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フィールド日記

2012.10.07

ヌスビトハギ  ツヅレサセコオロギ  名前の由来



 

 2012.10.07 Sunday
動植物のことを調べていると日本の名付けの文化のすばらしさに感動することがよくあります。
今の時期の不二聖心のフィールドにもその感動を思い出させてくれる動植物がいくつか目につきます。
一枚目の写真は、ヌスビトハギというマメ科のハギの仲間の実の写真です。ある調査のために森に
入って出て来たら、ズボンにたくさんの実がついていました。この実の形が泥棒の足跡に似ている
ことから「盗人萩」の名がつけられたということです。
二枚目の写真はツヅレサセコオロギです。秋のフィールドではたくさんのツヅレサセコオロギを見る
ことができます。「ツヅレサセ」は「綴れ刺せ」という意味です。古人は、ツヅレサセコオロギの鳴
き声を「冬が近いから繕いなどして冬の衣服の用意をしろ」と促す声と聞いたというわけです。
詩情豊かな名付けのセンスに驚きます。
2011年7月13日に不二聖心の廊下で見つけたオナガバチに和名がついていなかったので、「シロオビク
ロオナガバチ」と和名をつけましたが、古人のセンスにはとてもかなわないと感じます。


今日のことば

こおろぎ

 壁のなかか、縁の下で蟋蟀(こおろぎ)の鳴く声をきくと、毎歳のことではあるが、その日その日の
営みに追われている自分に、ふとそのあゆみをとめて、何かものを考えて見なくてはいられないような、
身に沁みた寂(わ)びしさを凝(じっ)と心にいだかせられる。
秋漸く闌(た)けて、釣洋燈のかげのまるくうつる下で、その虫の音をききつけると、私の亡くなった
祖母は、もうこおろぎが、肩させ裾させと鳴いている、冬ものの始末をしなければならない、うっかり
してはいられない、と来るとしも来るとしも、亡くなるまで、秋ごとにそういっては、これからは忙し
くなる、といい足していた。
そういわれてきくと、なるほど、肩させ、裾させ、と、こおろぎはいつでも繰り返して鳴いているよう
にきこえる。
私たち男性には、別に冬が来たから、春が来たからといって、そのために急にしなければならぬ仕事と
てもないのだが、家庭の女、殊に昔の女には、暑さに、寒さに向うごとに、富める者は富めるなり、
貧しいものは足らぬがちのなかにも心ばたらきして、裁つべきものは裁ち、縫うべきものは縫い、綿入れ、
ひき解き、綴じ繕いに骨身を惜しまない。
残暑も過ぎてやれやれと思う間もなく、朝晩の肌さむ、肩させ裾させと、蟋蟀に促されては冬がまえを
怠らぬ、そうした昔の女は、百年も二百年もの前、私たちの母、祖母、曾祖母、だんだん遡ってかぞえ
たら、いつの世からだかはかり知られない久しい時代に、紡ぎ、縫い、忍従を苦とせず、世のさだめに
従って孜々と働いて一生を過して行った。
この数知れぬ過去の女性に、今の私たちが受けている莫大な恩をどうしたら報いられよう。
私たちは眼前の人の恩を受くるばかりでなく、遠い遠い祖先から、今日までに積まれて来た、眼に見えぬ
人々の恩を思わなければならない。
今日の日本は凡べて新しく発足する時だと人はいう。それはいい、だが、人間は何もないところへポツン
と独り生れて来たわけではない。久しい昔の過去の人がつぎつぎ築いて来た世の中なのだ。無駄を省くの
もいい、だが世の中には無駄が無駄でないものもいくらもある。昔の人はよくそれを知っていた。私たち
は長い一生に、いい伝え、教え伝えられて来た日常の生活に、昔の人の深い心づかいのなみなみでないこ
とを、事ごとに省みさせられる場合が多い。
私はこの頃、折にふれて古人の尊ぶべき、親しむべきことをのみ感じる。見ぬ世の人を友とすると、昔の
人はよくいっているし、読書に耽ってそうした生活へはいって行った多くの人がある。
見ぬ世の人というのを、私は何も碩学や哲人にもとめるのではなく、市井にあって私たちと同じようにた
いした事業を為すことなく世を過した人々でも、女なら一生をごくあたりまえに送り、妻となり、子を設
けて、何にも表立って社会に貢献することはなくても、蟋蟀が鳴くと、冬物の仕度にかかって、平凡な生
涯を送って行ったというような人に心から親しみと、尊敬を寄せる。
私は腹からの都会人だから都会のことのほかは何にも知らない。けれども、私のちっとも知ることのない
農村の人でも、蟋蟀が鳴けば冬物の仕度をして、炉辺に老いて行った、妻なり、母なり、平凡な、尊ぶべ
く、愛すべく、親しむべき、多くの人々があったであろう。
どうかして古い由緒ある寺を訪れなどした時に、苔蒸した昔の墓碑のささやかなのに鐫(え)りつけられ
た何々信女(しんにょ)の戒名を見て、天明とか、享和とか、歿年(ぼつねん)と共に刻まれたのを、前
にして、私はしばしば、つつましやかなる女房の眉を落し、鉄漿(かね)を含んで、行燈の下にせっせと
針を運ぶ姿を、勝手に空に描いてみることがある。
今宵も蟋蟀が頻りに鳴いている。
「こおろぎ」(鏑木清方・昭和13年10月)