たのか、おばあちゃんにもよく分かりません。いろいろな説がありますけれど。ただ、身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、魂のほうはもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと以前から魂はあり、歳をとって使い古した身体から離れた後も、まだ魂は旅を続けなければなりません。死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら」(中略)
「魂は身体を持つことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとって願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会を与えられたわけですから」
「成長なんて」
まいは、なぜだか分からないが腹が立ってきた。
「しなくていいじゃない」
おばあちゃんは困ったようにため息をついて、
「本当にそうですね。でも、それが魂の本質なんですから仕方がないのです。春になったら種から芽が出るように、それが光に向かって伸びていくように、魂は成長したがっているのです」

少女まいとともにおばあちゃんの言葉に耳を傾けているうちに、物語は静かに進んでいき、最後はたった四文字のおばあちゃんの言葉で物語が閉じられます。
『西の魔女が死んだ』を読んでから雑誌や新聞に「梨木香歩」という名前が載っていると自然にそちらに目が行くようになりました。数週間前のある日、不二聖心の図書館でブックスタンドに立てかけられている梨木香歩の本(『村田エフェンディ滞土録』)を見つけたのです。それは今年度の読書感想文コンクールの課題図書を展示したコーナーでした。「おや、梨木香歩の本が課題図書に選ばれたのか」と思い、昨年の小川洋子に続く粋な人選に驚きと喜びを覚えました。ただその時は時間がなく手にとって見ることまではしませんでした。ところがこの本の横を通るたびにどうもこの本のことが気になってしかたがないのです。おそらくブックスタンドに立てかけられた本のたたずまいが何とも言えず魅力的だったからだと思います。決して派手な装丁ではないのですが、中村智という人の落ち着いた品のいい装丁は『村田エフェンディ滞土録』が読むに値する名作であることを静かに語りかけているように思われ、ついに僕はこの本を手にとりました。そして、表紙をめくるとカバーの内側に印刷されている言葉が目に入りました。「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもない…」という言葉です。これを読んでこの本は間違いなくいい本だという確信のようなものを僕は持ちました。
7月3日の毎日新聞は大きく見開き2面を割いて読書感想文コンクール特集を組んでいました。もちろんそこでも『村田エフェンディ滞土録』が紹介されていました。その紹介文を引用してみましょう。

トルコに留学した村田君。国を超えて結ばれた友情はやがて悲劇にーー。友だち、宗教、国境とは何だろう。百年前の青春を描く感動小説。

村田はトルコ皇帝の招かれて歴史文化研究のためにトルコにやってきて、ディクソン婦人という英国人の経営する下宿に滞在しています。この下宿には他にもドイツ人のオットーやギリシャ人のディミィトリスが下宿していて、国籍も宗教も異なる人たちの交流を描くことがこの物語の軸となっていきます。先ほど引用した表紙に印刷されていた言葉は79ページに出てきました。病床にあって療養中の木下という日本人のためにディミィトリスが醤油をどこからか調達してきた場面にこの言葉は出てきました。

木下氏のことは、昨夜ディミィトリスに話してあった。そのときからこのことを考えていたのだろうか。何といい奴なのだろう。
――有り難う、本当に有り難う。この醤油ほど、日本人の心を取り戻させてくれるものはないんだ。それにも増して、彼にとって異国人である君の思いやりが、彼をどれだけ励ますことか。
私(村田)は感激のあまり口ごもった。ディミィトリスは照れくさそうに微笑んだ後、
――こんな事は何でもないことだ。「私は人間だ。およそ人間の関わることで、私に無縁なことは一つもない」。
と、呟いた。いつものことながら、ディミィトリスの呟きは実に含蓄に富んでいる。そのことを言うと、彼は、
――いや、これは私の言葉ではない。
と断り、
――テレンティウスという古代ローマの劇作家の作品に出てくる言葉なのだ。セネカがこれを引用してこう言っている。「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」。

『村田エフェンディ滞土録』の魅力は、登場人物の多くが国籍を異にし宗教を異にするにも関わらず、「私は人間である」という意識で他国の人と関わる姿勢を持っているところにあるのではないかと思います。
しかしその国籍を超えた交流も、新聞からの引用文にあったようにやがて悲劇を迎えます。実は、最後の10ページぐらいのところまでその悲劇が何であるかは明らかにされません。それまではむしろ物語は静かに淡々と進んでいくのです。最後の悲劇について語ることはできませんが、最後をより深く味わうために、第一章(「鸚鵡」)と98ページをとりわけよく読んでおいてほしいとだけ書いておきます。

 さて、最後に、この一週間のあいだに体験した一つの出来事について書いておきましょう。『村田エフェンディ滞土録』を読み始め、その世界にひたり、気が付けばこの本のことを考えていたある日、僕は職員室のテーブルの上に置かれていた札幌聖心で発行している新聞「聖雪」の第六十六号を手に取りました。そしてパラパラとページをめくって、高校二年生の清水玲華さんの次のような文章を見つけたのです。

 ブックトーク  人が人として生きるために
去る五月二十五日(水)に本校図書館司書新田裕子先生による、人間関係ミーティング「ブックトーク あなた宛てのメッセージ」が行われました。今年は戦後六十年ということで、人は今の時代にどう生きるべきか、幸せとは何か、をテーマに戦争にまつわるたくさんの本を紹介していただきました。
その中でも特に勧めてくださったのが『村田エフェンディ滞土録』です。この本は、国も民族も違う者同士が一つ屋根の下で生活をし、互いが認め合うかけがえのない友となっていく一方で、彼らの国と国とが争いを始めてしまうという、どうにもできない国と国との境界線を描いた作品です。人が人として生きるためにそのような境界線がはたして必要なのだろうか、六十年経った今、平和について考えた時それらにどれだけの意味が存在しているのか、皆さんも一度考えてみてはいかがでしょうか。


『村田エフェンディ滞土録』を紹介しようと意気込んでいた時に、この文章を偶然目にしてとてもうれしく思いました。もしかしたら、この本が伝えようとしているメッセージは聖心が大切にしたいと考えていることとどこかで深く通じているのかもしれません。